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意外な‼️

2024年04月26日
火曜日の事ですが、本姐様が
80歳過ぎたらスポーツジムに入会できないから、
長くお休みする時は、退会せずに
休会という形で、 会費を払い続ける必要がある
と言われたの。
ビックリしていたら、本姐様も前日に知ったばかりだと、
後ろを指差して「あの辺全員やわ。」と言われた。
「えー〜ショック。」
「あんたまだまだよ。関係ないやん。」と言われるから
「姐様方を心配しているんです。」と言いました。
新友やダンス友、わたしも別として、
昔からの常連では、友人1さんや、
本姐様以外の全員が該当するではないですか。




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父のマンションで片付けたテーブルの上に
あった第九絵文字のチケット
わたしも出場した時に、体調を崩した母の代わりに、
たった一度だけ、父が聴きに来たことがありました。
その時は、
「オーケストラばかりで合唱部分が少ししかない〜」
とつまらなそうに言って、
母は「そういう合唱で有名な音楽なの。」
と呆れていました。
その翌年の定期コンサートは、 
また母が聴きに来れたのですが、
2015年代からの郵便物に混じって、
それ以前のチケットが残してありました。 
あの時も、父は杖利用で、楽屋近くで迷っていて、
本番のかなり前に団員さんに知らせていただき、
父を誘導した記憶はあります。

片付けながら

2024年04月25日
昨日はマンションの片付け
マガジンラックやソファーテーブルの上に積まれた
書類を処分、気になるものを残して
主人にチェックしてもらうので見逃せない。
義兄からの会社のパンフレットや
2016.2017年年賀状や、
デイサービスに通い始めた頃のお便り類、
母と過ごした最後の年にデイサービスに通い始めて
クイズやゲームなどで抜群の成績だったと
得意そうだった父、
最初に入居した施設でコロナ禍を理由に
外のデイサービス通いが禁止になった時は、
がっかりしている父を見るのが辛かった。

喜んで通っていた時期も、時々お迎えを断ったり、
気分にむらがあるように思っていたけれど、
父の五年日記を読むと、直前に鍵が見つからなかったり、
目眩がしたり、全部正当な理由があったことが裏付けられました。
物盗られ妄想以外は、父は問題はなかった。

その後、勤務時代の卒業アルバムの、
クラブ写真を一部切り抜き、
父編集の家族アルバムが何冊もあって、
ちょっと悩み中、
ざっと目を通して処分する物を選り分けたけれど、
後からやはり残しておきたい気持ちになった。

参考書や公式集を出すほどの父だから、
編集が見事で、そのまま捨ててしまうのは
惜しい。
携帯で一部写した画像を妹や娘に送ると、  
母の写真がもっと欲しいと言いました。

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結婚式、披露宴の時の母
これらは他の方の撮影ですが、

時々載せていきたいと思います。
身内は父の功績をもっと評価してもいいと思う。
と思うと、父が残した思い出のアルバムは捨てきれない。

夢から

2024年03月25日
父の夢を見ました。
父と、わたしと、もう一人は、妹のような、
年齢差を考えると、娘なのかもしれない。
母が病院か何かで居ない日のようでした。
三人で食事に行く途中?
服を買ってもらおうとしているわたし、
オーソドックスな秋色の縁が紺色(緑)
のバイアス飾りで、
偶然、選んだ上着の縁飾りとお揃い。
まるであつらえたよう。
ついていた小物を髪飾りにしようと、
楽しい雰囲気。
現実には、わたしの買い物は
母が専属というくらいで、父と行った記憶は
ありません。
わたしは物を強請る子ではなかったです。

介護に関しては悔いはないというか、
あれが精一杯だったと思うけれど、
父が元気だった頃に、
もっと理解してあげれたのではないかしら?
ああすれば、こうすればよかったと
思うことがあります。
娘が生まれてからは
「おじいちゃんも大好き!」と懐き、
父も目に入れても痛くないくらい、
可愛がっていたので、
親孝行できたと思うことはあります。

リアル父の記録では、戦争前に母が韓国に
行った理由は、
関西学院大学出身の祖父が教頭募集に応募したからで、
北に近いチョンジュという所だったとか、


母は綺麗で充分魅力的だったけれど、価値観のずれもあって、
当時父は母の魅力がわかっていなかったのではないかしら?

叔母と伯父

2024年03月04日
叔母(父の妹)の結婚式の時の写真です。

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母が残した小箱の中に、
この写真も入っていました。
お二人とも健在です。

わたしの最初の叔母の記憶は
妹が生まれた時に、多分祖父母に連れられて、
病院に見舞いに行った時だと思う。
赤ん坊を見た記憶は残っていませんが、
帰り際に泣いたことは覚えています。

祖父母の家に戻ってから、
二階のソファー兼アトリエで、
祖父母や叔母たちと風船を突いて遊んで
もらっていました。
叔母はソファーに腰をかけたまま、
足で風船を突き返して、
映画のワンシーンのように、残っているのだけど、
後から叔母に話して確認しても、
叔母は知らないと言うのです。
妹が生まれた頃は、叔母は結婚していたと、
祖父母と叔母は同じ区内に住んでいたから、
母を見舞いついでに、里帰りしていたかも
しれないし、
私は確かに覚えているのです。

叔母が赤ちゃんを生んだ時に、
母と妹と三人で見舞った記憶はあります。
妹も一緒に行ったということは、
二人めの従姉妹(上は男の子)ということらしい。

部屋には複数いて、見知らぬ女性が
水薬をスプーンに注いで飲んでいた。
初めて見る水薬の色でした。

叔母は和かでした。
せっかく行ったのに、挨拶してすぐに
帰るのだと思った。
病院はそういう所でした。

伯父に関しては、家族や従兄弟とドライブに
連れて行ってもらった記憶から
車を停めてチューインガムを買いに行かれる時に、
「色々入っているものがいい。」とリクエストして、
母に嗜められた。
幼心に、伯父はお金持ちで気前がいいと
インプットされていました。
伯父は当時流行っていた、
多種類のお菓子が箱詰めされているのを、
子どもの人数分買って来てくれました。
一台の車に乗っていました。
あの時何人いたのだろう?
叔母と従姉妹は留守番だったかもしれません。

思い出したので

2024年02月27日
先日のクラス会の会場のホテルが
結婚式を行った場所だったので、
懐かしい写真をアップします。

収納庫のアルバムにはたくさんあるけれど、
重複して母がしまっていた写真から

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左から姑、舅

良い時代だったのでしょうが、
こんな盛大な式を挙げることを、
当日までは意識していなかったです。
友人たちの中で、一番早くに結婚したわたしは
結婚式に行ったことがなかったのです。
正確には、子どもの時に
真ん中の叔父の式に行ったらしいけれど、
また違っていました。

昨日は少し長く父のマンションの片付け
一箇所の収納庫の写真類を分けていて、

母は娘時代の写真は全部捨てたと言っていて、
いつもながらドライだなと思っていたけれど、
少し残していて小箱の中に、大切に仕舞われていました。

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右端が母
高校時代演劇部だった母、

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両親の新婚旅行

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後輩たちにいただいたラブレターみたいな
手紙類

これらは残しておきたい。