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パレエ…母

2024年11月05日
バレエ鑑賞をするとまず思い出すのは母のことです。
母は家事もこなしていました。
掃除はわたしより得意だったし、
料理は責任感で栄養ある物を考えて作っていましたし、
収納庫の衣服の整理はセンスが良くて
真似したくてもできないくらいです。

それ以上に母が一番得意だったのは、
表現力分野だと思う。
小学生の頃に、テレビでバレエ鑑賞などしている時は、
そばに来て身振り手振りで解説してくれた母。
若い頃に演劇をしていただけあって、
「眠れる森の美女」では、魔女に扮して、
大振りのジェスチャーつきで登場シーンを説明、
あまりに魔女らしくて、わたしと妹は笑い転げていました。

お城の舞踏会で王妃が優雅に座っている様子も、
扇子などで仰ぎながら、説明してくれて、
当時の母には、その役がピッタリだなと
子ども心に思っていました。
そして主役のお姫様は、心の中も全て、
この世で一番美しい存在として、表現した母。

解説を受けているわたしも、御伽話を聞くように、
イメージを膨らませて、幸せな時間でした。

亡くなる数十日前頃に、
母が、「外国の学校でダンスを指導している
夢を観た。」
と言った時に、
それらの出来事を走馬灯のように、
思い巡らしていました。

娘は三歳からバレエを習わせていて、
活発だった本人も気に入って上達も早いでしたが、
発表会の時など、わたしが息子に手を取られたりして、
付きっきりになれなかったりすると、
ひとりで一生懸命に説明を聞いて、
待機していました。
優雅な思い出というより、しんどさが
上回っているのかもしれません。

十一月は、会社で新たに二人採用するから、
忙しさはましになるはずだと言うのです。
管理職といっても、娘も採用してもらっている立場のはずです?

鳥たちの

2024年09月13日
娘から「文鳥の写真送って。」
とLINEがあったので、昔、鳥の生育記録用に
作っていたアルバムを直撮りしたので、
ところどころ見難いです。

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新聞紙のチラシに一度だけ投稿したのがありました。

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発表会に弾く(花のワルツ)を練習中
ピアノの音色が大好きな小鳥たち!

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ヒナの胡桃がやって来た頃、
見守る合歓(後の伴侶)と文鳥の琴
を管理するリーダー的なピメ
我が家のトリファミリーの歴史の始まり

この頃が一番楽しかったな。

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オカメインコ合歓♀と胡桃♂が
ラブラブになった頃
当時は昼間も放鳥していた事があって、
電機修理か何かで、業者が部屋に入って来られた時に、
心配してピアノの上にいた合歓を追っかけて、
「ちゅきよ!」と告った胡桃でした。
この子達に別れが来る時があるとすれば
どちらかの死、
そんな悲しいことは考えたくもなかったです。
月日の流れ…涙
亡き合歓と胡桃は薔薇♀桐♂芽葉映♂達の親でもあります。

知らなかったこと

2024年07月11日
このところ厳しい紫外線に晒されていたので、
久しぶりの雨にホッとします。

今日は懐かしい写真
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先月に父の部屋で見つけた一枚の葉書で、
娘が中学時代に、PHS?を購入した父に
分かりやすく説明したのかな?
娘は一番最初はポケットベルを使っていたし、
わたしはいきなりガラケーを使ったので、
正確には↑の葉書が何のマニュアルなのかは
分からないのですが、
最初父が使ったのはPHSだったと思うのです。

父の部屋で娘が祖父母宛に買いた葉書や
手紙が複数あって、ビックリしました。

また長文ですが

2024年07月07日
最近ハマっているシャーベット

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手前のザクロの黒酢ビネガー氷です。
初夏にブルベリーの黒酢ドリンクを好んで飲んでいて、
まだ残っていますが、猛暑を乗り切るためには
酸味のある爽やかなアイス類やドリンクは欠かせないです。

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昨日の受粉も成功!

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次々に収穫を待つゴーヤ1の細長ゴーヤです。
右側の見えない先にもより大きいのが二個あります。

他のゴーヤも
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一週間くらいで収穫できるかな?
他にも一度に確認できていませんが、
あちこちに生育し始めたゴーヤが、
今年は豊作です。



妹の孫(上の男の子)が、期末テストで学年で
一番をとったらしい。
乳幼児期はニコニコ顔でおっとりしていて、物静かで、
姪の旦那さん(パパ)は日本人離れしたモデル体型でモデル顔で、
その男の子も顔はそういう感じ(笑)
運動クラブが忙しいから塾には行っていないそうです。
父のお通夜の時に、姪一家はお仕事事情で
遅れて着いて、
妹夫婦達と控室に設置されていたモニターを通して
お子達二人が父を供養するのを見て、
その様子に心を打たれて、感動するくらい、
神妙で健気でした。

父の介護の事で、一時期、妹に不信感を持った時期があったけれど(距離的なことや、
コロナ禍のことや、理由はあったけれど)
姪の子を見て複雑な思いが全てぬぐい払われたされたくらい、
すくすく育っていると思ったのです。
クラス皆の自由研究?(よく知らないけど)では、
NHKと民放テレビの方の質問にも
代表に選ばれて答えていました。
あの大人しい子が?とビックリしたくらい。
通夜の後、葬儀会館で注文した仕出料理を
ひとり黙々と食べていて、話しかけたら、
ただニコニコと愛らしい笑顔を返していたお子、
わたしが妹に話しているのを聞いて、
一言「おじいちゃんの問題集が欲しいな。」
と言ったので、

色々な片付け作業を始める前に、
一番に数揃えて妹に渡しました。
父が生きていたらさぞかし喜んだことでしょうね。

懐かしい写真

2024年06月25日
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妹の中学生の頃
大阪から奈良に引っ越しして初めて自転車を
買ってもらい、お互い乗り回していた頃だと
思います。
わたしはよくニュータウンから出て、
旧村や国道に沿って、寺社まで出かけていました。
一度、国道から畑に自転車ごと落下して、
咄嗟に上手く着地できて、
膝のかすり傷だけで済んだ記憶があります。
妹はニュータウン内を走り回っていたのかな?
この時は父も一緒だったのでしょう。

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実家の近くにあった薬局の前で
妹に付き纏っていた娘と
娘はこの後バレエを習い始めて、
成果が素晴らしく、日増しに洗練されて行きました。

このスカートはわたしの手作りです。

大雨中

2024年06月18日
昨日の朝、ゴーヤにいたカマキリです。

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成長していました。




懐かしい写真

昨日も父の部屋の片付け、主人が定期検診に
行っている間、三時間以上粘りました。
最初埃っぽくて近寄りたくなかった父の書斎ですが、
今では父の書物を捜すのが楽しみなくらい。

たいていは難しい本ばかりで
昭和に古本屋で購入した明治時代の古書もあるけど、
前回持ち帰ったのは、
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孫の要らなくなった本かな?
わたしは幼児時に、父方の祖父母から童話全集を買ってもらっていて、
毎月のように増えて行くものでした。
その中の一冊がアラビアンナイトで、幼心に
異国を体感したような、不思議な世界に触れた気がしました。

父の部屋には、比較的新しい年代の物が
四冊ありましたが(一冊は日光干し中)
文字も大きいし、比較的読みやすい。

娘の中学時代

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お正月に旅行した時に従姉妹(妹の子)と

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高校合格祝いに、父が四人を中華料理に
招待してくれた時です。
年末に主人が税理士合格、年明けに舅が亡くなり、
母は大学病院に入院中でした。

一見地味に見えるけれど、この頃の娘の雰囲気が
一番好きかも?

昨日も午前中はひとりでマンションの片付け、
父の書斎の物は目を通してから、
持ち帰る物を選んで、他はゴミの日や
個人情報に関する物は一旦持ち帰って、
処分する物もあります。
一番散らかっている父の部屋だけど、
書物を整理している時は、対話しているような気がして、
落ち着きます。ここでひとりで過ごす時間は貴重。

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以前掲載した職場での父の写真を集めたものより、
もっと古い、主人も生まれていない頃の写真がありました。
この頃の父の雰囲気は好き。

同じ頃の学級の様子を書いた日記も残してあって、
(当時は、食に困る生徒さんが複数いて、
夏休みの補習日に、そのメンバーが来たら
アイスキャンディーを買い与えたり、
家庭事情のあるひとりには絵の具セットをプレゼントしたり、
昔は父兄の目は緩かったのかしら?
クラス分けの時には、やはり来て欲しい生徒はいたみたい。
成績優秀でリーダーシップをとれるひとりは
他クラスにとられて、
もうひとりは父のクラスに決まり、
大喜びして、学級委員に指名もしたけれど、直ぐにそのお子が病気で数ヶ月休学した時、父はかなり落胆したようです。

他に印象残る事は、叔母(父の妹)が読み終わった
少女雑誌を学級文庫に寄付して
浮いたお金で、男子生徒用に専門書を購入して、
学級文庫を潤していた。
当時は男子の教育により力を入れていたのだと思います。

父の手帳に挟まれていたもの

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佐藤栄作さんが若かりし頃に
祖父(父方)が印刷したらしい。
そういえば昔見せてもらったことがありました。

母の引き出しには

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妹の母子手帳と臍の緒が大事にしまってありました。
わたしは早くに受け取っていました。
妹に知らせたら、
「臍の緒は菌がついていそうだから、
ゴミ処分してね。」ですって!
大切にしてくれていたことがわかれば
それでいいそうです。

誕生日だった

2024年05月22日
月曜日の午後にひとりで父の部屋を
片付けていて、
デスクや本棚にしまいきれないらしい
収納ケースや、袋に入れて散らばっていた物を
目を通しながら残したり、処分したりを
まだ続けていますが、
アルバムだけでも物凄い冊数なのに、
貼りきれなかった写真類の多いこと、

これは最初に持ち帰って写したものですが

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クラブ指導に情熱を燃やしていた時期
わたしが生まれる以前からだったり、
わたしの知らない頃の父の顔

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↑昭和の何年頃なのかはわかりませんが、
父は進学指導には功績があって、
特に資料の分析が得意で詳細にグラフを書いたりしていました。
昔はよくご父兄が進路の相談事で家に来られたりして、
子ども心にも、受験って人生の一大事というくらい、
大変なんだなと感じたくらいです。

たまに父の助言を無視して、
他を受験して不合格になる生徒さんもいたけれど、
分析予想した枠内を選んだ方は
合格されていたらしい。
わたしはどこでも合格圏内にはいましたが、
内申書を考慮すると、
体育は普通、美術はやや良い程度だったので、
自身で控えめな判断をしました。
現実に、わたしの人生に学力はあまり影響しなかったかな?
判断力や忍耐など間接的には役に立ったと思うのだけど、
反省すべき事はいくらでもありますわ。

父兄からの贈答品を父は固く辞退していて、
送って来る物も、いちいち母がお繰り返しに行っていました。
とても潔癖な人でしたを
上の記録は、時代は違うけれど、わたしの進学校区と
かぶっていたりするので、目を引いたのです。

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父の引き出しに折らずに入れてあった台紙を
見つけて、

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折ってから、何で父はこれをわざわざ残していたのだろう?
と不思議に思いました。

その日は、やたら父の事が思い出されて、
夜に、20日は父の誕生日だったと気づいたのです。

ゴーヤ追加

2024年05月02日
先日コメリにゴーヤの苗を買いに行った時は、
残り五つから生育の良さそうな三つを購入、
植物の苗は火曜日と金曜日に入荷する
と聞いて、水曜に朝一で電話で尋ねたら、
ゴーヤは入荷しなかったと言われた。
生協横のホームセンターに行くと、
多種類のゴーヤの苗がたくさんありました。
アバシゴーヤを一つで良かったのだけど、
たくさん実のなる…品種も一つ購入しました。
長年のゴーヤ歴で初の五つ植えです。

昔はそこのホームセンターで買うことが多かったのですが、
この数年タイミング的にGWの時の苗が少なくて、
他で買うことが多いでしたが、
昨日は今年初めてというくらい、
多種類のゴーヤの苗を見て嬉しかったです。
そしてオカメインコの芽葉映が好んで啄む
ミネラルサンド(砂)も、界隈ではここにしか
売られていないので、あるだけ買い占めたい。

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といってもいつものように二袋しか
なかったです。

ごーや、昨日は雨続きだったので、
残り二つは今日植えるつもりです。

そしてゴーヤ用のプランターを
最初に数揃えて買えば良かったと思う。
父がマンションに引っ越して来た時に、
実家の庭にあったプランターや素焼きの鉢をどっさり引き取ったのを
片っ端から使っているので、
我が家のプランターはいつも不揃いです。




懐かしい写真、今日は幼い頃の妹

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大人しくて頼りなげだった妹が、
パズルや積み木遊びを通して
初めて自信を持ち始めた頃らしい。
わたしにとっての妹の全ては
この頃が原点というくらい、印象強いです。
この写真を見ると姪の子を思い出します。

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意外な‼️

2024年04月26日
火曜日の事ですが、本姐様が
80歳過ぎたらスポーツジムに入会できないから、
長くお休みする時は、退会せずに
休会という形で、 会費を払い続ける必要がある
と言われたの。
ビックリしていたら、本姐様も前日に知ったばかりだと、
後ろを指差して「あの辺全員やわ。」と言われた。
「えー〜ショック。」
「あんたまだまだよ。関係ないやん。」と言われるから
「姐様方を心配しているんです。」と言いました。
新友やダンス友、わたしも別として、
昔からの常連では、友人1さんや、
本姐様以外の全員が該当するではないですか。




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父のマンションで片付けたテーブルの上に
あった第九絵文字のチケット
わたしも出場した時に、体調を崩した母の代わりに、
たった一度だけ、父が聴きに来たことがありました。
その時は、
「オーケストラばかりで合唱部分が少ししかない〜」
とつまらなそうに言って、
母は「そういう合唱で有名な音楽なの。」
と呆れていました。
その翌年の定期コンサートは、 
また母が聴きに来れたのですが、
2015年代からの郵便物に混じって、
それ以前のチケットが残してありました。 
あの時も、父は杖利用で、楽屋近くで迷っていて、
本番のかなり前に団員さんに知らせていただき、
父を誘導した記憶はあります。

片付けながら

2024年04月25日
昨日はマンションの片付け
マガジンラックやソファーテーブルの上に積まれた
書類を処分、気になるものを残して
主人にチェックしてもらうので見逃せない。
義兄からの会社のパンフレットや
2016.2017年年賀状や、
デイサービスに通い始めた頃のお便り類、
母と過ごした最後の年にデイサービスに通い始めて
クイズやゲームなどで抜群の成績だったと
得意そうだった父、
最初に入居した施設でコロナ禍を理由に
外のデイサービス通いが禁止になった時は、
がっかりしている父を見るのが辛かった。

喜んで通っていた時期も、時々お迎えを断ったり、
気分にむらがあるように思っていたけれど、
父の五年日記を読むと、直前に鍵が見つからなかったり、
目眩がしたり、全部正当な理由があったことが裏付けられました。
物盗られ妄想以外は、父は問題はなかった。

その後、勤務時代の卒業アルバムの、
クラブ写真を一部切り抜き、
父編集の家族アルバムが何冊もあって、
ちょっと悩み中、
ざっと目を通して処分する物を選り分けたけれど、
後からやはり残しておきたい気持ちになった。

参考書や公式集を出すほどの父だから、
編集が見事で、そのまま捨ててしまうのは
惜しい。
携帯で一部写した画像を妹や娘に送ると、  
母の写真がもっと欲しいと言いました。

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結婚式、披露宴の時の母
これらは他の方の撮影ですが、

時々載せていきたいと思います。
身内は父の功績をもっと評価してもいいと思う。
と思うと、父が残した思い出のアルバムは捨てきれない。

夢から

2024年03月25日
父の夢を見ました。
父と、わたしと、もう一人は、妹のような、
年齢差を考えると、娘なのかもしれない。
母が病院か何かで居ない日のようでした。
三人で食事に行く途中?
服を買ってもらおうとしているわたし、
オーソドックスな秋色の縁が紺色(緑)
のバイアス飾りで、
偶然、選んだ上着の縁飾りとお揃い。
まるであつらえたよう。
ついていた小物を髪飾りにしようと、
楽しい雰囲気。
現実には、わたしの買い物は
母が専属というくらいで、父と行った記憶は
ありません。
わたしは物を強請る子ではなかったです。

介護に関しては悔いはないというか、
あれが精一杯だったと思うけれど、
父が元気だった頃に、
もっと理解してあげれたのではないかしら?
ああすれば、こうすればよかったと
思うことがあります。
娘が生まれてからは
「おじいちゃんも大好き!」と懐き、
父も目に入れても痛くないくらい、
可愛がっていたので、
親孝行できたと思うことはあります。

リアル父の記録では、戦争前に母が韓国に
行った理由は、
関西学院大学出身の祖父が教頭募集に応募したからで、
北に近いチョンジュという所だったとか、


母は綺麗で充分魅力的だったけれど、価値観のずれもあって、
当時父は母の魅力がわかっていなかったのではないかしら?

叔母と伯父

2024年03月04日
叔母(父の妹)の結婚式の時の写真です。

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母が残した小箱の中に、
この写真も入っていました。
お二人とも健在です。

わたしの最初の叔母の記憶は
妹が生まれた時に、多分祖父母に連れられて、
病院に見舞いに行った時だと思う。
赤ん坊を見た記憶は残っていませんが、
帰り際に泣いたことは覚えています。

祖父母の家に戻ってから、
二階のソファー兼アトリエで、
祖父母や叔母たちと風船を突いて遊んで
もらっていました。
叔母はソファーに腰をかけたまま、
足で風船を突き返して、
映画のワンシーンのように、残っているのだけど、
後から叔母に話して確認しても、
叔母は知らないと言うのです。
妹が生まれた頃は、叔母は結婚していたと、
祖父母と叔母は同じ区内に住んでいたから、
母を見舞いついでに、里帰りしていたかも
しれないし、
私は確かに覚えているのです。

叔母が赤ちゃんを生んだ時に、
母と妹と三人で見舞った記憶はあります。
妹も一緒に行ったということは、
二人めの従姉妹(上は男の子)ということらしい。

部屋には複数いて、見知らぬ女性が
水薬をスプーンに注いで飲んでいた。
初めて見る水薬の色でした。

叔母は和かでした。
せっかく行ったのに、挨拶してすぐに
帰るのだと思った。
病院はそういう所でした。

伯父に関しては、家族や従兄弟とドライブに
連れて行ってもらった記憶から
車を停めてチューインガムを買いに行かれる時に、
「色々入っているものがいい。」とリクエストして、
母に嗜められた。
幼心に、伯父はお金持ちで気前がいいと
インプットされていました。
伯父は当時流行っていた、
多種類のお菓子が箱詰めされているのを、
子どもの人数分買って来てくれました。
一台の車に乗っていました。
あの時何人いたのだろう?
叔母と従姉妹は留守番だったかもしれません。

思い出したので

2024年02月27日
先日のクラス会の会場のホテルが
結婚式を行った場所だったので、
懐かしい写真をアップします。

収納庫のアルバムにはたくさんあるけれど、
重複して母がしまっていた写真から

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左から姑、舅

良い時代だったのでしょうが、
こんな盛大な式を挙げることを、
当日までは意識していなかったです。
友人たちの中で、一番早くに結婚したわたしは
結婚式に行ったことがなかったのです。
正確には、子どもの時に
真ん中の叔父の式に行ったらしいけれど、
また違っていました。

昨日は少し長く父のマンションの片付け
一箇所の収納庫の写真類を分けていて、

母は娘時代の写真は全部捨てたと言っていて、
いつもながらドライだなと思っていたけれど、
少し残していて小箱の中に、大切に仕舞われていました。

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右端が母
高校時代演劇部だった母、

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両親の新婚旅行

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後輩たちにいただいたラブレターみたいな
手紙類

これらは残しておきたい。