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復活

2024年01月31日
昨日はしっかり運動して、お喋りも賑わいました。

12月から1月にかけて心配した血圧上昇、
140以上のあれは何だったの?というくらい
昨日は暖か日和ということで100と69
先週寒い日も120くらいでした。
脈拍は108、これも少し落ち着きました。
原因は、父のこととか、塩分?
他には考えられません。

アレルギー痒み止めのお薬を飲み忘れ、
一日おきの服用から再開。
スギ花粉時期に入ったそうです。

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昨夜はハヤシライス
トマトジュースとブイヨンとケチャップ、
ローリエやソースで味付け、
たまにはこういうのも美味しい。

今日は久々ぶりにyouさん達とランチに
出かけます。
昨夜急に誘われて、わたしも気晴らししたかったので、
思い切って参加することにしました。

原因は何かな?

2024年01月30日
午前中から陽が差しているのは、
久しぶりな気がします。

今アレルギー痒み止めのお薬は三日に一回服用しています。
去年は一日置きで、三日に一回にした頃から、
入浴時に、膝に発疹が見られることがある。
痒みはあまり感じない、細かい発疹。

蕁麻疹でも、酷い痒みを伴う、
蚊に刺されたような、
プツッと一つの発疹から始まる時と、
三日麻疹の時のような細かい発疹と二通りあって、
明らかに後者の細かいもの。

前回お薬をいただきに行った時に、
慢性のように膝に残っている発疹の出元
の二個を見せたら、
特に問題はないと言われました。
それを放置していて、たまに果物の量によって、
少し広がりかけたり、すぐに腫れが引いたり、
気にならない程度なので、免疫力に任せていましたが、

昨日の夕飯は、鍋にカニを入れました。
一年に一度くらい年明けにいただく事が多い。
海老にアレルギーがあると分かった時に、
カニでも調べていて、カニには無反応だったはずで、
それでも量を考えて、食べ過ぎないようにしていました。

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昨夜は、甲羅に触らなくてもいいように、
野菜を片付けた後でむき身を炊きました。
こういう食べ方は初めて。
ちょうど三日に一回のお薬の日だったので、
飲みました。

夕食後の二時間後くらいに
お風呂で温まったら、発疹が膝から、
腿下辺りまで広がりかけていたので、
一年ぶりくらいに、塗り薬を使用しました。

今朝はひいているけれど、
こういう時は三日くらい続けて、
服用した方がいいのかしら?

運動は通常通りにする予定です。
原因はカニだったのか、最近多種類いただいていた
フルーツとか?

二年くらい使用していなかった足裏懐炉
(消費期限は過ぎているでしょうが)
もったいないので、二日ほど貼っていました。
腹部には、毎年寒い時期は貼ったまま眠っています。

帰りに小雨

2024年01月29日
昨日は今年初の長距離散歩しました。
殆どの道はニュータウン内で
8000歩以上歩きましたが、
スーパー近く以外の道で人を見なかったです。

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この公園は一年以上ぶりではないかしら?
去年年明け初の外出中に、
父の施設から呼び出し電話がかかったりで、
この一年間を覚悟した気がしていました。

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これは一昨年12月ですが、東寺の前でサギを見ました。
鶴でなかったので、縁起的にどうなのか?
って考えていました。

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昨夜はおでん!
この一年間何度おでんをリピートしたことかしら?

昨日はスーパーで食材の買いだめと、
ホームセンター、
スーパーの割引券を三枚使い果たしました。

スーパーに買い物に行くと
毎日のお惣菜材料以外に、主人もカゴ一つ持って、
ココア缶入りやお餅袋入り、トマト箱買いなど、
それぞれ買う物があるから、大量買いになってしまう。

でも男の人の買い物って偏りがあるというか、
親戚から果物が送られて来た直後に、
少しお安くなっていたからと苺を買って来たり、
他の物も安ければ、残量に関係なく買って来たりするから、
何か不経済な気がします。

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この間道の駅で買って来た「黒蜜きな粉棒」の
残ったきな粉利用で、きな粉餅を食べました。
この美味しさは節約ではなくて、
優雅だと思います。
自分できな粉餅を作ると、砂糖の量が
気になって中途半端な甘さになるから、
こういう時は、美味しくいただきたい。

またおでんが食べたくなったので、
今夜はおでんを炊きましょう。

昨夜、二階から若草山の山焼きが
見えました。
主人が気づいて知らせてくれました。
三十年間住んでいて初めて知りました。
元部屋の住人の娘も知らなかった。

スポーツジムでLINE便りをよく下さる姐様方に
画像送信したら、
友人1さんから、観光一等席並みの
素晴らしい山焼き画像をいただいた。
近くに住んでいらっしゃるのですが、
マンションのらベランダが良い方向にあるなと
羨ましくなるくらい素晴らしい光景でした。

血圧は安定した

2024年01月27日
昨日は寒すぎて、いじけてしまいそうだったけど、
気合いを入れて運動して来ました。
行ってみると、高齢者たちが大勢
頑張っていらっしゃいました。
皆さん根性あるわ。

ダンスは毎月新曲振り付けがあって、
昔流行った曲だけど、今までと違う振り。

一時の高血圧が嘘のように、安定していますが、
いつ測っても心拍数は110はある。
塩分を控えたら血圧はすぐに安定したから、
お薬の必要はなかったですが、
先週、脱衣所でどなたかの携帯着信が鳴って、
数十秒間フリーズしてしまった。
「病院からの呼び出しかと思った。
あるわけ無いのに…。」

スポーツジムでは、父のことは意識外に
あるのだけど、
着信音だけはまだ怖いです。

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たまに観る番組「家事ヤロー」のレシピ利用

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水菜とカリッと炒めた豚肉の和物

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飛躍するけど

2024年01月26日
子どもの頃から女性週刊誌は一度も買ったことがない。
母もそうだったし、父はたまに
週刊新潮のような類は買っていました。

昔、耳鼻科や美容院で週刊誌を読んだことはありますが、
今地元で行きつけの美容院や歯科医院には、
 それらは一冊も置かれていなくて、
婦人画報類やタウン誌や、
(歯科医では、以前はサザエさんの単行本や、
外国の風景写真集)

だからダウンタウンの方の記事も
全部把握できていないままですが、
ネット記事を読むのも眼が疲れますから。
何で今頃なのだろう?

事実の是非はともかく、
糾弾的な内容の記事は
受け付けられない体質です。

政治のことや、今は地震災害のことから
国民の気を逸らさない方がいいと思うのだけど、
スポーツジムでは、そちらの話ばかりだし、
地震募金はどの団体にするのが良いかとか
考えないといけない事ばかり。

先週瀬戸内震源の地震が初めてあったと妹が
慌てていて、
ホームセンターで五年有効の保存食や
簡易コンロなどの話をしていました。

世の中の役に立つ記事を増やして欲しい。
使命感を持つ記者さんが増えればいいのに、

朝の陽が明るい日はホッとします。
数日前に庭でこの季節特有の花の香りに
気がつきました。

去年12月から咲き始めた夢の花
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水仙はまだ蕾み

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野鳥の食いつきが良くないのか、
早くから実をつけている千両の実が
まだ残っています。

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レモンの木は大きく成長しました。

何の香りだったのかしら?
その香りで思い出すのは、
幼い頃に父が水栽培していたヒヤシンス
大阪に居住していた頃、和室のテレビ台に置かれていました。

新春のヒヤシンスの香りを全身で感知していた。
結婚してから、マンションに居た頃に
一度水栽培をしたことがあって、
また試みたいのですが、今年も忘れていました。
庭で咲かせるよりも、早い季節に咲くから、
春の香りにより心ときめく花です。

昨日は、道の駅に行って、食材の買い物をして、
葬儀の時の花々が枯れて来たので、
仏様の花は新しくしました。
もう一つは、枯れない飾り花にしようかな。

道の駅は苺パフェメニューが開始していました。
2500円.年々値が上がっている。
苺が23?25?個盛り付けられるとあって、
ちょっと多すぎると思い、注文しなかった。
有名な苺パフェですが、初期の頃に
スポーツジムのインストラクター情報で、
一度食べたきりです。
最高に美味しいと思った。
あの頃の量がちょうど良かったな。
ミニ苺パフェがあれば、迷わず注文するのに。

昨日も

2024年01月24日
昨日は友人1さん2さんや、
コロナ禍後に親しくなった方達や
多人数でお喋りしていました。

先週1さんをお見かけしないと思ったら、
立て続けに叔母様お二人が亡くなられたそうで
年末年始にかけて、本姐様といい、
友人5さんの旦那さんも
追突事故に巻き込まれたり(幸いご無事でしたが)
きわめつけは元旦の能登方面の地震です。

昨日の帰りのバスの中で、今年二度目に
出会った小母様と話しながら、
日が差し始めた窓の外を眺めながら、
明るい光に癒されると話していました。

スポーツジムを出る前に、階段で小父様と
バッタリ出会って、長い間父について話し込みました。
小父様は健康についても参考にされたいのだ
と思う。
昔よりずっとお元気そうで、
気功や合唱面で向上されて
良い影響ばかり受けていらっしゃるのだと思う。
ある意味、超越されたものがお有りなのだと
思いますが、

話している間に、次々階段を登って来たり、
帰る方たち、皆さんに挨拶されていて、
都度
「いらっしゃーい。」とか
多種多様なノリで挨拶を返されていた。
ちょっと他では知らない感じ。
ご近所でなければ、話す機会もなかったかもしれない。

思い出の続き

2024年01月23日
昨夜の放鳥タイム
出遅れた芽葉映を誘いに行く桐

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そのまま芽葉映のカゴに入るから、
餌替えのタイミングで餌入れごと取り出したら、
慌てて出て来ました。
(隣の餌は美味しく)見えるらしい。




父方の祖父母の家の記憶は
最初台所は二階の応接兼用、 
祖父のアトリエの
続きの小さな居間にあり、簡単なテーブルセットがありました。
祖母が料理するところをあまり知らなくて、
小さな泡立て器のようなもので、お米を研ぐのは、
見た記憶があります。きっちりした手つき。
覚えているのは、千切りキャベツにケチャップをかけた物。
偏食で何も食べないわたしに困り果てて、
即席で作ってくれたのかもしれないけれど、
甘味があるから、食べられたのだと思います。

その後、気づいたら、祖父母の家は
リフォームされていて、
一階の通りに面した明るい窓のある所に
台所ができて、屋上が作られた。
洗濯物を干す祖母に連れられて、
祖父のアトリエに通じるドアを開けて、
狭い木で作られた階段を登って屋上に行く時、
木の壁にも、太陽の熱気が伝わって、
蒸し蒸ししていた。

屋上から、あちこち眺めたかったけれど、
お向かえの家をじろじろ眺めてはいけないと、
祖母に注意された。
その屋上で、祖父母宅の隣のカメラ屋の
男の子とままごと遊びをした記憶があります。

後に高校二年生の同級生が、
そのカメラ屋の息子さんだと判明するのだけど、
記憶している顔と全然違うので、変だと思った。
幼い頃に遊んだのは、その同級生のお兄さんのようでした。

そして同級生の方は、とても物静かな方で、
会話する機会は一度もなかったです。

まだ寒いし

2024年01月22日
一昨日は、満中陰の品を選びに行きました。
電話で問い合わせたら、
母の時に利用したデパートでは、現在は
そのサービスを行っていないと言われて、
隣市のデパートに出かけました。

海鮮の店でランチして、
わたしは刺身つきのしらす丼
主人は牡蠣フライ定食、
駐車場の時間が気になるので、
お店を移して食材の買い物をして、お茶しました。

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まだお寒いし、雑用に追われていて、
長時間の外出はできていません。

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昨夜は薩摩汁
残り野菜利用で薩摩芋を切ってから、
気づいたけど、その日参考にしたレシピに
里芋と書かれていたので、里芋の皮も剥いていて、
両方とも入れました。

別の日
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タラや白子の鍋

見終わった番組を無意識に消去してしまい、
確認できないけれど、
NHKで又吉さんの図書館探訪という番組を観て、
杉並の図書館を訪れて、歌人の上坂あゆみさんに
紹介されながら和やかに探索するのが面白かった。
窓越しから眺める四季の空や木々が羨ましく、
テラスの椅子に座って読書すること空間も
設けられていて、
ヤングアダルトといった10代の方達の
居場所もある。

子ども達に人気のある紙芝居のコーナーで、
人気のある紙芝居、三人の?を探していたり、
内容豊かでした。

そして係員に読みたい本や、調べたい内容について、
アドバイスをもらえるコーナーで、
又吉さんは、
「太宰治が怖いものは?」と質問し、
職員の方は調べて色々列挙する。
想像通りのものも多かったです。
それから太宰治について書かれた本を
出された。

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又吉は、本棚一つぶんくらい、
太宰治について書かれた本を持ってるけれど、
その本は知らないと言われた。

真ん中の、太田治子さんの「明るい方へ」
は読んだことがあります。
持っているのでは?と自身の本棚を調べたら

画像
無かったので、ガッカリ。
多分図書館で借りて読んだのだと思う。

今まで、又吉さんが書籍などで
紹介された本の中に、太宰治の私生児であった
太田治子さんの書かれたものが無くて不思議でした。

太田さんの世界観は完璧女性受け
する内容だとは思っていて、
又吉さんとは対照的な印象はありますが、
太宰治を崇拝し続けていた又吉さんなのに、
敢えて読まれなかったのかなと
不思議に思いました。

わたしは太田治子さん著書は殆ど読破したけれど、
太宰治の本は数冊しか読めていなかったです。

色々

2024年01月20日
昨日のダンス、火曜日に持ち帰っていたシューズを忘れて、
バス停で気づいて取りに行き、
バス一台遅れたので、マシントレはパスしました。

本姐様は、昨年暮れに駅の階段から落下
された、酔っ払ってと噂が流れていましたが、
いつも通り頭の回転も早く、 
父について尋ねて来られて労って下さいました。
本姐様のお父様は胃癌で亡くなられたけれど、
最後まで苦しいとはひとことも仰らなかっと
言われた。
そういえば父も泣き言を言わなかった。
母は癌で闘病期間が長かったから、
モルヒネで眠らせて数日後だったし、
姑は肺炎で、亡くなる日の昼間は、
皆に感謝の言葉を発して、
その後、症状を和らげるお薬で眠られた。

父に関しては、そういうお薬については
何も仰らなかった。
本姐様のお父様も同じようだったらしい。




断片的な記憶では、
妹の存在を自覚した時、生まれたばかりで
一歳にもなっていない、ゼロ0を知ったことです。
その地点で、赤ん坊の妹を愛おしい、
守るべき存在という気持ちが芽生えていました。

従兄弟については、その数ヶ月後、
(父方)の祖母宅の二階のベビーベッドの上に
寝ている赤ちゃんを見たのが最初だったと
思います。あの時は無の感情に近かったかな?

それより先に、二歳の時に、朝、
(父方の)祖母に手を引かれて、
自宅に行き、台所で白いヨーグルトを食べて、
また家から数百メートル先にある
祖母の家に戻る。
祖母がきっちり鍵を確認していたのを覚えています。
あの頃に妹が生まれたのだと思う。
その時は祖父母はいたけれど、
昼間学校に勤務していた父の記憶はありません。

心拍数とかも

2024年01月19日
去年くらいから主人は不正脈を自覚していて、
父のことで延びていた24時間の検査を受けたら、
緊急性はないけれど、予防薬を服用した方が
いいと言われたらしい。
主人は勧められたら、すぐに実行する人です。

主人のかかりつけの医師に、
昔からわたしの心拍数が多いことを尋ねたら、
高齢になると心不全になる可能性があると
言われたそうです。

年に一度の健康診断では心拍数を指摘されたことは
ありませんが、
ジムや、父の付き添いで病院で自発的に
計測した時の心拍数が90〜100はざらにあります。
慣れっこで苦しいとは思わない。

だからダンス後はいつも通路の隅で座り込み、
皆さんに「椅子に座らないの?」と言われる。
この時だけは椅子より地べたが楽な気がするのです。
ダンスは楽しいからやめたくないけれど、
週に一度くらいにとどめておきましょう。

家事している時以外で、安静に過ごす時間が
多いのは、そのせいかな?
本能的に無理し過ぎないように、
調整しているように思うのです。

昨夜のご飯
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イカとじゃがいものバター炒め蒸し

水菜の和物は主人の大好物

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牛肉のバターポン酢焼き

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これは去年のです

父の記憶は

2024年01月18日
生協やお供えしに通うのは別として、
朝起きて、緊急呼び出しされる心配がないというのは有り難いです。
父は亡くなって一目散に母のところに行ってしまったのか
夢に出てきてくれない。
母が亡くなった後は数年間、眠りの中では
当たり前のように存在していたのです。

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親戚から届いたお供物を亡き父に
供えに二往復したら、結構な距離でした。

わたしの最初の記憶は、
母の背で祖母も横にいて、医院の受付窓口で
見た水薬だったと思うのだけど、

父の記憶といえば、子ども部屋にひとりで
粘土遊びしていて、
夜だったと思う。急に心細くなって泣き声で、
父が飛んで来て、
「どうした?」と聞いた。
「粘土が汚くなった。」と言ったら、
丸めて最初包んであったセロハン紙に
仕舞って、部屋を出て行った。
その時、家に母がいなかった。
粘土遊びするくらいだから、とっくに妹は
生まれていたはず。
多分医院に連れて行ったか何か用事で
父と二人で留守番していたのだろう。
それが淋しくて何度か泣いては
父が泣き止ませるために、粘土を丸めたり、
片付けたりしていたみたいです。

その部屋は、父母が両親と同居していた時は
叔母の部屋だったらしい。
叔母がお嫁に出てから、わたしの部屋に
なったらしく、
わたしは部屋にひとりで過ごすのが
淋しくて泣いていたのだと思う。

叔母に関しては、両親と出かけた時に
おじが経営していた事務用品店で、
クレパスや画用紙など好きなものを選んで、
上機嫌だったことや、
そこに叔母がいて、思いがけない嬉しさや
安心感を持ったことは覚えています。 
あの時、子ども用滑り台もあったから、
従兄弟は生まれていたのかもしれない。

叔母ひとり

2024年01月17日
昨日はスポーツジムで今年初友人2さんと
お話し、長年通っていると大勢の方と仲良く
話せるようになりましたが、
1さんや2さんは、また特別で、
学校時代の親友のような気持ち。

叔母の着信に気付き、夜に電話をする。
送った父の写真を見てとても喜んで下さった。
従姉妹(叔母の娘)も呼んで一緒に見られたらしい。
父と一緒に写っていた娘のことを
(幼い時しかご存知ありませんが)
とても綺麗だと言われた。

わたしが二歳頃に叔母がお嫁に行くまで、
同居していた時期があって、
そのことをわたしは全く覚えていないのだけど、
三つ子の魂っていうから
潜在意識には残っているのかな?

母に弟は三人いるけれど、
妹は赤ん坊の頃に亡くなったそうで、
叔母は父の妹一人だけなのです。

昨日は肌寒かった

2024年01月16日
NHKの大型時代劇「光る君」
時代背景もストーリーも面白い。
道長や紫式部は有名だけど、
今までその家族まではあまり把握できていなかったので、
とても興味深いです。

昨夜はタコライス
去年DAIGOの番組を参考に作った時に、
主人が美味しいと言ったので、リピートしました。
チャーハンよりヘルシーだし、
作り慣れたら簡単です。

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放鳥タイム、飛べるのに必ず
カゴを伝わって出てくる芽葉映

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まず、わたしのそばを確保する桐
充電中だけどパチリ

昨日も平穏な一日だった。
午後から主人が毎朝常食しているナッツ類を
買いに行くというので、ついて行って、
パンやキノコ、整腸剤などを買い足しました。

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亡きパパ鳥と一年半差
まだカーテンレールまで飛べるし、
元気でいてくれる桐と芽葉映

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一昨日、ネットを見て作った芋煮が
とても美味しかった。
里芋を茹でてから皮を剥くのが楽だと、
去年の秋に知ってから、
里芋利用頻度が増えました。

昨夜は牛しゃぶ、ヘルシーにということで、
お肉は五枚ずつでお豆腐多いめ、
五枚といっても茹でると縮んで、
少し物足りないくらい。
すき焼きだったら肉を中心にするのだけど

ランキングの意味

2024年01月14日
金曜日にダンス待ちの時に、
コロナ禍後にお知り合いになった
気さくな年長者とお喋り。
能登の地震について、
「あちこちで募金活動が
行われているけれど、どこが確かかな?
集めている団体に拘ってしまうわ。」
と、

元旦からの震災ということもあって、
何か他人事ではない気がしてなりません。
その日の帰り、駅前に数十人がずらりと
並んで募金活動をされていました。
目を凝らして見たら、市議会の共済?
市議会なら、バスルートの事でもお世話に
なっているのかしら?
気持ちだけ、今回初の募金。
毎回、少しずつ協力させていただくのでも
いいのかな?

話は変わって、最近のネットニュース、
やたら芸能人のランキングが目につきますが、
少し着眼点を変えれば、変動するような、
基準が曖昧な感じ。
ベスト3にもワースト3にも名前が上がり
どちらでも、もっともらしく賞賛と批判

学校時代の実力テストの席次は
シビアでしたが、信ぴょう性はあったと思うし、
頑張りに応じて上下する正当なものでした。
運動会のかけっこだって、
その日だけ英雄になれる児童がいても、
良かったと思うけれど、
差をつけてはいけないなど、言いがかりを
つける人たちもいた。
ゆとり世代は、真の意味の競争や
公平を知らずに育っているのではないかしら?

(あれらの信ぴょう性のないランキングを
つけているのは、ゆとり世代だったりして?)
などと妄想をしてしまいました。

昔からの繋がり

2024年01月13日
昨日ジムの帰りに、今年初で小母様に出会いました。
去年のクリスマス前の夜に

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チョコレートを持って来て下さって、
父のことを心配して慌ただしくしていた時で
ちょっとタイミングが悪かったのです。

小母様は身体がご丈夫で インフルエンザ予防接種も受けたことがなく、
お薬を飲む必要のない人生だったから、
コロナワクチン接種後に、体調を崩し、
以後ワクチンを受けないことに、

その時は心房細動の診断を受けたらしい。
けれどその薬で調子が悪くなり、
お薬を止めてしまったけれど、
いつのまにか心房細動も治っていたと
言われたの。
そういう状況での治療中止は問題ないのかしら?

合唱団復帰を勧誘して下さったけれど、
わたし、両親のことで長年時間制限を
受けて来たから、積極的に練習に行く気になれない。
昔のように戦力になれない。
コロナ禍の合間タイミングを見て旅行などしたい。

高校一年生の時の大親友とLINEで繋がりました。
きっちりされている方で、年賀状は毎年やりとり
していましたが、
メールアドレスを知らなくて、
考えてみれば、あれだけ仲良しだったのだから、
封書でお知らせすれば簡単なことだったのです。

学年全体のLINEメンバーの中に
彼女のニックネーム発見。
当時仲良し三人で交換日記をしていた頃の
ニックネームで、あまり知られていない名でしたから、
本人確認はできていないままでした。
今年の年賀状に、グループLINEで
わたしの存在を確認して嬉しいと書いて下さっていたので、
LINEの友人追加してみたら、
昨日便りが届いていて嬉しかったです。
高校一年時は、わたしにとても助けられた
と書いて下さっていましたが、
わたしがお役に立てたことなんて、
あったのかしら?
去年コロナ感染とインフルエンザ感染されたと、
わたしの結婚式の時、お兄様の式と重なり行けなくて残念だったと
わたしもとても残念に思っていたのですが
今でも同じように覚えて下さっていたのだな
と嬉しかったです。

二年の時の親友のN子さんとは、
経緯は忘れたけれど、ネットで再会して、
数年毎にお会いできるようになりました。

昨日は年末に行けなかった美容院で
髪をスッキリしていただいて来ました。
血圧について、薬を止めた時が怖いらしい
と話していたら、
いつもの担当美容師さんが
「飲まなければ、もっと早く死ぬということでしょう?」
と言われて、目から鱗でした。
この方の指摘で我に返ることがよくあります。

要するに、塩分に気をつけて、
飲まなくて済むように気をつけたいです。
塩分に拘ったのは、去年の夏の後半の
激暑で、干物類など塩辛い物ばかり、
好んで食べていた時期があって、
熱中症予防に、自ら塩分を増やしていたからです。
主人は微量だけど、服用しているらしい。

昨夜は
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チョレギサラダメインで

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あれこれ用事

2024年01月11日
昨日は雨で肌寒い日だったので、
家にこもってできる用事から
年明けに写真屋で焼き付けした
この二、三年の父の写真を叔母に郵送準備したり、

分骨していた母の埋火葬に関する書類発行のために、
役所→隣市の火葬場→役所→実家のお墓
などに問い合わせて、
可能か不可能かを問い合わせてみた。

主人は専門分野については、
中心になって協力してくれるけれど、
お墓の話は「養子じゃないから。」
と言ってノータッチ
書類を見ればすぐにわかることですが、
当時の書類を保管しているのは主人で、
確認のために一つ一つ尋ねると煩わしがる。
だからあちこち電話して一から尋ねて行った。

妹にメールでわたしの考えを伝えたら、
夜間電話がかかり、意見が一致したような、
ある程度方針が固まったような気がします。

火曜日、スポーツジムで小父様とご挨拶。
役者さんもお見かけした。
とても充実したご様子でした。
出演番組をチェックするようになってから、
新作がなくて、「ご高齢だから…」と
悔しい気持ちもしていましたが、
年明けに、新作を見る事ができました。
ほんの短いシーンでしたが、何度か繰り返して
見るほど迫力があり、感動しました。
父と何歳違うのかしら…
あのお年で磨きのかかったあの演技
尊い。
最初はヨガのお仲間だった。
 
気功もだけど、(12月地点で)ダンスも同じように
続けていらして、
インストラクターは容赦なく
ビシビシ指摘されるけれど、めげない方。
新作の演技、動きに見事に生かされていた。
リスペクトに値する。

運動始め

2024年01月10日
昨日は今年初で日課の運動をして来ました。
同じように気功を受けられた友人1さん達と
初お喋り。

父のことは、年賀メールの返信でさりげなく書いた以外では、
大っぴらには言っていない。
地震のこともあるし、新年早々に
訃報は伝え難いです。
それでも友人1さんには、色々打ち明けました。
1さん宅では、元旦から娘さんがインフルエンザA型で、
その上の娘さんも、ご主人の実家先で
高熱ダウンされて、ご夫婦二人でお正月を
過ごされたそうです。
ともに12月三週以降、顔を合わせていなかったのですが、
父の20日感染といい、
この冬のインフルエンザは重症化傾向があるのかな?

一回りくらいご高齢の方が、急激に血圧が高くなって、
12月からお薬を飲み始めたとたんに、
下がり過ぎて、不安がられていた。
降圧剤もメーカーによって、合う合わないなど
ありそうです。
「信頼する医師についていくしかない?」
と言うと、
「その医師があまり信頼できないのよ。」
と言われた。

わたしも自身の健康管理を、自己流ではなく、
医師や病院探しから始めなければ。

平常

2024年01月09日
今年も七草粥を炊きました。

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我が家は薩摩芋入りで、お粥に甘みが
加わり美味しいです。

昨日は初カレー、
スープを飲むように、身体がカレーの成分を
必要としていたみたいです。
で、思い出したけれど、七福煮の残りを
カレーにリメイクするべきだったな。
そうした年もあったけれど、
今年はすっかり忘れて、余ってしまった
七福煮と栗きんとんを処分してしまった。
どちらもお味は今までで最高だったのに、
反省すべきことです。
数の子は食べ切りました。

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大晦日のお昼
前日のおでんの残りや、常備したカボチャ

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これも年末です。

今日は運動して来たいです。
長い目で見て、
消耗しない程度に運動するのがいいみたいです。

思い返しても

2024年01月08日
昨夜また「二人のディスタンス」の録画に失敗。
寝る前に番組表に録画予約のチェックを確認したし、
今までに吉本チャンネルや東急チャンネルで
録画できていないことはありましたが、
NHKの録画予約で失敗したのは、
この番組のみで訳がわかりません。
わたしのミスではなくて、
他に原因があるとしか思えない。



昨日の続き

母が緩和病棟から退院したいと言い出した時に
訪問介護のスタッフを紹介されて、
定期的に保健師、看護師、医師などが訪問されるようになった時期、
わたしはてんてこ舞いの忙しさでした。

布団やマット干し、母のトイレ介助、
力仕事だけでエネルギーを使い果たし、
入浴サービスの時は、タオルや道具を揃えて、
掛け湯のお湯沸かし、そして両親の食事作り、
家に帰って日常の食事作り

この時もGWに連絡がつきにくかったり、
こちらも予想がつかずに一泊旅行を入れていたりでした。

そしてある日、母の血中酸素の値から?
医師に母の死が近いことを知らされた。
近いってどれくらいなのか、予想出来なかった。
次に保健師さんにも言われた。
「他の患者さんが苦しみで顔を歪めてるのに、
こんな安らかに和かにしてられて
恵まれています。」というような事を
言われた。

こんなに和かなのに、死ぬわけない…
不信感の始まりでした。
その後、母が肺炎で「苦しい」と言った時に、
訪問医師に連絡がつかず、保健師さんも
お休みの日のようで、
母の了解をとって救急車を呼びました。

運ばれたのは、K大学病院の紹介で
入院していた緩和病棟ではなく、
一般病棟で、前回入院した時とは
方針も全然違ったものでした。

この時の教訓を父の時に生かしたかったけれど、
父は緩和病棟のある病院ではなく、
父のマンション近くの病院
(その病院ができたから、引っ越しを決めた父だったから)
に通って、きちんと健康管理をしていただけていました。
それでも不本意な事が起きて、
考えもしなかった病院で最期を迎える事になるのです。

わたしは何と闘っていたのか?
主人もわたしの送迎ではずいぶん協力してくれたけれど、
親の介護に関しては、全てが肩にのしかかって、
やはり辛かったです。
これで良かったのか、色々疑問もあるけれど、
これが精一杯だったと思います。

続き

2024年01月07日
救急車で運ばれ転院した病院で
父はすぐに処置室に入れてもらえたけれど、
後から運ばれて来る緊急患者さん達の対応で、
てんてこ舞い状態で、付き添って来た人が
激しく咳き込んでいたり、
深夜まで待たされて、
建物の古かったり、夜間の待合室の空気で、
肩が凝りわたしも息苦しさを覚えたくらいでした。

月曜日、新しい担当医師から電話で説明を受けた。
緊急時に話を聞いて納得していた通り、
父の年齢や痩せ具合を考えても、
カテーテル治療は難しい。
その時は、症状も変化なく、食欲もないと聞き、
症状をとる治癒だけなら、(家の近くの長年お世話になっていた病院)に戻ることを希望しました。

そして火曜日、スポーツジム帰りに、
また医師から連絡
父が平熱に戻り、嚥下検査結果では
ギリギリ口から食べ物を食べられる。
食事も残さずに食べられていると言われた。
医師の懸命な治療に感謝しながらも、
やはり家から近い病院に戻ることを希望。

次に医師から連絡があった時に、
20日に希望通りに、従来の病院へ
搬送にいつも通りにわたしが付き添うことに決まりました。
前日からうきうきして準備していたところ、
20日朝に、医師から、父が朝から高熱で、
検査でインフルエンザと診断、
転院が一週間延期になったと連絡がありました。

そして22日は、朝、昼過ぎ、
夜10時過ぎと3回連絡があり、
父は夜11時15分に息を引き取りました。
それまで見舞いは一週間に一度、
予約制で、他家族が予約している時は
予約できない決まりと聞いていたけれど、

22日からは連絡の度に
見舞うようにと示唆されたので、
危篤ということなのだと、分かってはいたつもりでした。

インフルエンザ感染がなくても、
遅かれ早かれ誤嚥性肺炎か、心筋梗塞が進んだり、
寿命が近づいていたことは確かでした。

長年勤務して、多くの高齢者と接していらした
ケアマネさんの言われたことが
正しい事も勘付いていました。

そういえば母親の時も

続き

年末からの父1

2024年01月07日
父がお世話になっていた施設のケアマネさんから、
緊急病院搬送が頻繁になった頃に、(去年の秋でしたか)
「病院に主治医がいると、何かあった時に、
施設専属の医師の指示を仰げないから、
主治医を変えた方がいいのでは?」
とアドバイスいただいた事がありました。
食べられなくなった時の、(最初希望していた)
施設での看取り体制、
そろそろその時期に来ているのでは?」
この時のこの一言には素直に従うことが
できなかったのです。
(施設専属は内科医師のみで、
別に泌尿器科通いは避けられなかったし、
眼科、皮膚科なども、同病院に通院していましたから)

私的には賑やかにクリスマスやお正月の行事の
行われる広間に面した施設の個室での看取りは、
通う家族にとっても酷というか、
色々気を使うなとか、
職員さんの交代で休みの時期に入るので、
迷惑では?と気を回したりもしました。

そして、元からの病院の退院指導の方と、
施設のケアマネや看護師さんとの話し合いで、
父に異変が起きた時は、すぐに救急搬送で
その病院にと言っていただいた事で、
施設のケアマネも、受け入れてもらえるなら、
それでもいいかと思うと言われ、
わたしも10分で病院に走って行ける距離で、
話し合いは一件落着していました。

そして、次に夜間の緊急搬送された時は
父は心電図で心筋梗塞を疑われ、
やや慌てた非常勤医師のニュアンスで、
万にひとつのカテーテル治療の可能性をかけて、
初めて転院しました。
この時の対応が、父の元からの主治医だったらなと思うことはあります。

圧力鍋で

2024年01月06日
昨夜は(元旦に娘が持参した)赤ワインで
牛肉の赤ワイン煮込みを作りました。

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塩分少なく作れて美味しい。
今朝は残りのスープや刻み野菜を
パンに挟んでいただきました。

娘は他にコーヒー豆や、成城石井の
胡桃と黒砂糖のお菓子や、野菜チップを
お土産に持って来てくれました。

今年のオカメインコ

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わたしの事始め

2024年01月05日
体感、この冬一番冷え込んだ朝です。

昨日は主人が延期していた定期検査に出かけたので
コロナ禍以来初の足裏と脹脛のマッサージを
受けてきました。
亡き父に関することで、片付けから始まり
用事は山ほどありますが、
緊急呼び出しの心配だけはなくなりました。

マッサージでは、以前誕生日月に
受けていたお気に入りのお店は
クッションに顔を埋めるので、
インフルエンザやコロナ感染を
過剰に心配するわたしは行けなくなり、
足だけなら密にならないかなと判断。
長年の疲労がひととき溶けて流れて行くような、
リフレッシュ感で、昔のように
途中から眠り込んでいました。

疲れがとれたはずなのに、
今朝明け方に、寝返りしたら、右股関節が
攣り、
ギックリ腰に近い痛みが数分続き、
30分くらいして、そっと向きを変えたら、
また攣りました。
昔から右側に弱点があって、ヨガで開脚すると、
右が攣り、足を閉じると治るを繰り返していたのです。

運動は来週から再開予定で、
今日は雑用を開始しなければ

懐かしいというか

2024年01月04日
去年、慌ただしい中でしたが、
お通夜、葬儀と二日間に渡って、
姪の御子達と接することができたのは良かった。
上の男の子は、赤ん坊の頃から何度か
抱っこしたり、母や妹家族との旅行でも
一緒だったこともあり、当時の愛おしさが蘇ってきました。
テイクアウト上の大人用の弁当を黙々と食べていて
「その揚げ物、海老が蟹かどっちだった?」
と尋ねると、姪が代わって
「蟹です。大好物なんです。」って
何か話す時の目の動きが、姪の幼い頃と重なって、
込み上げて来るものがあります。
下の女の子は、類を見ないくらい
しっかりしていて、どこにいても番長。
赤ん坊の頃から人見知りが強かったけれど、
今回はすぐに懐いてくれたような
気がしました。

今の小学校の通知表は三段階だから、
オールAはざらにあると思うけれど、
女の子の方は、Aが揃っていなくて、
兄の方は、ずーっとオールAだったのが、
今回、授業中にお喋りしていて、一つ下がったらしい。
そして妹は初めてオールAをゲットしたとか、
妹が二人を連れて回転寿司やに行った時に、
女の子はすかさずテーブルに通知表を開いて見せて、
隣りに兄の一つ下がった通知表も並べたらしいです。

学級委員だそうです。立候補したとか、
一学期に立候補した時は三票しか入らなくて、
プリプリ怒っていたそうです。
それらも皆可愛い。

今のブログを開設以来、
時折拝見していましたが、
能登半島の美しい自然や
懸命に農業されるブログを拝見していた方、
大晦日に美しい夕陽画像を挙げられたきりで
心配していましたが、
今朝日記を更新されていて、
安否確認できたので、少しホッとしました。

休息

2024年01月03日
今日は特に予定もないので、
のんびり過ごしたい。

早朝五時半起きが定着しています。
御トイレで起きて、そこから二度寝すると、
朝の用事に差し支えるので、そのまま起きるようになりました。
十時にラジオを聴きながらの就寝も定着して、
大晦日の紅白歌合戦も途中で居眠っていました。
一曲くらいとんだかな?と翌日録画で確認したら
五曲くらいの時間眠っていたようです。

女性司会者二人とも華があって素敵でした。
個人的には、去年も司会された橋本環奈さんの、
声のトーンがスッキリして心地よい。
大泉洋さんと息ピッタリのコンビを
もう一度見たかった気がしました。

最近見知らぬ歌い手さんが多いと思っていたら、
オトナブルーやヨアソビのアイドルは
スポーツジムのダンスで馴染みの曲でした。
インストラクターがオリジナルで振り付けされたもので、
アイドルはテンポが速くてバテバテでした。
歌詞を初めて知り、踊るのが楽しみになりました。

黒柳徹子さんの登場や、薬師丸ひろ子さんの
歌に癒されました。
星野源さん、流石の歌唱力!



NHKで又吉さんと、絵本作家のよしたけさんの
「その本は」を聴き逃しで聴いています。
あの本はまだ買っていなかったので、
絵を空想しながら聴いています。
本も購入したいです。

そして楽しみにして、友人にもあちこちお知らせしていた
「二人のディスタンス」を見逃し、ガッカリしていたのが、
また再放送されるようで、
録画設定しました。
前回も設定したはずなのに、
楽しみに確認し過ぎて、設定ミスしたようでした。
そして初放映の頃に父危篤で
病院に向かっていたのです。

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