深夜、3時過ぎに病院から電話がかかり
母の2時45分訃報報告を聞きました。
骨と皮になって逆にあの状態であれだけ持ちこたえてよく頑張ったね・・・
浮かぶのは労いの言葉ばかり
その日夕方7時前まで病院にいて、危険な状態ということで深夜付き添うことに
付き添いべッドの関係で再び個室に移動することになって
泊りは父が代わってくれることに
夕方仕事から帰宅した主人が車で父を連れて行ってくれました。
九時消灯後父は眠り込んでいて、目が覚めた時に看護師さんが入って来られて
その時母はまだ息をしていた(と父は言う)
数分後に臨終を迎えたということでした。
電話連絡後、準備して主人と病院に出かけ、深夜の病棟は一種独特で
霊気が漂っているよう気配すらしました。
朝の五時半過ぎまで霊柩車を待って、葬儀会場で細かい打ち合わせに
家族葬で最小の人数で行う予定が
さっきも叔父や叔父のお嫁さんから電話がかかり、
有難いけれど落ち着かないままハイテンションな私
忙しい日々で他人事の感覚が続いているのです。
ちょっと正常ではなくて、大丈夫かな私?
母の2時45分訃報報告を聞きました。
骨と皮になって逆にあの状態であれだけ持ちこたえてよく頑張ったね・・・
浮かぶのは労いの言葉ばかり
その日夕方7時前まで病院にいて、危険な状態ということで深夜付き添うことに
付き添いべッドの関係で再び個室に移動することになって
泊りは父が代わってくれることに
夕方仕事から帰宅した主人が車で父を連れて行ってくれました。
九時消灯後父は眠り込んでいて、目が覚めた時に看護師さんが入って来られて
その時母はまだ息をしていた(と父は言う)
数分後に臨終を迎えたということでした。
電話連絡後、準備して主人と病院に出かけ、深夜の病棟は一種独特で
霊気が漂っているよう気配すらしました。
朝の五時半過ぎまで霊柩車を待って、葬儀会場で細かい打ち合わせに
家族葬で最小の人数で行う予定が
さっきも叔父や叔父のお嫁さんから電話がかかり、
有難いけれど落ち着かないままハイテンションな私
忙しい日々で他人事の感覚が続いているのです。
ちょっと正常ではなくて、大丈夫かな私?
昨日帰りに昔からの最寄り駅改札を出てすぐの辺りで、
サラリーマン風の男の人に追突されて、むち打ち症のような衝撃が
その後階段を降りようとしたら、学生ポイ男の子と体当たりされ
丁寧に謝られていたけれど、もしかして私の方がフラツいて揺れながら歩いていたから?
立て続けにぶつかられるのはそういうことなのかな?
ずっと左耳の奥がボワッとしたままだし
今日こそは運動しに行く予定にしていましたが、
昨日の母の体調が気にかかる。
日曜日は父が急がせるので主人と三人慌ただしく帰り
父は多分気を使って食材の買い物前にお茶しようと言って
年に数回訪れる池のほとりの素敵なカフェでお茶
先週は妹夫婦や甥をを案内しました。
息子とも娘とも姑とも来たことがあるお店です。
昨日は午後一時に病院に到着、会話もできなくなり反応も無くなった母と
唯一のコミュニケーションは?と考えて
洗濯、乾燥機をかけてる時間、間でオムツ交換して向きを変えて
下さったので、
それぞれ左右の側に分けて母をマッサージしていました。
足先、手指、膝裏のデトックスに効果ある場所や肩甲骨など
衰弱した母なので優しくさする様に
そういえば先日尿量が減ってると言われていた・・・
マッサージしていると尿管に尿が溜まって来ているような気がした
先日見た時よりも手がパンパンに腫れていた。
木曜日に吐息から糞臭がした気がして、隣のベッド(術後肺炎目覚めていない人)
からかな?という疑惑
金曜日、娘と見舞った時は、それはなくて
昨日は珈琲の焦げたような据えた糞?臭・・・
夜に色々読んでいて・・・はっきり死期が近いということ!?
唖然として
毎日妹ともlineでやりとりしていて、ちょっとしたことで
独りででバスで駆け付けたことのある妹に
どこまで知らせればいいのか判断つかなくて、
医師の言われたことのみ忠実にコピーして伝える旨に決めたのですが
昨日医師の言われたことの中で
「これが正解とは言い切れないけれど、先週みたいに息を吐くたびに
『アー』と呻いている・・・あれでは苦しいから。」
と言われたことは共感しました。
昨日は個人的に色々気づきすぎてしまって・・・
これらの迷い、悩みも多くて、
私自身は疲労しきって応対する気力も無くて
週末は父も我が家に来て主人と三人で夕食
他にも色々ありますが
サラリーマン風の男の人に追突されて、むち打ち症のような衝撃が
その後階段を降りようとしたら、学生ポイ男の子と体当たりされ
丁寧に謝られていたけれど、もしかして私の方がフラツいて揺れながら歩いていたから?
立て続けにぶつかられるのはそういうことなのかな?
ずっと左耳の奥がボワッとしたままだし
今日こそは運動しに行く予定にしていましたが、
昨日の母の体調が気にかかる。
日曜日は父が急がせるので主人と三人慌ただしく帰り
父は多分気を使って食材の買い物前にお茶しようと言って
年に数回訪れる池のほとりの素敵なカフェでお茶
先週は妹夫婦や甥をを案内しました。
息子とも娘とも姑とも来たことがあるお店です。
昨日は午後一時に病院に到着、会話もできなくなり反応も無くなった母と
唯一のコミュニケーションは?と考えて
洗濯、乾燥機をかけてる時間、間でオムツ交換して向きを変えて
下さったので、
それぞれ左右の側に分けて母をマッサージしていました。
足先、手指、膝裏のデトックスに効果ある場所や肩甲骨など
衰弱した母なので優しくさする様に
そういえば先日尿量が減ってると言われていた・・・
マッサージしていると尿管に尿が溜まって来ているような気がした
先日見た時よりも手がパンパンに腫れていた。
木曜日に吐息から糞臭がした気がして、隣のベッド(術後肺炎目覚めていない人)
からかな?という疑惑
金曜日、娘と見舞った時は、それはなくて
昨日は珈琲の焦げたような据えた糞?臭・・・
夜に色々読んでいて・・・はっきり死期が近いということ!?
唖然として
毎日妹ともlineでやりとりしていて、ちょっとしたことで
独りででバスで駆け付けたことのある妹に
どこまで知らせればいいのか判断つかなくて、
医師の言われたことのみ忠実にコピーして伝える旨に決めたのですが
昨日医師の言われたことの中で
「これが正解とは言い切れないけれど、先週みたいに息を吐くたびに
『アー』と呻いている・・・あれでは苦しいから。」
と言われたことは共感しました。
昨日は個人的に色々気づきすぎてしまって・・・
これらの迷い、悩みも多くて、
私自身は疲労しきって応対する気力も無くて
週末は父も我が家に来て主人と三人で夕食
他にも色々ありますが
昨日は主人と息子が出ていたので、夕食は一人ということで、
昼をだいぶ過ぎてから病院へ
集中室に入った瞬間の母、ただ眠るばかりの母だけどまた病が進んだように見える
舌先にポツンと水泡?が一つ
殆ど意識はないのだけど、息を吐くときに漏れる微かな喘ぎ?にも似た声
苦しいのか苦しくないのか?今気になることはそれだけ
昼間の担当は男性の看護師さんで五時の交代時からは女性が
前回も心強く思った、明るくおおらかでいて、細心病人に注意を働かせ
誠意を持って接して下さるふっくらしたお若い方
眠る母の表情も心なしか明るい。
医師が来て
「今苦しみは殆ど感じていないと思います。」
舌先の水泡について質問すると
「これジェルが付いてるのと違うの?」って
よく見るとそんな感じでした。大きな発疹に見えていたので、ホッと一安心。
「現状維持の状態で」と言われたので、挨拶して頭を下げた。
しばらく生命の危険はないということかしら?
ひと月前までは病院で寝たきりの母を想像すらできない不幸の極限のように
考えていましたが、
どういうものかしら?穏やかに寝ていて、少しでも痰が絡むと
一瞬恐怖に引きつったような原始的な表情を見せ、すぐまた元に戻る。
母はまだ生きていたいのだと感じる。
少し頻繁にあったので、看護師さんに言ったら、しばらくして
口内ケア(スポンジとジェル)に続いて淡の吸引
以前なら吸引を怖がって呻いていた母が、口内ケアの時も
一瞬生へと引き戻されるように、目に光が宿ったように明るく反応しているの。
母についてはショックが継続して、今は頭が真っ白?状態・・・
考えられない
昨日はちょっと変な日で、洗濯物を干すために玄関の戸を開けた瞬間に
あの♂が家の前を通るのを見た。
トレーニングウェアを一式新調していて、女性でいえば重ね履きのスカート
それの男用一揃いを身に着けて、ストレッチ風に変にクネクネ身体脱力して揺らせながら
通って行くのを生理的嫌悪で吐き気を伴って見ました。
二~三年前にバス停に背もたれに、ジムで見ていた黒いパンツが脱ぎ捨てられていたのを
見た後、一式新調していて、
今回エレベータで帽子(傘のマークでなくアディダスでした)や帰り道で黒の・・・
がこれ見よがしに捨ててると思ったら、新調・・・な気がしたの。
そして母の見舞いに家を出た時は、日常衣服で自転車で曲がって来て
目の前を走って行きました。
周期的にまた現れだした?気がして不快でした。
もう一つは、別の話ですが
先日のコンサートで近隣の仲良しの小母様もお誘いして
娘と三人で行きましたが、
会場で同じ合唱団の比較的お若い方♀に出会い、ピアノやソプラノ歌手関係で
来られているのかな?と話していました。
その方とはスポーツクラブの帰りにたびたびデパート食料品売り場で出会い
よく出会いますね~練習休みがちなことは報告
その方は他で伴奏で、同時期に休団されているみたいでした。
違う方向のイオンでも出会ったりで、ご結婚もされていないのに
主婦の私と生活時間のタイミングが同じになることが多いと思っていたの。
で、昨日、病院の帰りにパラディーに寄って、買い物を終えて出口から道路を歩き始めたら
真正面に向かってものすごい勢いで走って来る人、
顔を見たら、その女性で右手にはさみ(工作用の)だけ持っていて
普通なら鞄に入れてるとか、カバーをつけていたりはするでしょう。
普段着のまま駅方向から慌てて駆けて来られて、
お互いに挨拶はかわしましたが、お急ぎの様子でハサミについては聞けなくて
時間的なタイミングだけでも奇遇な感じなので驚きました。
何なのかしら?ハサミって謎だわ
昼をだいぶ過ぎてから病院へ
集中室に入った瞬間の母、ただ眠るばかりの母だけどまた病が進んだように見える
舌先にポツンと水泡?が一つ
殆ど意識はないのだけど、息を吐くときに漏れる微かな喘ぎ?にも似た声
苦しいのか苦しくないのか?今気になることはそれだけ
昼間の担当は男性の看護師さんで五時の交代時からは女性が
前回も心強く思った、明るくおおらかでいて、細心病人に注意を働かせ
誠意を持って接して下さるふっくらしたお若い方
眠る母の表情も心なしか明るい。
医師が来て
「今苦しみは殆ど感じていないと思います。」
舌先の水泡について質問すると
「これジェルが付いてるのと違うの?」って
よく見るとそんな感じでした。大きな発疹に見えていたので、ホッと一安心。
「現状維持の状態で」と言われたので、挨拶して頭を下げた。
しばらく生命の危険はないということかしら?
ひと月前までは病院で寝たきりの母を想像すらできない不幸の極限のように
考えていましたが、
どういうものかしら?穏やかに寝ていて、少しでも痰が絡むと
一瞬恐怖に引きつったような原始的な表情を見せ、すぐまた元に戻る。
母はまだ生きていたいのだと感じる。
少し頻繁にあったので、看護師さんに言ったら、しばらくして
口内ケア(スポンジとジェル)に続いて淡の吸引
以前なら吸引を怖がって呻いていた母が、口内ケアの時も
一瞬生へと引き戻されるように、目に光が宿ったように明るく反応しているの。
母についてはショックが継続して、今は頭が真っ白?状態・・・
考えられない
昨日はちょっと変な日で、洗濯物を干すために玄関の戸を開けた瞬間に
あの♂が家の前を通るのを見た。
トレーニングウェアを一式新調していて、女性でいえば重ね履きのスカート
それの男用一揃いを身に着けて、ストレッチ風に変にクネクネ身体脱力して揺らせながら
通って行くのを生理的嫌悪で吐き気を伴って見ました。
二~三年前にバス停に背もたれに、ジムで見ていた黒いパンツが脱ぎ捨てられていたのを
見た後、一式新調していて、
今回エレベータで帽子(傘のマークでなくアディダスでした)や帰り道で黒の・・・
がこれ見よがしに捨ててると思ったら、新調・・・な気がしたの。
そして母の見舞いに家を出た時は、日常衣服で自転車で曲がって来て
目の前を走って行きました。
周期的にまた現れだした?気がして不快でした。
もう一つは、別の話ですが
先日のコンサートで近隣の仲良しの小母様もお誘いして
娘と三人で行きましたが、
会場で同じ合唱団の比較的お若い方♀に出会い、ピアノやソプラノ歌手関係で
来られているのかな?と話していました。
その方とはスポーツクラブの帰りにたびたびデパート食料品売り場で出会い
よく出会いますね~練習休みがちなことは報告
その方は他で伴奏で、同時期に休団されているみたいでした。
違う方向のイオンでも出会ったりで、ご結婚もされていないのに
主婦の私と生活時間のタイミングが同じになることが多いと思っていたの。
で、昨日、病院の帰りにパラディーに寄って、買い物を終えて出口から道路を歩き始めたら
真正面に向かってものすごい勢いで走って来る人、
顔を見たら、その女性で右手にはさみ(工作用の)だけ持っていて
普通なら鞄に入れてるとか、カバーをつけていたりはするでしょう。
普段着のまま駅方向から慌てて駆けて来られて、
お互いに挨拶はかわしましたが、お急ぎの様子でハサミについては聞けなくて
時間的なタイミングだけでも奇遇な感じなので驚きました。
何なのかしら?ハサミって謎だわ
庭のプランターの花開花
ゴーヤは雄花ばかりたくさん花を咲かせています。
GW前半に母に「今年も今からゴーヤの苗を植える。」と知らせたら
その頃母はソファーに座って私の来るのを待つことが多く
いつもより到着時刻が遅れると父に
「ゴーヤ40も植えたら時間かかるね。」と言ったらしく
40なんてどこからの発想かしら?と考えてみたら
以前、ゴーヤの苗3つプランター栽培で40個くらい実を収穫できた~
という話をしていたので、呆け気味の人のどんな発言にも
それなりの法則があるのではないか?と思ったこと
娘と待ち合わせて見舞うと、この日意識はあった様子で
娘が何度も自分の名前を言うたびに母は頷いていました。
前日、眠り込んだ母の前に医師が来られて
私が「前の日苦痛で眠れなかったから、モルヒネ効果でぐっすり」と言うと
「そう思いたい気持ちはわかりますが、
下顎で呼吸・・・かなり弱っている、時期は近いと思う。」と念を押されたの。
金曜日に娘が見舞うことは伝えていたから、薬の量を調節されたかもしれないけれど
私自身は、「苦しいのに無理に話して欲しいとは思わないから
苦しみを取り除くことを優先でお願いします。」
と言ったのです。
前見舞った後は「御祖母ちゃん可哀想。」とショックで泣いていた娘・・・
母の前では笑顔満開!作り笑顔でもないの
意識を取り戻し娘に反応にはっきりと娘の名前を呼んだ母に心底嬉しがっていました。
息を吐くとき微かにうめき声が、まだ苦しいのではないのかしら?
心配で憔悴せずには居られません。
この後、緩和病棟の看護師さん達も次々来て下さって順番に励まして下さいました。
「緩和病棟ならもっと一緒に居られますよ?」って
私が決められることなのか?医師の判断にお任せするしかないでしょう。
私も全身が倦怠感で何とか動けている
娘の希望で鰻で精をつけ、
トイレに行く廊下から見える和風の庭の佇まいが素敵でした。
娘が映画みたいに素敵!と
本当に奈良の映画で見たことがあるような・・・
コンサートは最高でした。
こんなに素敵な声をされていたとは、
主人側の親せきで私の結婚式にも、以後法事や親せきの結婚式などで
都度顔を合わせていた方です。
また次回も聴きに行きたいです。
一昨日辺り、病院の帰り道駅まで歩く途中で写しました。
紫陽花の綺麗な季節
集中治療室に移動してからは血中酸素100をキープしていたけれど
日増しに衰弱して行きました。
14~15日にかけて息を吐くときに「ア~」とうめき声が漏れ始め
夕方、毎日のように担当医が説明して下さり、
眠らせる時期について、この時期でも早過ぎないように言われた。
その時は、誤解していて、血中酸素が高ければ酸素は足りてるはずなのに・・・
何故急がせるの?など考えていた。
母に尋ねると痛みはないと言う。しんどい?と尋ねると頷く
退屈?と尋ねても頷く
昨日、少し容態が悪化した気がして、母に「辛い?」と尋ねると頷いた。
「ぐっすり眠りたい?」「うとうとしたい?」色々ニュアンスを変えて質問してみたら
うとうと微睡むのが良いと頷いた。
その日は一晩よく眠れていなかったらしい。
それと末期癌+肺炎では血中酸素が高いがために意識がはっきりしていてかえって苦しみが増す場合~
ネットで色々調べてみたら、肺そのものが苦しい等々
医師の言われることの意味がより理解できた。
一昨日、いつものように担当医と話して、夜間だけ眠れるようにして様子を見る方向でと言われ、
帰りに駅で珈琲を飲んでいたら、再び電話がかかり、バックに流れている音楽がうるさくて聴こえにくいのと、
緊急事態?と焦るので、電話は苦手ですが
医師は緩和病棟の先生と相談して下さり、モルヒネアレルギーを訴えたことのある母だけど
以前その話をしたら過去のカルテを調べて下さり、
(かかりつけ以外の病院で腰の痛みを訴えた時に、いきなり丸ごと飲んだことで
気分が悪くなったらしく)
緩和の医師は痛み止めでは精通されていて、微量から少しずつ点滴投入していく
最初に話されていた眠り薬より呼吸に優しい・・・
と言われ、私も決心しました。
昨日の朝十時頃開始、
その日私は近隣病院に目薬、皮膚科で保湿ローション(ずっと無くなったままだった)
をいただきに行き、皮膚科で急患があり、一時過ぎにやっといただけたのです。
パンとジュースでランチ、そのまま見舞いに駆け付けたら
母は眠り込んでしまっていました。
痛み止めが切れるとまた苦しみから、結局追加投与になるらしい。
べッドの柵に突っ伏して顔を上げると医師が来られていて
(最近このパターンが多い)
微量で眠ってしまった母の前で何故表情が明るいの?
最初は怪訝な感情を抱きましたが、
これも帰ってからネットで色々調べてみて、速やかにモルヒネ導入できたことで、
癌の終焉の苦しみが軽減、このまま眠るような最期を迎えるだろうと予測
ある意味安堵されていたご様子でした。
ずっと思い悩み続けて、覚悟を重ねて来て、感情の糸が途切れたような
混乱した気持ちでいますが、
最悪は免れたのではないかしら・・・
ただ身内の中では自分だけがつらい思いを抱え過ぎた気はしています。
今日は娘と見舞い、母の容態にもよりますが
主人側の親戚のクラシックコンサート
テナーソリスト・・・
娘と聴きに行く予定です。
土~日曜日妹夫婦が見舞いに来る。
病院から会わせたい人に連絡した方が良いと言われ、
それ以前に来る予定になっていた日でした。
アスペルギルスから回復、新たに気胸が見られ、
カリニ肺炎でCTが白く覆われていた。
今日病院から連絡、酸素値が下がったので詰所の横の
ガラス張りの部屋に変わったとのこと
電話をかけて来た女の方は「今は数値も戻っているけれど
部屋を変わったので連絡しました。」とだけ言われる。
見舞うと母は意識がはっきりして、顔色も良く?
「美味しいお茶飲みたいね。」
「お婆ちゃんのご飯もあるの?」
(入院来何も口にしていません)
帰る頃、
「皆優しい 幸せ」と言ったから
「幸せ?よかったね。」と言って出る。
心が和んだ帰り道、追い打ちをかけるような医師からの電話
「今日のCT結果、気胸は悪化はしていませんが、
白い陰が良くなることはありません。酸素いっぱいいっぱい使っています。
御本人に質問しても しんどい と答える頻度が多くなった。
身の置き所ないくらい苦しみだしたら、眠らせることも考えています。
もしそうなれば話せなくなり意志の疎通はできなくなります。」
「今日は調子良さそうで、今の母は死ぬことは考えていない様子でしたけれど」・・・私
「今日は行わないけれど、明日以降はわかりません。了解を」
「私、明日も様子を見に行きますし。娘もまた仕事終わりに寄る予定にしています。」
「一日中張り付いていられるわけではないのでね。」と言われました。
30歳代くらいのお若い先生、
最初の診たて通りに段階を進ませようと決められているような気がして
家族、親戚皆に会せたら、眠らせて死期を早めると言う事?
まだ苦しんでいない・・・
苦しみ出したら遅いということ?
私一人で決断を下せない(涙)
昨夜、真夜中に目が覚めて、眩暈と腹部の不快で胃の中の物を全部吐ききりました。
姑の時は腹水でお腹が膨れ上がっていたのです。
昨日の夕方、MLで合唱祭入賞を知る。
今年は参加できなかったけれど、やはり凄いことだと思う。
一週間に一度くらい合唱団の夢ばかり見て、
夢の中ではとても懐かしいのに、目が覚めて冷静に戻ると
歌う時間なんてあるはずないのに・・と気づく、
その繰り返しでした。
今回の朗報で逆に、あえて戻る必要も無い気がして
これでもう夢にも出て来なくなるのかもしれないと思いました。
病院から会わせたい人に連絡した方が良いと言われ、
それ以前に来る予定になっていた日でした。
アスペルギルスから回復、新たに気胸が見られ、
カリニ肺炎でCTが白く覆われていた。
今日病院から連絡、酸素値が下がったので詰所の横の
ガラス張りの部屋に変わったとのこと
電話をかけて来た女の方は「今は数値も戻っているけれど
部屋を変わったので連絡しました。」とだけ言われる。
見舞うと母は意識がはっきりして、顔色も良く?
「美味しいお茶飲みたいね。」
「お婆ちゃんのご飯もあるの?」
(入院来何も口にしていません)
帰る頃、
「皆優しい 幸せ」と言ったから
「幸せ?よかったね。」と言って出る。
心が和んだ帰り道、追い打ちをかけるような医師からの電話
「今日のCT結果、気胸は悪化はしていませんが、
白い陰が良くなることはありません。酸素いっぱいいっぱい使っています。
御本人に質問しても しんどい と答える頻度が多くなった。
身の置き所ないくらい苦しみだしたら、眠らせることも考えています。
もしそうなれば話せなくなり意志の疎通はできなくなります。」
「今日は調子良さそうで、今の母は死ぬことは考えていない様子でしたけれど」・・・私
「今日は行わないけれど、明日以降はわかりません。了解を」
「私、明日も様子を見に行きますし。娘もまた仕事終わりに寄る予定にしています。」
「一日中張り付いていられるわけではないのでね。」と言われました。
30歳代くらいのお若い先生、
最初の診たて通りに段階を進ませようと決められているような気がして
家族、親戚皆に会せたら、眠らせて死期を早めると言う事?
まだ苦しんでいない・・・
苦しみ出したら遅いということ?
私一人で決断を下せない(涙)
昨夜、真夜中に目が覚めて、眩暈と腹部の不快で胃の中の物を全部吐ききりました。
姑の時は腹水でお腹が膨れ上がっていたのです。
昨日の夕方、MLで合唱祭入賞を知る。
今年は参加できなかったけれど、やはり凄いことだと思う。
一週間に一度くらい合唱団の夢ばかり見て、
夢の中ではとても懐かしいのに、目が覚めて冷静に戻ると
歌う時間なんてあるはずないのに・・と気づく、
その繰り返しでした。
今回の朗報で逆に、あえて戻る必要も無い気がして
これでもう夢にも出て来なくなるのかもしれないと思いました。
連日(一日も欠かさず)見舞っています。
5月31日 救急車搬送が29日夜
呼吸器の(怖い)感染症の疑いありで病院指定で隔離部屋だったので
部屋代13000円→無料特典
感染症の方は大丈夫だと変な確信を持ちつつ、
今考えると色々心細かったような・・・
6日熱も下がり落ち着いて来た頃、感染症疑惑が晴れる
アスペルギルス肺炎だとわかる。癌末期の衰弱から
この後準個室に引っ越し、カーテンで仕切ると圧迫感があり
母も心細そうにしていました。
ひとまず命を取り留めたものの、水さえ摂れない母が哀れに感じられて
何の罰ゲーム?と
今日見舞いに行ったら、窓際のベッドに空きがあったので頼み込んで
再びベッドごとお引越し
棚の中の荷物移動など積極的に手伝う。
理学療養士の方がいらして、口内リハビリを兼ねて
すみずみ綺麗に口内清浄して下さるのを見て感動しました。
指示されて、とろみ粉、吸引付きブラシスポンジなど買いに行く。
「お水飲ませてあげるね。」と、まだ取りに行かれたばかりで
目の前に何の物体もないのに天井を見上げて
「うわぁ、美味しそうね~」と調子よく感嘆の声をあげて
周りから嘲笑をそそる
凍り棒で試し
とろみ粉入りお茶を口に含ませて下さる。
母の表情も和らいで、ハチャメチャな言葉を並べて
スタッフさん達に意志を伝えようとする母
社会性復活!本当に可愛いお婆ちゃん!
5月31日 救急車搬送が29日夜
呼吸器の(怖い)感染症の疑いありで病院指定で隔離部屋だったので
部屋代13000円→無料特典
感染症の方は大丈夫だと変な確信を持ちつつ、
今考えると色々心細かったような・・・
6日熱も下がり落ち着いて来た頃、感染症疑惑が晴れる
アスペルギルス肺炎だとわかる。癌末期の衰弱から
この後準個室に引っ越し、カーテンで仕切ると圧迫感があり
母も心細そうにしていました。
ひとまず命を取り留めたものの、水さえ摂れない母が哀れに感じられて
何の罰ゲーム?と
今日見舞いに行ったら、窓際のベッドに空きがあったので頼み込んで
再びベッドごとお引越し
棚の中の荷物移動など積極的に手伝う。
理学療養士の方がいらして、口内リハビリを兼ねて
すみずみ綺麗に口内清浄して下さるのを見て感動しました。
指示されて、とろみ粉、吸引付きブラシスポンジなど買いに行く。
「お水飲ませてあげるね。」と、まだ取りに行かれたばかりで
目の前に何の物体もないのに天井を見上げて
「うわぁ、美味しそうね~」と調子よく感嘆の声をあげて
周りから嘲笑をそそる
凍り棒で試し
とろみ粉入りお茶を口に含ませて下さる。
母の表情も和らいで、ハチャメチャな言葉を並べて
スタッフさん達に意志を伝えようとする母
社会性復活!本当に可愛いお婆ちゃん!
こういった状況の日々こそ、克明に記録すればいいと思いつつ
その日の容態によっては落ち込み心身疲労しきって書く気になれなくて
遡って書くと
昨日3日は安定していました。
北海道の行方不明のお子が発見された朗報に、子どもこそ助かるべきだと
少し明るい気持ちで見舞った日
行くと両手で手を包み込んで頭を撫でてくれようとする。
べッドの柵に持たれて、母のゼスチャー交えてコミュ取り合っていると
センサーが働いて看護士さんが走って様子を見に来られる。。理由を昨日知りました。
「水」とグイッと飲む真似を繰り返すのだけど
「肺に入ると悪化するから。」ということで、口から物を取ることのお許しが出ない。
2日 思い立って日帰りバスで妹が見舞いに、G駅到着時刻から同じバスで病院に行く。
病室に入ると母は最初私しか見えていない様子で、手を取り
「(私)子ちゃん、胃腸薬飲ませて!」と哀願を繰り返す。
お水が飲みたいのだと思う。ずっと私が母の欲しい物を用意して
食べさせてあげていたから、私に言えば何でも解決すると信じているの(涙)
それが一番つらいと感じた。
この日、母は調子が悪くて、妹もかなり動揺していたし、
何よりも三月以来の母の衰弱ぶりを見てショックが大きかったのだと思うの。
入院時期、もう少し早い方がよかったの?と問う。
母が自力で立ち上がろうとしなくなって、べッドから転倒する恐れが無くなったから
母の意志に反して私のケアだけでは手遅れになる時期だから
1日 有休日の娘と待ち合わせて見舞う
「**よ、わかる?」と尋ねた娘に「わからいでか。」と母にしてはくだけた物言い
母は上機嫌! 母が微睡んでいる間に洗濯しに部屋を出た時、
「おばあちゃん可哀想」と娘が泣く。
「四階に行く?」(四階に何があるのかしら?休憩所、販売機?を比喩して?)
「お水ダメ?ちょっとごまかして?」・・・母曰く
スタッフさん達の目をくらまして談話室でお茶など飲みたいのでしょう。
酸素マスクと点滴で動けないけれど、何とかなる錯覚なのだと思う。
その前日
足先が冷えると血中酸素を測定できないから、看護師さんが足先をこすると
母は「くすぐったい!」と両手を挙げてブラブラ
お茶目でヤンチャぶり発揮、
無意識に酸素マスクを外したり、点滴のチューブを引っ張り
目が離せないらしい。
最終入院を決断しながらも迷いで心が暗かった日の夜
和室で寝ていた母が「おじいちゃんに会いたい。」と言って
リビングから顔を出した父に「おじいちゃん久しぶり。」と言った
「ずっとここにいたよ。」と父が言うと(毎日一緒なのに)
「本当に?知らなかった・・・明日からずっと一緒?嬉しい!?」
と叫んだの。
あんなに険悪だった両親が、この数か月で仲良しになってくれて
それは嬉しいでしたが
よりにもよって入院を申し込んだ日に、どうすればいいの?
と胸が張り裂けそうでした。
先週木曜日に口から出血して、「ヒリヒリして痛い。」ということを
訪問医師に電話して問い合わせると
「診察した時に口内が乾燥して罅割れしていたので
血が出ると思っていました。」
と言われた。何故前もって言って下さらないのだろう?
知っていれば予防できた事柄・・・
その日の容態によっては落ち込み心身疲労しきって書く気になれなくて
遡って書くと
昨日3日は安定していました。
北海道の行方不明のお子が発見された朗報に、子どもこそ助かるべきだと
少し明るい気持ちで見舞った日
行くと両手で手を包み込んで頭を撫でてくれようとする。
べッドの柵に持たれて、母のゼスチャー交えてコミュ取り合っていると
センサーが働いて看護士さんが走って様子を見に来られる。。理由を昨日知りました。
「水」とグイッと飲む真似を繰り返すのだけど
「肺に入ると悪化するから。」ということで、口から物を取ることのお許しが出ない。
2日 思い立って日帰りバスで妹が見舞いに、G駅到着時刻から同じバスで病院に行く。
病室に入ると母は最初私しか見えていない様子で、手を取り
「(私)子ちゃん、胃腸薬飲ませて!」と哀願を繰り返す。
お水が飲みたいのだと思う。ずっと私が母の欲しい物を用意して
食べさせてあげていたから、私に言えば何でも解決すると信じているの(涙)
それが一番つらいと感じた。
この日、母は調子が悪くて、妹もかなり動揺していたし、
何よりも三月以来の母の衰弱ぶりを見てショックが大きかったのだと思うの。
入院時期、もう少し早い方がよかったの?と問う。
母が自力で立ち上がろうとしなくなって、べッドから転倒する恐れが無くなったから
母の意志に反して私のケアだけでは手遅れになる時期だから
1日 有休日の娘と待ち合わせて見舞う
「**よ、わかる?」と尋ねた娘に「わからいでか。」と母にしてはくだけた物言い
母は上機嫌! 母が微睡んでいる間に洗濯しに部屋を出た時、
「おばあちゃん可哀想」と娘が泣く。
「四階に行く?」(四階に何があるのかしら?休憩所、販売機?を比喩して?)
「お水ダメ?ちょっとごまかして?」・・・母曰く
スタッフさん達の目をくらまして談話室でお茶など飲みたいのでしょう。
酸素マスクと点滴で動けないけれど、何とかなる錯覚なのだと思う。
その前日
足先が冷えると血中酸素を測定できないから、看護師さんが足先をこすると
母は「くすぐったい!」と両手を挙げてブラブラ
お茶目でヤンチャぶり発揮、
無意識に酸素マスクを外したり、点滴のチューブを引っ張り
目が離せないらしい。
最終入院を決断しながらも迷いで心が暗かった日の夜
和室で寝ていた母が「おじいちゃんに会いたい。」と言って
リビングから顔を出した父に「おじいちゃん久しぶり。」と言った
「ずっとここにいたよ。」と父が言うと(毎日一緒なのに)
「本当に?知らなかった・・・明日からずっと一緒?嬉しい!?」
と叫んだの。
あんなに険悪だった両親が、この数か月で仲良しになってくれて
それは嬉しいでしたが
よりにもよって入院を申し込んだ日に、どうすればいいの?
と胸が張り裂けそうでした。
先週木曜日に口から出血して、「ヒリヒリして痛い。」ということを
訪問医師に電話して問い合わせると
「診察した時に口内が乾燥して罅割れしていたので
血が出ると思っていました。」
と言われた。何故前もって言って下さらないのだろう?
知っていれば予防できた事柄・・・