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2016年05月31日
六時頃、「お寿司を食べておいて」と父に言い残し
救急車同伴して、簡単な検査などで帰宅したのは十時を過ぎていました。
主人が車で迎えに来てくれたのです。

就寝した後、深夜十二時を過ぎた後、外で誰かが歌うのが聴こえた。心地よい声のようでした。
多分歩きながら口ずさんでいただけでしょう。
主人も聴いたらしいですが、クラシック調に聴こえたけれど、曲名まではわからなかったの。
そんな時間帯にわざわざ歌いに来る方はいないから
偶然耳に入って来たのだと思う。

疲労しきっていた私は、母の身を案じながら
とにかく24時間専門家がついている・・・としばらくホッとした気さえしていました。
月曜日の朝、ボーッとテレビをかけていたり、家では落ち着いていました。
見舞いに行く前にマンションに寄って、病院に持っていく母愛用のシャンプーや
予備の物を鞄に入れていたら、
母はもう二度とこの部屋でこれらを使うことはないんだと身につまされて
泣けて泣けて・・・これほど可哀想でつらい思いはないと

父はディサービスの日、パンやに寄って一人でゆっくりランチ
気持ちを切り替えて病院に書類持参、手続きしに行きました。

一般病棟入院でしたが、緩和病棟時の看護師さんが挨拶に来て下さり
「症状が安定したら緩和病棟で待っているね。」って!
前日の応急処置のべッドと違って明るいムードに少し安堵して
途中で看護師さんが複数でやって来て、エア布団と入れ替えて下さったり
人数は必要、ありがたいことだ~と感謝の気持ちで一杯でした。

帰り路、肩の荷が少し降りた気さえしました。
夕方、担当医師から電話がかかって来るまでは

今日、父を連れて宣告を受けに行きます。
私はその内容を昨日の電話でほぼ把握していると思う。
今日はもっと重圧な内容になるかもしれません。
今朝から胸が痛くて、全身倦怠感
疲労も限界に来ていると思う。
これ以上つらい事が起こったら、どうなるのかしら?
それ以上に母の身が案じられ、可哀想で可哀想で
生きてる気がしない今・・・

昨日、母はまた勘違いして
「オムレツ作ろうか?玉ねぎ刻んでね。」って
食べたいんだな・・・もう口から物を食べられない?禁止令?
複数の看護師さんが部屋を出られた後
「(私)子ちゃん、お味噌汁でも作る?
(私)子ちゃんのイメージが壊れてしまう気がして・・・」
イメージって何?この場に及んで何を心配しているの。
私は見舞い客、看護師さんではないから、比較して心配しなくてもいいのよ。

母の気苦労は絶えない。もっと楽しくフワッとしたことを考えさせてあげたい。

2016年05月31日
日にちは正確ではないのだけど、先週末、まだテーブルで夕食を食べていた時
ミズカレイの焼きたてを出してむしってあげると両面綺麗に平らげていた。
最近食べたい物の好みを言ってくれないから(言えなくて)
体調、食欲、日々食べられる物も変わるし、冷蔵庫の食材も万能なわけでもなく
暗中模索と言うか、私もどうお世話すればいいのか半分パニクッていました。

土曜日は疲労感が漂い口数が少なく見えました。
土、日曜日は朝から果物メインで、ヨーグルトなど
昼に生しらすをお澄ましにした物を「美味しい。」と喜んで食べるから
生協で親宅に注文していた鰻を卵とじにしたら
「ごちそうさまでした。」と子どものように喜びましたが
それは一口しか食べていなかったの。
何を食べても急激に咽やすくなってしまい、食べさせるのに時間がかかりすぎて
体力を消耗して途中で眠ってしまったり、

入院を申し込んでからも、そばで母が明るい無邪気な表情を見せると
まだ早いのでは?まだまだしてあげたいことはあるの・・・
迷いで葛藤していた時期でした。

咳き込みが激しくなった日曜日、明らかに衰弱していく
直接病院に電話して尋ねたら
日曜日で医師との連絡が・・明確な紹介状はまだだと言われ
症状を言って、毎朝マンションに到着するまでに
十時では脱水症気味で衰弱がすすむから、先駆けて入院させて下さい
と緊迫した様子を伝えました。

往診医師や訪問看護の方にも電話を入れ、一人で診る自信がない
近隣の病院・・・どこでもいいからお願いできませんか?と尋ねたら
医師が、今年初めに入院した病院に連絡を取って
応急入院させていただくことになりました。
母は歩けないから救急車を呼ぶように言われました。
前日に介護タクシー登録を済ませていましたが、
救急車で酸素マスクをつけていただき、応急処置していただきながら
連れていただいたの。

専門家の元に行けるという安堵感から?
私はこの時はとても冷静で、保険証、母の常備薬、タオル、化粧水、
パジャマの着替え・・・これは昼間食材と父の食べる海鮮寿司を買いにデパートに
行った時に、デパートでワコールのバザールを開催していたから
桃系の薔薇模様のパジャマも持参で、これを見たら母も少しは明るい気持ちになるのでは?
と思ったのです。

病院に到着、当直医師から、今は最期を自宅で看取ることが推奨されてる(時代)
そういった話をされ、いきなり二者選択
私は癌末期でも風邪も併合?みたいなので、点滴やお薬で
まだ少し持ち直せる気がして、
「一人で看取るなんてできません。目の前で苦むとお手上げ、
日常生活できない今、母も病院の方が安楽に過ごせると思います。」
と言いました。

先生は「家で亡くなっても24時間以内なら死亡診断書を書きますよ。」
と言われた。

「そういう問題じゃないんです。」
狼狽えてパニックを起こした私一人がそばにいても・・・
それはどれだけ恐ろしいことか?

まとまりないまま

2016年05月28日
木曜日に医師から「その時期は近いと思う。」といきなりの宣告を受け、
風邪気味で熱っぽかったものの、食欲も盛り返し、
夕食に一時間以上かかりながらも懸命に噛んで食べて生きようとしていた母
汁ものはダラダラ零すことが多くなったので
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介護用具を選んだところでした。

自然死について問われましたが

べッドが空き次第入院させていただくようにお願いしました。
応急診療に連絡しても、すぐには間に合わないでしょうし
 犬の死直前の五分間を思うと、とても一人で看取る勇気はありません。

和室に布団を移して、日中も(今までの座布団上の午睡から)
布団の上で休息できるように配置したところです。
対処しても、より悪化していく一方で、弱気になっていました。

昨日の朝、母のトイレに父と二人がかりで抱えたのが最後
その前もトイレで「ここでしてもいいの?」とか
「いつでも出ます。」と幼子のように実況を初めていた母
悟ったのか
リハビリパンツを「紙のトイレ」と呼んで以来、トイレで立つことはなくなりました。

昨日は訪問看護の方にシャワーは体力を使うので、寝たまま拭いていただき
楽だったのでしょう。
「病気になったら綺麗になる。」と指で自分を指して燥いでいました。
布団に角度をつけてもたれ座りして、蜜柑ジュースを飲んだ後に
「蜜柑食べようかな?卵をフワッと炒ってね。
葡萄酒のジュースがあったはず、飲みたいな〈昔あったもの?〉
と次々強請っては、作って運ぶと感謝して
「ずっと寝たままでも(私)子ちゃんがいてくれたら、それでいいのよ。」
と嬉しそうにしていて
こんなに元気なのに、誤診じゃないのかしら?
今入院したら理解できずにどんなに淋しがることでしょう?
けれど私は最期の苦しみから救ってあげることができないのです。

抗生物質が効いたのか今朝は数日ぶりに平熱に下がり、
ホッと一安心、けれど口数が少なくて、いつものようにお茶目に惚けないし
木曜日夜からお薬内容が変わったことがあるのかもしれませんか
そばで咳一つしても、目を大きく開けて私をじっと見ても
「苦しいのではないかしら?」と気が気でありませんでした。

林檎とカステラを食べたがる母のために買い物に出ました。
20歳代の時からずっと同じのを着ていたことに気が付いて
途中バスを降りて涙をぬぐいながら喪服を買いました。

よくうつらうつらしている母に「何の夢を見たの?」
と尋ねたら
「女の人が三人いて、皆よく働いていて、うちの娘はちゃんと働いているか
心配していたの。」
と言うから
「ここに娘はいるでしょう?」と言うと
「やっぱりそうだったのね!?」と嬉しそうに言って
「お給料貰ってる?」など聞くのです。
一銭ももらっていませんから!
それどころか、我が家から食材を寄付することもしばしば・・・
父があの性格だし  少し腹立たしいと思うこともありますが

今は母が少しでも過ごしやすいように、それしかないです。
母が夢の中で、私を心配してくれていたんだな~参観日のように気が気でなかったのでしょう。

5月25日(夜)

2016年05月25日
昨日はマンションからスポーツジムに
いつもの二つを受けて来ました。
サーキットレッスンの後、インストラクターに
「先生、そのシャツ(上下)素敵!」
と言ったら、
「死んだらあげるわ。」ですって!
キャッと笑いました。

私の名前もご存知ないですし・・・

蒸し暑くなって体力的にきついと感じる日もあるし
それ以前に母の具合にも左右されて、
昨日は朝からいつもの可愛いおと惚けオバアチャンでしたが、
一昨日は悲し気で終日塞ぎ込んで見えて、たまにあるのですが、
マンションの一空間で二人だけで過ごしていると、母の感覚がそのまま
伝染して、私もよりつらくなったりする。

先週は三日間でちりとり一杯分くらいの排泄物で
父が環境重視で御トイレに流すといけないと言い、
紙おむつごとベランダに干しだしたの。
乾燥させてゴミ出しして燃やすのがベストだと言うけれど、
生ごみ+排泄物・・・重いのでゴミ袋複数に分けて行くと言うと
有料袋なのでもったいないから一つにまとめると
それなら自分で捨てて来て!と言いました。
夕食を食べさせて家に帰る時、父は
「疲れた腰が痛いから捨てて来て!」と言うので、本当に情けない・・・
一事が万事、頑固なところがあって、できないのに、
理想を押し付ける、自分は有言実行できない。身体も動かない。
肉体労働は全て私に回って来ますし
臭くてベランダの戸は開けて置けないし、熱中症になりそうななか
親のお世話をしてぐったりしてしまいました。

何か楽しいことなかったかしら?
と考えてみたら、GW中にゴーヤを植えたことと
もう一つ何かあったような・・・


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最近ワコールの通販で買ったコスメ類
トリートメントと椿油
顔のクレンジングに椿油を遣ったりもします。

手前のは寒い季節にデパートの催しで購入しました。

5月21日(朝)

2016年05月21日
昨日も合唱団?コーラスの夢を見た。
けれどハーモニーは女性コーラス風で学生時代の雰囲気に近い。
休団中か退団かはっきりしないなか、昨夜団費のことで班長から連絡あり
配られたチケット入り封筒に私の分もあったらしく
コンサートで歌うならチケット11枚・・・合宿不参加、二月以降練習していないのに
プロでもない私が歌えるはずがありません。
団費は1~3月までしか払っていないし、休団の意志を伝えたのはそれ以降なので、
春期から夏期にかけては支払ったほうがいいのではないか?
とその旨を伝えました。

去年今頃の母はまだヒールを履いて一人で買い物に出かけていました。
日々忙しくて、振り返る時間は少なかったけれど
hahamansyon
この写真を見ると泣けて来るの。
母の訴えが大袈裟だったことがあった?
対応する父の判断力が(老齢化)で正常でなかったことに気づけなかったこと!
毎日マンション通いするうちに気づいたことは父が一々母の神経性(病)から来る言動を真に受け行動する
父自身の認知症具合は第三者に指摘されるまで気づけなかった。
そこに誤算があったのではないか?
病院ではMRIなど群細なカルテで慎重に痛み止めや精神安定薬を考えて下さってはいたのだけど
(それにしても・・・入院後、あんなに簡単にベッドから転倒して
MRIには異常は出なかったけれど、明らかに頭がオカシクなった。
でも癌の傷みよりはまし。)
日々、心を込めて調理した物を母は一生懸命食べてくれて
健常者並みに食欲を盛り返した今、かえって精神の崩壊を見るのが痛々しくて

私は誠心誠意お世話しながらも、決して神経を止まないように
スポーツクラブの年長の友人も「気持ちを切り替えるためにも運動して
皆とお喋りして発散しにおいで。」
と言って下さるのが有難いです。

蒸し暑くなるこの時期は身体的にも苦手ですが、
両祖母や、おばや、亡き犬・・・身内の死の記憶ばかりで
心が崩壊しそうなほど調子が悪くなります。

二年前の初夏から夏・・・中田義直の合歓の花を繰り返し聴いて
病的なほど懐かしんでいたの。
こういう季節は、夕暮れ時にのんびり散歩などして
涼んだ外気にボーッと浮く白系統の花々に心を癒されていたいと感じていた。
それらは合唱の練習をすることとは次元が違っていた。
去年も同じ季節に心が病んでいる。休養が必要だと感じていた。
また同じ季節がやって来る。
今が一番つらいはずで、比較できないくらい大問題を抱えていること。

5月18日(夜)

2016年05月18日
カレーを炊いてお昼用に持って行くと、母のお気に入りのこくまろですが
大喜びして食べていました。
昨日のチキンライスといい、お子様が好む味付けが食べやすいようで
それならレストランでお子様ランチを注文したら、喜んで食べるのでないかしら?
元は和風料理が好きで、今も好みますが、中華風は味覚が受け付けなくなったようで、
いつぞや柚子胡椒の塩焼きそばを一口食べて「ソースが足りない。」などと言ったのです。
母は深い眠りの後、一つずつ俗世の記憶を捨てていってるように思える。

図書室で本を借りて近隣のデパートで買い物をした後、
鰻巻き寿司(小)を買って夕食用に持って行ったら、
母は午睡の最中で、しばらくして目を覚まし
「(私)子ちゃん、ちょっと顔を見せて。」と言うから行くと
両手で顔を包み「ここは何階?」と尋ねる
「。階だけど、落ちないから大丈夫、今まで七年も暮らしていて、
危ない事は一度もなかったでしょう?」
と言うと
「七年もここにいた?ここは誰のおうち?」
「お爺ちゃんと御婆ちゃんのおうちでしょう。広い家は掃除が大変、
庭の木や草刈りが大変だと言って、ここに住むようになったでしょう?」
と言って聞かせると
「七年もいた?知らなかった。階段で一々上がったり降りたり、
外に出れない・・・。」
と心配するから、頭を撫でながら
「いつもエレベーターで簡単に外に出ていたでしょう?
今は車椅子もあるし、何も心配はいらないから。」と言うと、
少し安心した様子でした。
父が繰り返し「ここは何階?」と尋ねて答えさせていたので、
母は目覚めるたびに気にするようになったようでした。
必要なのは正確な解答じゃないのにテストみたいに質疑応答責めで
母の脳はパンクしそうでした。

ただ気がかりなのは「ずっとここに来てくれるの?同じ家族で暮らしていけるの?」
何故そんなことを質問してくるのかしら?
「私は御婆ちゃんの娘だから当たり前でしょう?毎日来てるでしょう?心配しないでね。」
と繰り返し説明しました。
その日に寄って掃除のヘルパーさんだったり、訪問看護だったり
火曜日は私が運動するために早い時間に帰ってしまったりで、
母はかなり混乱してしまっていました。
「(私)ちゃんとお爺ちゃんと(私)子もいてた。」
「あっ、(私)子も私よ。」
「縁あって小さい時から知ってるんだから可愛いはずよね。よろしくね。」
と、まだ混乱中の母
「だから、御婆ちゃんは私を生んだの。」
「そうだった・・・(恥ずかしそうに)えーと、子ども?孫?どっち?」
何度でも繰り返し説明すると「だんだんわかって来たみたい。皆、良い人だから
仲良くやっていきましょう。」
と言うのでした。

ただ、今日は以前から住んでるマンションに母は住み始めたばかりの感覚で
父に「(私)子ちゃんと、お爺ちゃんと、そして御婆ちゃんも家族に加わりますので
よろしく。」と言って、それを聞いた父はショックを受けたのか瞬間泣いていました。

袋に集めた瓶、缶類のゴミを父が捨てに行こうと玄関に立ったのを見て
母は改めて父の高齢化に気づき?
「あれがお爺ちゃん?エーッ?」と驚き「全くの他人ではないのよね。」

その中で、主人の評価の高かったこと、日曜日の買い物でしか会わないのに
私のご主人は、夫婦でしょう?だったら四人同じような者
だと即家族認定していたのです。

買い物帰りに、先に家に荷物を置くためにバス利用で
一番近い公園に小父様がお孫さんを遊ばせにいらっしゃっていました。
諸々の事情で小父様も太極拳上級クラスを(結果)辞められたのです。
三月に気功の先生が裸足で土を踏むことの大切さや
ストレスになることを溜めすぎると病に繋がる話など
辞める勇気的な発想でした。フェステが終わってからだと思う。
私は必然的に親を介護しなければならない環境にありました。

小父様は未来ある子どものお世話をされているので、羨ましいと思ったの。
慢性持病を抱えていらしても、お年を召して今は年金暮らしでも
小父様は明るい光に満ち溢れているように見えたのです。

犬と別れの日にも通った公園
五月、小鳥の囀りに癒されながら最期を予感して、日々犬との時間を惜しんだ公園
犬が亡くなった後、「姿を変えてでも、霊でもいいから、私の前に表れて。」
と涙した場所でした。
けれど、犬はすでにその場所には居ないと思った。

5月17日(夜)

2016年05月17日
恒例のスタジオプログラム二つ受けて来ました。

母の事
昨日の昼に下剤を8滴飲み水に入れて飲ませたのに、父が今朝再び10滴・・・
必需の目薬を点し忘れる癖に、勝手に飲み薬を決められた以外のを飲ませたり、
私担当の下剤を、私に断りなく飲ませていた
朝行くと、母はリハビリパンツ中に(大)の粗相をしていて
すぐに履き替えさせたけれど、立て続けに御トイレに行きたがり
都度汚し履き替えるはめに・・・
前回はリハビリを履いていなかったから、床や畳を汚してしまったけれど
呆けて粗相したわけではないのに

眩暈の薬の時も、父の独断で医師を通さずにしたことで
母が受難にあって、挙句に(父は)すぐに母を入院させるなど言うから、
原因を招いたのは自分だという自覚もないし

いくら年老いたといっても、こういう親に育てられたんだ
幼い頃から勝手な教育方針で私も受難の日々だったと思い知らされる

それでも何度も介助してトイレで母の粗相の始末をしてぐったり疲れて
少し胃が気持ち悪くなってしまったくらい。

朝から作ったチキンライスが上出来でお昼に母は「美味しい。」と食べてくれたの。
月曜日にマンションで私と留守番している時母は私が近隣にいて心強い
環境も気に入っている~ように言っていたのに、
最近、深夜に寝ぼけて、それもお薬のせいなのですが
「ここはどこ?」的なことを
「何故ここにいるの?ここは何階?」
父が応えると「高いから落ちたら怖い。大阪に帰りたい。近所の人に助けてもらおう。」
と父に言ったらしい。
母が懐かしんでいるのは私が小学生~中学生の時代
あの頃、郊外に引っ越しすると強引に父を説得していたのは母だから
私が気にかける必要はないのかもしれないけれど
惚けても本音はどこにあるのか?考えずにはおられない。
今まで全て自分の思い通りにやって来た母なのに、
ヘルパーさんや複数が出入りして、自分の意志とは無関係に掃除、
一応母と相談したうえでべッドに防水シーツを敷いたり、
車椅子が来たり、
それらは必需品なのですが、常に観察して需要があれば間髪入れずに売り上げようという
医療介護と違って介護保険絡みになると、実際営利の追求が先だっているような気がするの。
母の身の回り品まで変化していくことで、自分の居場所でないみたいな
落ち着かないと感じているのではないかしら?
だからといって、何もかも私一人では対応しきれないですし。

5月16日(夜)

2016年05月16日
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昨日は恒例の食材の買い物の前に麺類のお店でランチしました。
先日のキノコ専門店に行こうといいながら、
母がどれだけ食べられるかわからないので、気楽に立ち寄れるお店でいただきました。
主人と父は天婦羅や天重つきの麺を注文して美味しいと言っていました。
私はカツ丼プラスミニうどんにしたら、カツが肉臭くて、半分以上残してしまいました。
母は大阪の専門店と比較して意見を述べていて、味覚は衰えていないな~
とある意味感心しました。

月曜日は父がディサービスに出かける日なので、
九時半頃からマンションに缶詰
お昼はコンビニで買った物や炒り卵を作って母と分けて食べたり
母にはプラスヨーグルトやサイダーなどでカロリー補給
私はマンションに行くと食欲が減退して、お煎茶のみ美味しく味わう程度です。

日課の味噌汁作り以外に自宅で用意した材料とタレを使って
夕食用の鉄板焼きを作ったり(自宅も同じメニュー)
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合間に父が出かけている間に、少しずつ冷蔵庫の整理
賞味期限のことを言うと、父の機嫌を損ねますが、
どう考えても期限切れと思われる食品を処分したり
生ゴミ箱にアルコールを噴射して清潔にしたり、
ある意味貴重な月曜日です。

今月から訪問看護を週二回にしていただき、月曜日も来てくださる日
母の体調が安定していたのでシャンプーをお願いして
私も機敏に動いてお手伝いしましたら、また何を勘違いしたのかしら?
夕方、二人で会話していたら母は心配そうに
「(私)子ちゃんは一日責任を持たされてるわけではないの?」
など質問して来るのです。
「責任とか全然ないのよ。私はお母さんの娘だから手伝っているだけよ。」
と言ったら
安心したのか勘違いして照れくさいのか、笑っていました。
お若いほうの看護師さんなのですが、この場合、私はアシスト的立場だと
解釈しているのでしようね?

「(私)子ちゃんは嫌かもしれないけれど、こういう仕事向いてると思うわ。」
と、言うのですが
華奢な母ならともかく、立派な体格の方のお世話は無理でしょう?
と言ったのです。
今、一人では御トイレに行くのもままならぬ母にとって
訪問看護士さんのこと医師に匹敵するくらい高い地位だと感じているらしいの。
実際に心ある良いお仕事をされていると思います。

5月15日(朝)

2016年05月15日
昨日、夕食後母を支えながらソフーァに戻る私に
「(私)子ちゃん?」と尋ねた。
「そうよ。私がわからなかったの?」と聞くと
「そうかな?と思っていたけれど、顔を見たらすごく若かったから」
いつも真正面しか見ていないふうなのに・・・
「今私の事見えていた?」
「見えているわよ。失礼な!」
と母は憤慨したのです。
そう、昨日は意識がはっきりしている様子でした。
夕食を食べながら、ソファー近くにいる私のことを穴が開くほど眺めていた時
そう感じていたのかしら?

その前日くらい、ソファーに座る時に、膝の上にクッションを乗せて両腕を乗せて見せて
「こうすれば楽よ。」と言うと、その通り真似ができていたけれど
しばらくしてみると、クッションを手に持って見て試案したのちに
頭にのっけて首を傾げていた母



このところあの♂についてメモしていなかったけれど、
この春以降、ゴミ捨て場までついて来て以来、見かけた記憶はなかったの。
いつもしばらく静かだと思うと、定期的に報復するような事件が起きるから
気は許せない

最近の身近な気づいた事
・その次のゴミ捨て日に、出くわした場所に子供用のピンク落とし物
・先週、マンションの手前の道で(それも前回道で出くわしたきっちりそのポイント)
ピンクの大きめの円形バッチ・・・I Love・・・とかいうの
・GW前、夕方マンションの部屋から出ると、部屋前の階段上に
黒いUV帽みたいな素材の男の人着用の物が落ちていた。
殆どがエレベーター使用のマンション玄関前に?業者が落としていった?
くらいに考えて帰り道、
自宅近くの角に来たら、道路上に同じ黒の物が落ちていた。
手に取って物を確かめたりはしないけれど、
同じ人が落として拾って先回りしてまた落とした?ような錯覚?
気にしないように・・と忘れたつもりでした。
・昨日、夕方のマンション行きのエレベーター中の手摺に傘のマークのスポーツ用の
帽子がかけてあった。
一見古くて汗で汚れてる、捨ててもいいような帽子でした。
よくあの♂が外でトレーニングしている時に被っている型だけど
やはり手に取って確認はしていません。
数分後クシャミが出たので、花粉?の気配と思った。
帰りのエレベータで、その帽子はまだありました。
降りるまでUVマフラーで鼻口を塞ぎました。


何でいつも黒なんだろう?
万が一、息子さんが同じマンション在住で、出入りしていたあの♂が
私の出入りしている部屋を突き止めたとか?
下の部屋の住人が最近出たばかりだったようですが・・・

その前日、父にかかってきた電話を私が出たら、
セールス電話の女性からで名乗った担当の苗字が、その♂と同じでした。
よくある苗字だけど、奥さんの声でもありませんが、
何でその苗字なの?
その後父に代わり、記憶力障害が起きている父は若い女性からだと勘違い嬉しそうに
「どなたでしたか?このごろよく覚えてませんで・・。」と
一一丁寧に返答しているのでした。

春先に歯科医院に行った帰りに、大通りの道路に面した入り口から入ったら
シャッターすぐ下の地面に大きく書かれていた苗字そのものです。
細かい事の積み重ねだけど、全部繋げると気味が悪くて

(合唱団合宿日だし)
というのはスポーツクラブでは絶対に小父様がお休みとわかっている日に
♂に同じスタジオで付きまとわれたり、よくあったことなので
今はスポーツクラブ止めてる?

ただ冷静に考えても、そこまで付きまとわれる理由は何一つないのに
昨夜はかなり気分悪いでした。

5月14日(朝)

2016年05月14日
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市販のお惣菜からマスターしたレシピ、高野豆腐とグリンピースの卵とじ
と、
吉野で買った桜の塩漬け使用のお吸い物

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これも吉野で買った油揚げや豆腐を使ったメニューです。

昨日は
食事作り(クリームシチュー)マンションの家事→美容院→オリジナルエアロ→シャワー→ステップ→買い物→マンションの家事

気晴らしできた日でした。
行くと母は両手で私の顔を包み、目は見えるのに、見えない人のように
しばらく手で伝いながら「スベスベしている・・・綺麗なお肌」などと言う。
時間に余裕がなくて、恒例の挨拶を抜かして洗濯物のベランダーや調理で台所に直行すると
肩透かしをくらったようにガッカリするから、
毎日朝夕会いに行っても、到着した時と、帰る時は少し大袈裟なくらいに
スキンシップを交えた挨拶をするようになりました。

夕方、夕食後母にパジャマを着替えさせて、お薬を飲ませ終わると
「帰るの?」とガッカリしたように尋ねる
「また明日ね。」と言ったら
しばしのお別れのように
「さようなら。」と言う。

一時、認知症が進みかけたように感じられたけれど、この数日はまた意識が戻って来て、
あれは父が勝手に飲ませた眩暈の薬が被ったせいだったのかもしれない。
木曜日にGW事情で久しぶりに往診医が来て下さった時、
寝起きの母の(私の支えありでも)歩けない様子を見て
驚かれた様子でしたが、しばらくして覚醒すると
落ち着いて応答していました。
昨日は比較的しっかり歩けていました。

脱力されて全身寄りかかって来られた時の負担はつらいですが
殆ど重さを感じないで済むこともあります。

昨日はレンタルの車椅子が届いた。今までマンションのご厚意で都度貸していただいていましたが、
先週木曜日の買い物でエレベーター乗り場までいつものように介助して歩いた時に
全身乗りかかって来られ、腹に力を入れて何とか車まで運びましたが
いつ転倒するかわからないくらいアブナッカシさで神経がもたないと思うくらい
私も疲労したのです。
押す人は(介助)私しかいないから、簡単に折りたためて車に積み安く
軽いのを希望しました。
シューズなどは実費だけど、車椅子はひと月レンタルで500円というお安さ
母の介護度にもよるのでしょうが
故障した時にはすぐに取り換えていただけるし、便利だと思いました。
昼夜の区別をつけ日々の生活に張りを持たせるためにも、朝夕の顔拭き、化粧水、着替え、
傷みや苦しみが無い限りはできる範囲で戸外や街の空気にも触れさせてあげたいと思うの。

近頃の晩御飯1
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最近は母も常食が食べられるので、一緒に調理して持って行くメニューも
多いです。

旅行の続き

2016年05月10日
宿泊先は陀羅尼助の創設者だそうです。
昔、父が勤務先から林間学校の引率でこの地を訪れ
都度陀羅尼助を買って来ていたのを思い出しました。

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朝食、三月の三笠以来美味しい茶粥をいただきました。

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趣ある和風の部屋、部屋の廊下の丸い窓

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帰り、道の駅で念願の串コンニャクとソフトクリーム
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昼食はお弁当を買いました。

食べ物の事しか書いていませんが、時間に追われて記憶が飛んでしまったような・・・
気分転換できたし、行ってよかったと思いました。


今日は運動して来ました。疲れたけれど気分爽快になりました。

早朝にお惣菜を作る時間がなかったので、冷凍庫の肉などを持参して
マンションで肉の佃煮や肉じゃが、茄子とシーチキンのソテーを作り
いつものことだけど、蒸しタオルを用意して、朝のお薬から飲ませて、
甘い物でカロリーを補ってもらい、
昼食を食べさせて、夕食を作り、
一時過ぎにヘルパーさんが来て下さいますが、
能率よく動いていただくために、私もゴミを集めてまとめたり
汚れた布巾を新しくしたり・・・

父に今夜の夕食の説明しながらメモを残して帰りました。
火曜日は運動で帰りが遅くなるので寸刻みで時間を惜しんで家事するから
母は私がいつもと違って機械的に見えるのか、少しつまらなそうにしていました。

保健介護(看護師)さんが来て下さる時は、実際に病人の母を診ていただくということで、
蒸しタオルの作り方や、身体の拭き方、
私もお湯を汲んだり、タオルを用意し積極的にお手伝いしながら
見て覚えることがたくさんあってとても有意義な時間ですが

火曜日はヘルパーさんにお掃除50分のみのお願いなので
特に学ぶことは何もないんだもの・・・

このところの母の可愛い語録
忘れないうちに明日でも書いてみたいと思います。

7日のこと

2016年05月08日
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7~8日は洞川に一泊旅行、主人に乗せて貰って気晴らしして来ました。
土曜日の朝から両親に夕食用のカレーを炊いて、
マンションに行って母の世話をしてお昼も食べさせてから出発したのですが、
「明日夕方には帰るからお爺ちゃんの言うことをちゃんと聞いてね。
泣かないで待っていてね。」と言ったら
「気をつけて行って来てね。」と笑顔で見送ってくれて・・・よかったのですが、
父から何度も電話がかかり
夕方「もう着いた?」・・・これは道中を心配してくれたと思う
夕食時、着信二回・・・すぐにかけ直したけれど出ない、いつものこと
翌朝電話すると「もう疲れた、すぐに入院させる。」
私の声を聞かずに電話を切ってしまいました。

毎日、自分の時間を犠牲にしてあれだけお世話しているのに、
その言いぐさはないわと思った。昔から父は自分勝手過ぎますし



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到着時に出していただいた葛湯の美味しかったこと!
作り方(分量や溶き方)を聞いて買って帰りました。
母にも食べさせてあげたい。
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十一代目誕生を祝う五月人形が飾られていました。

もう長い事、息子の節句を祝っていません。
そんなことから?今朝息子の(目出度い)夢を見ました。
登場したのは少年の頃でした。

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立派な別室で夕食をいただきました。

5月6日(夕)

2016年05月06日
リニューアルオープンしたというニュースを見て
山麓公園のお風呂に行ったのは四日
緑溢れる風景を見て、例年五月によく似た環境で行われる合宿を思い出し、
何とも複雑な気持ちになりました。
そしてそれ以前に色々蘇る記憶~
子ども連れで来たのは、まだ息子が幼稚園や小学校の頃、
主人と息子がプールに入っている間に、何度かお湯に浸かりに行ったことがあるの。
そして最後に行った時は息子関連の活動関連で、缶詰めの切口で足裏を怪我し、
生まれて初めて救急車で病院に行き手当を受けて一週間後くらい?だったと思います。
サンダル履きで片足をかばい変な姿勢で動いていて、初めて腰を痛めた原因になったと思うの。
でも楽しいキャンプの思い出です。

お風呂、主人にはシルバー割引特典がありました。
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入浴後に入った食道の雰囲気はガラリと変わっていて、
(施設)の方も数人手伝っていたので、ちらほらテーブルが空いているのに、
なかなか客を入れないの。お運びなど能率が悪すぎる~
と最初はイラッとしてしまいましたが、
オーダーした皿を運んで来た方の愛想良い事。
用事を終えた後も始終心底真心を込めた笑顔で何度も丁寧に挨拶・・・
誰だって応援したくなりますね。
でもね、ボランティアで食べに来ているわけではなく、
世の中色々な疲労を抱えて癒しを求めている人も多いわけで、
このような運営内容のレストランである限り、価格をもう少し下げるべきだとは思いました。

GW前
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時折車椅子に乗せるようになった母の目線を意識して見た風景です。

もう最近母の認識力がオカシクなって、この数日間に加速をつけて
昨日両親連れで買い物に出た時に、主人が今の母の症状はレビー小体型認知症だと言った。
調べてみると本当にそれが一番近く、歩き方も小股でヨチヨチ歩く。
持病の癌の痛みを止めるのが一番で、今認知症予防のお薬など飲む意味がないのはわかっていますが、

今日はお風呂に入れていただく日で、父は受診日だったので
保健師さんに近況を報告したり少し専門的なアドバイスをいただいたりした。
帰りがけに言われたことは
「入院を考えていないのであれば、おうちで。。。ということもあります。
その時は必ず往診の先生に連絡すること!連絡がつかない場合は私に電話して下さい。」
と言われたの。
「そこまでは考えていなくて、今意識がはっきりしている間は
少しでも一緒に穏やかに過ごしたい。
今、入院すると、母は独りの時にパニックを起こして
自分が何で病院にいるのか理解できなくて、恐怖を与えるだけ」

父が戻るのが遅くて結局運動しに行けなかったのです。

炊飯器利用の蒸し鶏とご飯を炊いて生姜、ネギタレで味付けしたのを
母は「美味しい。」と感激して食べてくれました。
一生懸命よく噛んで食べていて、脳は先に故障してしまったけれど
まだ生きていてくれると思うの。

シャワーしていただいた後、嬉しそうに微笑んで
「サイダー。」と催促する母がお子様みたいで可愛かった。

最近、行くと私に
「(私)子ちゃんの家はこの並び?ここから見たら動いているのが見えるかな?」
など言うの。
「ベランダから覗いたら危ないよ。」と言いました。
幸い、母の今の筋力では一人で御トイレにも行けないから、
危険なことは100パーセントできないはず。

5月3日(夜)

2016年05月03日
今朝、マンションに着くと、母が和室に寝転んだままワンワン泣いていた。
父が「(私)子来てくれたよ。」と言った。
「お爺ちゃん怖いの。ここに幽閉されてるみたい・・・
(私)子ちゃん、よくここを探し当ててくれたわね。
家に帰りたいよ~」
「おばあちゃんの家はここでしょう?」
「(私)子ちゃんのいる家に帰りたいの。」

昨日は父のディサービスずる休み対策で、朝早くから夕方までいて、
母の夕食のおかずのお皿をテーブルに並べて、父に伝言して帰ったのに
食べなかったらしく、そのまま冷蔵庫にしまわれていた。
薬も飲んでいなかったし、
朝からリハビリパンツを履きかえさせてもらった様子もなく、
パジャマのズボンまで湿っていた。

薬は父が飲まそうとすると嫌がって吐いたらしい。

着替えるのを手伝って、蒸しタオルで涙でぐじゃぐじゃになった顔を拭いて
持参したお惣菜を並べると、母は美味しそうに食べ始め
食べ終えた頃には落ち着きを取り戻していました。

そういえば昨日はご機嫌でしたが、私に
「お子さん何人いてはるの?」とか「旦那さんどんな方だった?」
と改まった口の聞き方をしてギョッとして
「*+さんよ。昨日も一緒に買い物に行ったでしょう?」と言ったら
「ああ、そうやね。」と言ってましたが、
毎日数時間一緒に過ごしてお世話しているのに、
この一週間ぐらいで何事?と思うくらい、認識力が落ち
筋力も比例して脱力していった気がするの。

脊髄中枢がヤラレテ麻痺したかのように見えるのです。

娘が赤ん坊の時に、両手を口に入れて泣いていた表情と被って、
一瞬幼子を見るように笑い、直後、涙とともに母を抱きしめたけれど
理解させるための言葉がすぐに出て来なくて、詰まりました。

今日は主人が草刈りしてくれると言っていたので、
私も片づけを手伝いがてら、生協で申し込んでいたゴーヤの苗を植えました。
一旦家に戻る時に、母にそう言うと
「ゴーヤ植えるの?」と一瞬明るい表情に
毎年この季節に「ゴーヤを植える。できたら料理して食べさせてあげるからね。」
と言っていたのを断片的に記憶しているのかしら?

主人の草刈り労力を労って、少し上等のお寿司を取りました。
父は今日は夜間お弁当配達があるので、母にだけお寿司をおすそ分けするつもりでいましたが、
近隣のスーパーに買い物に出た20分くらいの時間に配達があったらしく、
その時間留守していたことで、実際に届くのはかなり遅くなると言われたの。
今は何事にも対応できなくなっている両親・・・パニックを起こさないように
冷凍庫のホタルイカや胡瓜などをスーパーチラシを参考にキムチサラダを作り、
「こういうの母の口に合わないかも?」と心配しながら
保存していた物と一緒に届けたら、
意外に「美味しい。」と食べてくれました。
ランチの茄子のオリーブオイルで焼いた上にツナ缶やピクルスを交ぜたのと
厚揚げの豆板醤煮も美味しかったらしい。
日々、母の体調を見ながら、調理に神経を使っています。

今日も疲れました。