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9月26日(夜)

携帯見つかりました。バス停のベンチに
「ゴミを捨てないで下さい・・・営業所」という札があったので
(その札に気づいたのは火曜日夜ですが)
もしや・・・と思って、最後の手段と、地元のバス会社に問い合わせしたら、
届いていました。

火曜日の11時半頃、荷物片手に出かける用意をしていました。
その直前に携帯を見た記憶はあったの。
それでバス停に着いて時間を確認しようと鞄の中を捜した時には
見当たらなかったのです。
道路向こうからご高齢のお知り合いの小母様が来られたので、
そのままお喋りしていました。

バス停のそばの生垣に落としたのかな?

今日、営業所まで取りに行きました。
見つかってホッとしました。お騒がせしました。

今月大型ゴミ出しを申し込む予定で、ゴミの整理しながら
リストを書き上げていたら、きっちり十個ありました。
20年以来の古いタッパウェアや浴槽の蓋やバス用の椅子など、
廃棄を決めてから、まだゴミが出そうだ
と思っているうちに日数が経過してしまいました。
置き傘レベルの古い傘も含めて、傘が複数ありますが
全部骨だけにして束ねて捨てないといけないらしく
一本ずつ布部分を外したり切ったりもしました。
少し涼しくなると、片づけ仕事が増えます。



亡姑の日記、昔、姑も一緒に主人と私とで、姑の弟さんが経営されるホテルに
宿泊したことがありました。
犬も車に乗せて連れて行きましたが、義母は犬の事は一言も触れていらっしゃらなかったの。
先に本家に挨拶しに行き、お昼をいただいた時に、
私が仏壇を見てお寺みたいに立派な仏壇と言ったらしい。
お墓参りもして、姑がお寺にお供えしたので上げていただき
説法を聞いたりしたらしい、
そして世界の梅公園で中国から来た梅を見て目を見張っていらしたの。
それらは全然記憶になくて、
夕食のご馳走の豪華だったことは覚えています。
そして翌日に好古園に出かけた時のことを書いていらしたので、
和服姿の方達がたくさんいて、おうすをいただいたことを思い出しました。
ポイントを押さえて、まとめて日記を書き上げていた姑、
私よりもずっと観察力があって、文才のある方だったとわかりました。

その一年後~息子が六年生の頃、姑は私の事を明るくて皆を楽しませてくれる・・・
と書いていらした。
他の方にはともかく、私に対して愚痴は一言も書かれていませんが、
期待もされていなかったのだと思うの。
息子は私のことを、常に利害関係から離れた位置にいるから
他からも攻撃されることはなかったけれど、あまり関心も持たれていないと思うと言ってました。
意外とよく見ていると思います。
私にとってはその方が居心地良かったのだと思うのです。

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