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生憎の雨だけど、

2024年04月21日
11月頃に、まだ父が生きていた時に植えた
パンジーやビオラ、ジュリアン類は
まだ持ち堪えているけれど、
毎年それらの花はGW頃に萎れてしまうので、
昨日ホームセンターに苗を買いに行き、
白と紫系でまとめた寄せ植えの鉢一つ作りました。
たくさん売られてる花の苗の中に
エンゼルストランペットを発見!
かれこれ20年以上探していたのではないかしら?
昔、玄関前のアプローチに鉢植えしたのを
置いていました。
これ、多年木だったんですね。
冬越しさせたことがなかったです。

庭のマーガレットワイン色は満開で、
三月に植えたマーガレットのイチゴミルクカラー
はあちこち蕾をつけ始めました。

今年はハナミズキの花は一部の枝先に
ちらほらと咲いただけ。
大きく育ち過ぎて、電線まで届くと危険なので、
去年主人が剪定してくれたのですが、
樹形を損ない、他の枝の開花まで被害を被りました。
不思議なことに斜め向かいのお宅のハナミズキも
花付きが良くなかったです。
同じように剪定されたのかしら?

そしてレモンの木
新芽と、花の蕾がつき始めました。

それぞれまた写真をアップしたいと思います。

昨日は寒くて、スポーツジムに行くのに、
少し厚手のセーターに上着を重ねました。

新友が数ヶ月ぶりに気功を受けられた。
ご主人とお花見するのに振り替えで来られたのだけど、
レッスン後も話が弾んで、少し帰るのが
遅くなり、
成城石井のレトルトでいただける
ハンバーグを買って帰りました。

画像
美味しかったけれど、
こういうの、主人の文句が多くなる。
手がかかる人だな(ため息)

新友は年齢が一番近いこともあって、
話題にも気を使わなくていいし、
周りからも一番自然に見えるらしい。
立派な仏壇で拝まれたいと言われるので、
「息子さんが二人もいるから、遺言したら
叶うのでは?」
と言いました。
父親なんて、わたしの近所に越して来る時に、
仏壇を処分しているのです。
あの頃から呆けていたのかしら?

母は神道だから、そういうのは要らないと言っていたし、
わたしも妹もキリスト教の幼稚園と大学
父は無宗教を唱えて昔からの立派な檀家と縁を切っていました。
修復できないことはないけれど、
妹と二人姉妹で、子ども達には繋げられないから。

母の時は、お寺さんで公益社で紹介していただき、
宗派だけは父も統一しました。

今日は父の仏事を行う日ですが、
それらの事で、どれだけわたしに心労がかかっていることかしら?
主人は税金とか、専門分野では頼れるけれど、
他は「関係ない。」妹は全部わたしに任すと、
主人の親戚は仏事を完璧にこなし、
こちらもそれに合わせて行っていた。
前例があるだけに、
気になりますが、同じようにはできません。

早い時期に本願寺で永代供養をするつもり。

昨夜、アンカー復活。
二日ほど必要なかっただけですが、

就寝中のオカメインコの保温について、
明け方のエアコンだけでいいかな?と
思いつつ、
また保温球ひとつを点けに降りました。
点けて正解。早朝はまだまだ寒いです。

又吉のブレンディの番組
「ほっとするわ」が終わって、心底ガッカリです。 
ゲストに関わらず毎週録画して観ていました。
十年一区切りと言われると、
きりがいいのかもしれないけれど、
半永久に続くと安心していたのです。
番組が始まった頃、スポーツジムで仲良しだった
⚪︎リちゃんとあの番組の又吉本当にほっとするね。
と合言葉のように言いあっていて、
観るたびに、どこかで⚪︎リちゃんも
観ているかな?と思い出していました。

毎朝飲む珈琲は、コーヒーメーカーで淹れていますが、
おやつ時にはブレンディのハーフカロリー珈琲や、
ミルク紅茶を選んでいたのになぁー。
これを機にUCCとか、色々飲んでみることにしようと思いました。

又吉さんは本格的カレーと珈琲の一番似合う方だと思っています。

昨夜はカレー

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たまにスープのようにカレーが飲みたくなります。

長い人生?

2024年03月16日
年末に玄関前に寄せ植えした苗に混じって
植えていた球根の花が咲いていました。

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濃いワイン色のマーガレットを移植した時に
芽を発見して、植えていたことを思い出しました。

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そろそろ水肥をあげないと

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咲き揃った地植えのクリスマスローズ

父が亡くなる三日前に、高校時代の親友の
お父様も亡くなられたのですが、
親友は親のマンションの片付けや、色々雑務も終えて、
後一つ用事を済ませば全てクリアするそうです。
地味だけど、信念のある方でした。
疲労からか、先週から頭痛と吐き気と聞いて、
身内が病気に罹った時のように動揺、
早く全快しますように(祈)

昨日ダンス前に友人1さんと色々楽しくお喋り。
1さんとも二人でも延々とお話しできますが、
2さんも一緒の三人での会話が慣れていて、一番自然というだけ。

この間、アルツハイマーに関する番組を観ていたら、
アルツハイマーの遺伝子を受け継いだら、
50パーセントの確率で発症するという

結局父は年齢的な呆けでしたが、
母の死後一時幻覚のようなものが見えたりで、
90歳を過ぎてから頃に近所の病院で検査した時は、
脳の萎縮は年齢相応、
試験は医師より高得点と言われ、
専門の病院で診ていただいた時は
経過をみないとわからない。
当時の父の日記には、遠くて古い病院に
連れて行かれた。次は行かないと憤慨していました。
糖尿病を患っていて、血糖値が安定して来ると、
症状も治ってきて、介護施設や病院で
父と過ごした空間は穏やかそのものでした。

仲良くしていただいている友人たちのご両親について、
思い起こして唖然!

.お父様がアルツハイマー 三人
.お父様がレビー小体系認知症 一人
.お母様がアルツハイマー 一人

他の方については、知らないのです。
良い方たちばかりで、一生仲良しでいたいのに、
友人が認知症などにかかるのは見たくないな。
発症年齢が80歳代くらいだったら、
それまでに良い薬が開発されている
可能性はあります。
本当に共に健康で過ごせますように。

感動

2024年02月13日
一昨日から昨日にかけて、鼻水や
少し怠かったりしました。
洗濯を干している時に
お隣のお子さんが咳き込むのが聞こえて、
一足早く花粉便りを実感しました。

スギ花粉に反応はしなかったはずですが、
到来の頃一瞬似たような症状が出ます。

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魚すきで温まり、
懐炉で温めて眠り、今朝は爽やか。

昨日久々ぶりに欽ちゃんの仮装大賞を観て
懐かしいというか、原点に戻って的なのも
好きだなと思った。
きちんと全部観たのは初めてかもしれません。
慎吾君素敵で良い年の取り方されてる!

録画して一昨日観た薬師丸ひろ子さんの
ソング、感動しました。

「Wの悲劇」はカラオケで十八番ですが、
昔の薬師丸ひろ子さんを真似ているというか、
あの方の歌は年々素敵に聴こえて来て
歌手もされてるという領域を超えている。
ドラマを演ずるように、
小説を読むように聴かせる女優さん。

稀に観る類の番組

2024年02月08日
去年録画していたヒッチコックの「めまい」を観た。
あの俳優さん素敵だと思った。
外人(西洋)って、わたしから見れば、
遺伝子の違いから、異星人かと思っていて、
まだ犬の方が分かり合えるくらい。

黒髪だったり、目の色が黒っぽかったりすると、
あまり違和感がないのだと思う。
そして何故かあの時代の
女優さんの服装は、わたしがまだ生まれていない
時代の母の雰囲気に似ている。
器用な母は、婦人雑誌を見て、
その時代の流行りを取り入れて作り
着こなしていたのだと思う。

母は和風っぽくないけれど、
わたしは限りなく和風に浸かって育ったというのは
説明がつきません。

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昨日は買い物先でお好み焼きを食べました。
主人は牡蠣増量に惹かれて牡蠣お好み焼き
わたしは迷って豚肉で貝割れののったのに
しました。

夕食は
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里芋にハマっています。
子どもの頃は苦手でした。
祖母は和風料理が得意だったけれど 
夕食に出された小芋の小皿を見て 
ため息をついていた記憶があります。
小芋=里芋でしょう。

自分で作った里芋の煮転がしは美味しい。

飛躍するけど

2024年01月26日
子どもの頃から女性週刊誌は一度も買ったことがない。
母もそうだったし、父はたまに
週刊新潮のような類は買っていました。

昔、耳鼻科や美容院で週刊誌を読んだことはありますが、
今地元で行きつけの美容院や歯科医院には、
 それらは一冊も置かれていなくて、
婦人画報類やタウン誌や、
(歯科医では、以前はサザエさんの単行本や、
外国の風景写真集)

だからダウンタウンの方の記事も
全部把握できていないままですが、
ネット記事を読むのも眼が疲れますから。
何で今頃なのだろう?

事実の是非はともかく、
糾弾的な内容の記事は
受け付けられない体質です。

政治のことや、今は地震災害のことから
国民の気を逸らさない方がいいと思うのだけど、
スポーツジムでは、そちらの話ばかりだし、
地震募金はどの団体にするのが良いかとか
考えないといけない事ばかり。

先週瀬戸内震源の地震が初めてあったと妹が
慌てていて、
ホームセンターで五年有効の保存食や
簡易コンロなどの話をしていました。

世の中の役に立つ記事を増やして欲しい。
使命感を持つ記者さんが増えればいいのに、

思い出の続き

2024年01月23日
昨夜の放鳥タイム
出遅れた芽葉映を誘いに行く桐

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そのまま芽葉映のカゴに入るから、
餌替えのタイミングで餌入れごと取り出したら、
慌てて出て来ました。
(隣の餌は美味しく)見えるらしい。




父方の祖父母の家の記憶は
最初台所は二階の応接兼用、 
祖父のアトリエの
続きの小さな居間にあり、簡単なテーブルセットがありました。
祖母が料理するところをあまり知らなくて、
小さな泡立て器のようなもので、お米を研ぐのは、
見た記憶があります。きっちりした手つき。
覚えているのは、千切りキャベツにケチャップをかけた物。
偏食で何も食べないわたしに困り果てて、
即席で作ってくれたのかもしれないけれど、
甘味があるから、食べられたのだと思います。

その後、気づいたら、祖父母の家は
リフォームされていて、
一階の通りに面した明るい窓のある所に
台所ができて、屋上が作られた。
洗濯物を干す祖母に連れられて、
祖父のアトリエに通じるドアを開けて、
狭い木で作られた階段を登って屋上に行く時、
木の壁にも、太陽の熱気が伝わって、
蒸し蒸ししていた。

屋上から、あちこち眺めたかったけれど、
お向かえの家をじろじろ眺めてはいけないと、
祖母に注意された。
その屋上で、祖父母宅の隣のカメラ屋の
男の子とままごと遊びをした記憶があります。

後に高校二年生の同級生が、
そのカメラ屋の息子さんだと判明するのだけど、
記憶している顔と全然違うので、変だと思った。
幼い頃に遊んだのは、その同級生のお兄さんのようでした。

そして同級生の方は、とても物静かな方で、
会話する機会は一度もなかったです。

色々

2024年01月20日
昨日のダンス、火曜日に持ち帰っていたシューズを忘れて、
バス停で気づいて取りに行き、
バス一台遅れたので、マシントレはパスしました。

本姐様は、昨年暮れに駅の階段から落下
された、酔っ払ってと噂が流れていましたが、
いつも通り頭の回転も早く、 
父について尋ねて来られて労って下さいました。
本姐様のお父様は胃癌で亡くなられたけれど、
最後まで苦しいとはひとことも仰らなかっと
言われた。
そういえば父も泣き言を言わなかった。
母は癌で闘病期間が長かったから、
モルヒネで眠らせて数日後だったし、
姑は肺炎で、亡くなる日の昼間は、
皆に感謝の言葉を発して、
その後、症状を和らげるお薬で眠られた。

父に関しては、そういうお薬については
何も仰らなかった。
本姐様のお父様も同じようだったらしい。




断片的な記憶では、
妹の存在を自覚した時、生まれたばかりで
一歳にもなっていない、ゼロ0を知ったことです。
その地点で、赤ん坊の妹を愛おしい、
守るべき存在という気持ちが芽生えていました。

従兄弟については、その数ヶ月後、
(父方)の祖母宅の二階のベビーベッドの上に
寝ている赤ちゃんを見たのが最初だったと
思います。あの時は無の感情に近かったかな?

それより先に、二歳の時に、朝、
(父方の)祖母に手を引かれて、
自宅に行き、台所で白いヨーグルトを食べて、
また家から数百メートル先にある
祖母の家に戻る。
祖母がきっちり鍵を確認していたのを覚えています。
あの頃に妹が生まれたのだと思う。
その時は祖父母はいたけれど、
昼間学校に勤務していた父の記憶はありません。

父の記憶は

2024年01月18日
生協やお供えしに通うのは別として、
朝起きて、緊急呼び出しされる心配がないというのは有り難いです。
父は亡くなって一目散に母のところに行ってしまったのか
夢に出てきてくれない。
母が亡くなった後は数年間、眠りの中では
当たり前のように存在していたのです。

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親戚から届いたお供物を亡き父に
供えに二往復したら、結構な距離でした。

わたしの最初の記憶は、
母の背で祖母も横にいて、医院の受付窓口で
見た水薬だったと思うのだけど、

父の記憶といえば、子ども部屋にひとりで
粘土遊びしていて、
夜だったと思う。急に心細くなって泣き声で、
父が飛んで来て、
「どうした?」と聞いた。
「粘土が汚くなった。」と言ったら、
丸めて最初包んであったセロハン紙に
仕舞って、部屋を出て行った。
その時、家に母がいなかった。
粘土遊びするくらいだから、とっくに妹は
生まれていたはず。
多分医院に連れて行ったか何か用事で
父と二人で留守番していたのだろう。
それが淋しくて何度か泣いては
父が泣き止ませるために、粘土を丸めたり、
片付けたりしていたみたいです。

その部屋は、父母が両親と同居していた時は
叔母の部屋だったらしい。
叔母がお嫁に出てから、わたしの部屋に
なったらしく、
わたしは部屋にひとりで過ごすのが
淋しくて泣いていたのだと思う。

叔母に関しては、両親と出かけた時に
おじが経営していた事務用品店で、
クレパスや画用紙など好きなものを選んで、
上機嫌だったことや、
そこに叔母がいて、思いがけない嬉しさや
安心感を持ったことは覚えています。 
あの時、子ども用滑り台もあったから、
従兄弟は生まれていたのかもしれない。

ランキングの意味

2024年01月14日
金曜日にダンス待ちの時に、
コロナ禍後にお知り合いになった
気さくな年長者とお喋り。
能登の地震について、
「あちこちで募金活動が
行われているけれど、どこが確かかな?
集めている団体に拘ってしまうわ。」
と、

元旦からの震災ということもあって、
何か他人事ではない気がしてなりません。
その日の帰り、駅前に数十人がずらりと
並んで募金活動をされていました。
目を凝らして見たら、市議会の共済?
市議会なら、バスルートの事でもお世話に
なっているのかしら?
気持ちだけ、今回初の募金。
毎回、少しずつ協力させていただくのでも
いいのかな?

話は変わって、最近のネットニュース、
やたら芸能人のランキングが目につきますが、
少し着眼点を変えれば、変動するような、
基準が曖昧な感じ。
ベスト3にもワースト3にも名前が上がり
どちらでも、もっともらしく賞賛と批判

学校時代の実力テストの席次は
シビアでしたが、信ぴょう性はあったと思うし、
頑張りに応じて上下する正当なものでした。
運動会のかけっこだって、
その日だけ英雄になれる児童がいても、
良かったと思うけれど、
差をつけてはいけないなど、言いがかりを
つける人たちもいた。
ゆとり世代は、真の意味の競争や
公平を知らずに育っているのではないかしら?

(あれらの信ぴょう性のないランキングを
つけているのは、ゆとり世代だったりして?)
などと妄想をしてしまいました。

思い返しても

2024年01月08日
昨夜また「二人のディスタンス」の録画に失敗。
寝る前に番組表に録画予約のチェックを確認したし、
今までに吉本チャンネルや東急チャンネルで
録画できていないことはありましたが、
NHKの録画予約で失敗したのは、
この番組のみで訳がわかりません。
わたしのミスではなくて、
他に原因があるとしか思えない。



昨日の続き

母が緩和病棟から退院したいと言い出した時に
訪問介護のスタッフを紹介されて、
定期的に保健師、看護師、医師などが訪問されるようになった時期、
わたしはてんてこ舞いの忙しさでした。

布団やマット干し、母のトイレ介助、
力仕事だけでエネルギーを使い果たし、
入浴サービスの時は、タオルや道具を揃えて、
掛け湯のお湯沸かし、そして両親の食事作り、
家に帰って日常の食事作り

この時もGWに連絡がつきにくかったり、
こちらも予想がつかずに一泊旅行を入れていたりでした。

そしてある日、母の血中酸素の値から?
医師に母の死が近いことを知らされた。
近いってどれくらいなのか、予想出来なかった。
次に保健師さんにも言われた。
「他の患者さんが苦しみで顔を歪めてるのに、
こんな安らかに和かにしてられて
恵まれています。」というような事を
言われた。

こんなに和かなのに、死ぬわけない…
不信感の始まりでした。
その後、母が肺炎で「苦しい」と言った時に、
訪問医師に連絡がつかず、保健師さんも
お休みの日のようで、
母の了解をとって救急車を呼びました。

運ばれたのは、K大学病院の紹介で
入院していた緩和病棟ではなく、
一般病棟で、前回入院した時とは
方針も全然違ったものでした。

この時の教訓を父の時に生かしたかったけれど、
父は緩和病棟のある病院ではなく、
父のマンション近くの病院
(その病院ができたから、引っ越しを決めた父だったから)
に通って、きちんと健康管理をしていただけていました。
それでも不本意な事が起きて、
考えもしなかった病院で最期を迎える事になるのです。

わたしは何と闘っていたのか?
主人もわたしの送迎ではずいぶん協力してくれたけれど、
親の介護に関しては、全てが肩にのしかかって、
やはり辛かったです。
これで良かったのか、色々疑問もあるけれど、
これが精一杯だったと思います。

続き

2024年01月07日
救急車で運ばれ転院した病院で
父はすぐに処置室に入れてもらえたけれど、
後から運ばれて来る緊急患者さん達の対応で、
てんてこ舞い状態で、付き添って来た人が
激しく咳き込んでいたり、
深夜まで待たされて、
建物の古かったり、夜間の待合室の空気で、
肩が凝りわたしも息苦しさを覚えたくらいでした。

月曜日、新しい担当医師から電話で説明を受けた。
緊急時に話を聞いて納得していた通り、
父の年齢や痩せ具合を考えても、
カテーテル治療は難しい。
その時は、症状も変化なく、食欲もないと聞き、
症状をとる治癒だけなら、(家の近くの長年お世話になっていた病院)に戻ることを希望しました。

そして火曜日、スポーツジム帰りに、
また医師から連絡
父が平熱に戻り、嚥下検査結果では
ギリギリ口から食べ物を食べられる。
食事も残さずに食べられていると言われた。
医師の懸命な治療に感謝しながらも、
やはり家から近い病院に戻ることを希望。

次に医師から連絡があった時に、
20日に希望通りに、従来の病院へ
搬送にいつも通りにわたしが付き添うことに決まりました。
前日からうきうきして準備していたところ、
20日朝に、医師から、父が朝から高熱で、
検査でインフルエンザと診断、
転院が一週間延期になったと連絡がありました。

そして22日は、朝、昼過ぎ、
夜10時過ぎと3回連絡があり、
父は夜11時15分に息を引き取りました。
それまで見舞いは一週間に一度、
予約制で、他家族が予約している時は
予約できない決まりと聞いていたけれど、

22日からは連絡の度に
見舞うようにと示唆されたので、
危篤ということなのだと、分かってはいたつもりでした。

インフルエンザ感染がなくても、
遅かれ早かれ誤嚥性肺炎か、心筋梗塞が進んだり、
寿命が近づいていたことは確かでした。

長年勤務して、多くの高齢者と接していらした
ケアマネさんの言われたことが
正しい事も勘付いていました。

そういえば母親の時も

続き

年末からの父1

2024年01月07日
父がお世話になっていた施設のケアマネさんから、
緊急病院搬送が頻繁になった頃に、(去年の秋でしたか)
「病院に主治医がいると、何かあった時に、
施設専属の医師の指示を仰げないから、
主治医を変えた方がいいのでは?」
とアドバイスいただいた事がありました。
食べられなくなった時の、(最初希望していた)
施設での看取り体制、
そろそろその時期に来ているのでは?」
この時のこの一言には素直に従うことが
できなかったのです。
(施設専属は内科医師のみで、
別に泌尿器科通いは避けられなかったし、
眼科、皮膚科なども、同病院に通院していましたから)

私的には賑やかにクリスマスやお正月の行事の
行われる広間に面した施設の個室での看取りは、
通う家族にとっても酷というか、
色々気を使うなとか、
職員さんの交代で休みの時期に入るので、
迷惑では?と気を回したりもしました。

そして、元からの病院の退院指導の方と、
施設のケアマネや看護師さんとの話し合いで、
父に異変が起きた時は、すぐに救急搬送で
その病院にと言っていただいた事で、
施設のケアマネも、受け入れてもらえるなら、
それでもいいかと思うと言われ、
わたしも10分で病院に走って行ける距離で、
話し合いは一件落着していました。

そして、次に夜間の緊急搬送された時は
父は心電図で心筋梗塞を疑われ、
やや慌てた非常勤医師のニュアンスで、
万にひとつのカテーテル治療の可能性をかけて、
初めて転院しました。
この時の対応が、父の元からの主治医だったらなと思うことはあります。

休息

2024年01月03日
今日は特に予定もないので、
のんびり過ごしたい。

早朝五時半起きが定着しています。
御トイレで起きて、そこから二度寝すると、
朝の用事に差し支えるので、そのまま起きるようになりました。
十時にラジオを聴きながらの就寝も定着して、
大晦日の紅白歌合戦も途中で居眠っていました。
一曲くらいとんだかな?と翌日録画で確認したら
五曲くらいの時間眠っていたようです。

女性司会者二人とも華があって素敵でした。
個人的には、去年も司会された橋本環奈さんの、
声のトーンがスッキリして心地よい。
大泉洋さんと息ピッタリのコンビを
もう一度見たかった気がしました。

最近見知らぬ歌い手さんが多いと思っていたら、
オトナブルーやヨアソビのアイドルは
スポーツジムのダンスで馴染みの曲でした。
インストラクターがオリジナルで振り付けされたもので、
アイドルはテンポが速くてバテバテでした。
歌詞を初めて知り、踊るのが楽しみになりました。

黒柳徹子さんの登場や、薬師丸ひろ子さんの
歌に癒されました。
星野源さん、流石の歌唱力!



NHKで又吉さんと、絵本作家のよしたけさんの
「その本は」を聴き逃しで聴いています。
あの本はまだ買っていなかったので、
絵を空想しながら聴いています。
本も購入したいです。

そして楽しみにして、友人にもあちこちお知らせしていた
「二人のディスタンス」を見逃し、ガッカリしていたのが、
また再放送されるようで、
録画設定しました。
前回も設定したはずなのに、
楽しみに確認し過ぎて、設定ミスしたようでした。
そして初放映の頃に父危篤で
病院に向かっていたのです。

先日行ったお店

2023年12月15日
来週NHKで「又吉 児玉 向井」のあと寝る
がテレビ放映されるし、
その翌日は又吉さんの「ふたりのディスタンス」
綾部氏里帰りの時の密着番組じゃないかな?
楽しみです。

そして今夜は一日遅れで「岡一グランプリ」を聴きたいと思います。
ミキ兄弟大好きだし、岡村さんも何気に
スルーできない才能を感じます。
岡一の時の昴生さんは煩いけど、
聴かずにクリスマスを迎えられない感じ。
そして一生懸命に応援する亜星さんカッコいい!

二日にランチしたお店はコッペ田島

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又吉さん、サルゴリラ、スパイクの動画から
ハリセンボンが引っかかり、
気になるパンの店で二人がランチしているYouTube番組。
箕輪はるかさんも昔から好きで、
あの話し方が落ち着くというか、
高校時代の親友に似ていないけれど思い出す。
偏食イメージの箕輪さんが
嬉しそうにパンを選んで食べていらっしゃる貴重な光景を目にして
東京はいいな。こんな店があるんだ!
と思って調べたら、大阪や京都にもありました。

電車利用で駅から30分以上歩く予定で
主人を誘ったら、リーズナブルなお店で、
交通費の方が高いから車で行くと言いました。
イメージしていたのは山歩きでしたが、
お店は比較的雑踏の中にありました。

安くて美味しかったです。
わたしはリピートしたいけれど、
主人はあくまでも和食の店を好みます。


今朝の高橋大輔さん出演のプレミアムトークも
録画しています。

昨日は

2023年11月28日
昨日は朝から歯科治療に、
以前割れた歯の片割れを、支えていた物が
外れたのですが、破損はなかったので、
そのまま付けていただき、治療は一回で終了しました。
その隙間に食べ物が詰まりやすいと
伝えたけれど、よく磨けていると言われました。

行きは歩いて

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帰りは主人に迎えに来てもらいました。
午後は病院に施設のケアマネさんと看護師さん、
退院指導の看護師さんを交えてカンファレンスが行われました。
待ち時間、病棟を歩く新人らしき看護師さん達が通ると
「初々しいしいね。」と言われたり
医師が通るのを見極めてから
「今の泌尿器科の先生ですよ。」と教えてあげたり、
施設のスタッフさんの事を、忙しそうで、
大変だなと思っていましたが、
昔病院に勤務されていて、大変過ぎて、
施設に変わられたと言われました。
…そうなんだ!

カンファレンスでは
施設のスタッフの方が、父の退院後の生活について、
専門知識を交えながら、次々と熱心に質問。
万事抜かりなくという意気込みを感じられ、
身内が来たように心強く感じられました。
そして退院指導の看護師さんに、
お世話になるのは何度目かしら?
時間的には大変なこともありますが、
父に関する人間関係もまとまりがあって
これ以上ないくらいに良好だなと
明るい気持ちになれました。

帰りに30分時間待ちして、父を見舞いましたが、
一番眠い時間帯のようでした。退院日を伝えると、
父は「嬉しい。」
と答えました。

病院への行き帰りは小走りだったので、
ちょっとした運動ができました。

昨夜の夕飯

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前日の豚汁も使用

イソヒヨドリ

2023年11月13日
金曜日に外から帰って来た時に
庭にいた鳥

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調べたらイソヒヨドリ♂のようでした。
(ヒタキ科)
何かボーっと佇んで見えました。

前日の朝、家の前のあちこちにグレーの羽が
複数落ちていて、ざっと6枚、
野鳥も換羽がありますが、我が家の前に
集まっているのは気味悪かったし、
その後、父の不調を知らされたので、
余計な心配をしてしまいました。

同じ羽色をしたオカメインコの桐は
元気にしていました。

部屋からも確認

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考えられることは、換羽中か
前日の羽はペアの雌で、烏に殺められた。
その時少し離れた所で烏も鳴いていました。
一羽でボーっと居るというのは、
そんな時です。



テレビ番組の話
「どうする家康」毎週楽しみに観ています。
最近では石田三成演ずる中村七之助凄い!
美容院に行った時に、婦人雑誌で女型の
グラビアを観るくらいでしたが、
今回、演技に魅せられました。

朝ドラも毎日観ています。
前の(らんまん)も毎日観ていて、
主人は植物博士の牧野マン太郎に関する
番組を片っ端からチェックしていました。

キングオブコント、サルゴリラ優勝、
ずっと応援していたけれど、
嬉しいわ。

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児玉さんを知ったきっかけは、
又吉さんの著書が先かな?
又吉さんが昔ライブでサルゴリラの
前身ジューシーズと共演した時に、
たいへん面白くて、労いの声をかけたのが
出会いのようでした。
同じく又吉さんが出演されていたEテレのオイコノミヤで、
体育館で運動しているシーンの一員だったり、
共通の趣味がサウナ風呂で、
お気に入りの風呂屋で又吉さんと一緒に入った時の映像など、
コント以前に存在が面白くて、癒しでした。
後にNHKラジオの「あと寝る」を聞くようになって、
何年経つのかな?

キングオブコントの話題は「あと寝る」では
もちろんのこと、
「あと寝る」で情報を得て聴いた
先週のNHKラジオの「ふんわり」で
NHKのアナウンサーにも激励されていた。
かってNSCで木村裕一さんの教えも受けたそうで、
木村さんも、サルゴリラの面白さを認められていました。
追い風だと思いつつ、
最後のチャンスかな?
という気もして、
今までラジオで予選から何度も敗退理由を聞いてきて、
予選の準決勝進出の時に、大喜びしていた面々、
今年はテレビで決勝戦を観れるからいいかな?
この機会にテレビでサルゴリラを観る機会も
増えたら嬉しいな〜
とは思っていましたが、

優勝?実力はあり過ぎる二人だけど、
何らかのきっかけですべる可能性も大有りだったから、
完璧な結果が信じられないくらい。

昨日はダウンタウンの浜田、松本さんが
神に見えました。

感無量!

2023年10月17日
ピースの綾部さん六年ぶりに帰国、
原宿でのトークライブは
早い時期から又吉さんラジオ経由で知っていました。
NHKラジオ「あと寝る」では先週から又吉さんに
密着が付いていたので、放送を楽しみにしています。
昨夜のラジオは今週土曜日に迫った
サルゴリラのキングオブコント出場の
話もあり盛りだくさんでした。

綾部さんのリアルスター感は、
噂を耳にするだけでも伝わって来るし
元気をもらえます。

土曜日ヤングタウンでも、さんまさんが話されていて、
さんまさんはニューヨークを訪れた
時に何度か綾部さんに会っていて、
綾部さんがロサンゼルスに拠点を移して、
会えなくなった。
綾部さんが帰国して挨拶に来た時
お土産のお気に入りブランドの
シャツに大喜びされていて、
元モー娘。の飯窪春菜さんの
昔の失態と比べて「そこのところや。」と
説教(笑)するのが愉快でした。

綾部さんは積極的に先輩たちには挨拶周り
又吉さんは後輩たちを集めて、
綾部さんを囲む会で初めて幹事されたと、
向井さんが楽しそうに報告、

綾部さんのリーダシップ力では
場がピシッと引き締まったことでしょう。

早くNHKの密着番組を観たいな。
又吉さんとのツーショット感無量!
うるッと来ます。

同窓会

2023年10月14日
一昨日も楽しい夢をみた。
(友人の買い物について行く、
今度わたしが買う時はついて行ってあげる
と言われて、それなら次にあなたが買う時
一緒に買いに行けばいいじゃない?
と言うと、それは無理みたいに言われて、
??だったけど楽しかった。
道中、海が目の前に広がり、
夏の明るい、そして街の賑やかな海の風景で、
今度この界隈を探索したいと思った。)

リアルでは、昨夜、高校の学年全体の同窓会の知らせを聞いた。
楽しいことってこれかな?と思ったけれど、
12月も半ばを過ぎると出にくいな〜
が本音。
三年時の女子LINEでは欠席通知が続いていた。
女子はこの時期遠出しにくい。

来年また女子LINEでクラス会をするらしい。
そちらに参加させていただこう。
楽しい事って、そちらの方かしら?

そして学年の方のLINEには招待していただくことにしました。

今朝知った

2023年09月28日
キングオブコントでサルゴリラが決勝進出
したらしい。
テレビで決勝戦を観られる、とても楽しみです。

最初にサルゴリラの児玉さんを知ったのは、
又吉さんの「東京百景」を読んでから、
三人グループから一人脱けて、
又吉さんがサルゴリラと名付けられてからも、
NHKラジオの「あと寝る」を欠かさず聴いていて、
毎年この季節になると、結果にヤキモキしていました。
元から面白いし、才能があっても、
長年報われなくて、諦めてしまうと思うのですが、
粘り勝ちですね。
去年は準決勝まで行けて、最後決勝戦を
テレビで観たかったな〜と書いた記憶があります。

話は変わりますが、
今応援している俳優さんって
スポーツジムでご一緒の方ですが、
番組チェックに引っかからないものが複数あって、
見逃しそうです。
名前を書くと、ブログの身バレもさることながら、
プライベートでジムで身体を鍛えていらっしゃるので、
個人情報にも引っかかりそうだから、
書けないな。

常に寡黙な方で謎めいますが、
十年くらい遡って思い出すと、
あの頃、あのドラマを撮影されていたのかな?とか
やはり普段の発するオーラにも影響されている。
スクリーンの世界から
そのまま出て来られたような不思議な存在。
役者そのもの。
他に芸能人を見ることがありますが、
全然違うんだわ。

昨夜は大雨だったみたい。
蜂は居なくなったのではなく、
雨に備えて色々備えていたのかもしれない。
今度晴れ渡った朝を迎えた時に、
一斉に姿を表したらどうする?
油断大敵だと思いました。

先々日の話になりますが、主人の用事に
ついて行った時に、入った喫茶店での出来事。

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わたしは定番のサンドイッチ

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主人も定番のオムライス

賑わっていましたが、比較的スペースに
余裕ある場所に座りました。
近くの席の方は鞄を置いたまま離席したまま

と思っていたら、主人が言い出しました。
「鞄置きっ放しで、考えられない。」
「貴重品入れてなかったら大丈夫では?」…わたし
「書類でも危ないで」
「他人事だし、別に気にしなくてもいいじゃない。」…わたし
「イヤ、気になる。」
「じゃあ見張っていれば?」…わたし

しばらくするとその人は戻って来て、
一口珈琲を飲んで、また席を離れて行く
「また鞄置きっぱなし。」
「お腹を壊しているのかな?」…わたし
上品な長身眼鏡、普通に座っていれば
好青年そのもの

戻って来て、立ったまま珈琲一口
また行ってしまう。
主人がかなり気にしているから
「顔色悪いね。でもトイレの方向じゃないわ。
喫煙所だわ。タバコ中毒かな?」…わたし

次もまた同じ事の繰り返し
「小型のノートを持ち運んでる。
暗記するためのリズムか何か?
資格試験勉強じゃないの?」…わたし

主人が笑って言いました。
「ノートの表紙見えた!」
「何?何の勉強?」わたし
他人事には無関心な事が多いですが、
何か興味を惹かれる行動パターンでした。
「ゼイ⚪︎シの〜」
「あーっ。それは大変な」…わたし
結婚して娘が生まれた頃から
受験生の妻を何年したことかしら?
心身すり減らして頑張っていらっしゃるんだな

「夏に試験終わったとこやろ。」
「また一年頑張るパターンかな?」…わたし

レジで支払いを済ませに行くと、
その人も後ろに並ばれました。
主人と車に乗っていると、道路を渡って行くのが見えました。
良い結果が出ればいいなぁと他人事ながら
祈りました。

娘がとった資格は、ゼイ⚪︎シではないけれど、
やはりかなり大変だったはず。
主婦しながら、エネルギーを消耗していた
ことでしょう。
去年課長になれたらしい。
(わたしにはとても無理)
最近、仕事仲間の方々と遠足で
貴船体験をしたらしい。
楽しそうな写真が送られて来ました。

昨日の不愉快

2023年09月17日
昨日、車で近隣のスーパーに行った時のこと
チーズを補充しようと、どれにしようかな?と、
三角チーズ二種類選んで場を離れようとした時に、
入れ違いに来た二、三十代の女性
細身で、細い手首にぶら下げたように
ブランド物(偽か本物かは知らない)の腕時計
黒い日傘、白い大きめのバッグ

同じように念入りにチーズを物色
買い物カゴを持っていない…
しばらくしてヨーグルト売り場でも同じように品選び
やはり買い物カゴを持っていない
売り場を変えて延々買い物を続けているけど、
買い物カゴは見当たらないし、
連れの人もいない
白いカバンは膨らんでいる。
どういうことかしら?

目の悪いわたしが不審に思うのだから、
店の従業員が気づかないはずがない。
一番近くにいらしたレジ近くの
菓子類にいた従業員を見てビックリ!
初夏から夏にかけて三回連続で見かけた方、
体格はいいけれど、垢抜けたファッションで
買い物をしていて、
人の顔の覚えが悪いわたしが一回で印象に
残った人
が、店員になっていました。

正義感の強いわたしは、その場で注意したかったのだけれど、
グッと我慢、
店の方が見て見ぬふりしてるのに、
全く関わりない者がしゃしゃり出て行くことはないわ。
だいたい、疑惑のその女性を見たのは初めてで、
わたしとは何の関わりもない。

ただ、お腹が空いて食べるものがないとかの
理由なら、
同情するけれど、あの派手な装いで、
ゲームを楽しむような感じは
より許せない。気分が悪い。

一番ムカつく理由は、日傘が母の形見の
イブサンローランの黒いのと似ていたことと、
白いバッグ…大きさは違う
わたしがこの夏に眼科や、
ちょっとしたランチに出かけた時の組み合わせ。
まぁ服装と年代は全然違う。

今の世の中、正義感ぶら下げて、
余計な関わりを持つのは怖いわ。
全然知らない人で良かった。

テレビを観ていて

2023年08月28日
数年ぶりに24時間テレビを録画して、
間30秒送りしながら、感動的なシーンを
拾いじっくり観しています。
芦田愛菜さん好きなので、今年は観る場面が多くて、
半分くらいを終えたところです。

泣くと眼圧が上がるので、涙を避けて観たいけど、
親子登山などは観ずにいられないし、
必ず涙がついて来ます。

はなちゃんの味噌汁は、有名だったけれど、
 当時は観る機会がなかったような
母の闘病中は、そういう感動を避けていた
時期があります。
今回当時のエピソードも含めて観ました。

愛菜さんに関しては、大河ドラマで、
茶々の子ども時代、柴田勝家落城前のシーンに
感動したのが始まりで、
高校生の時にマンドリン演奏された時に、
リスペクト対象だなと思いました。


遠泳も良かったです!
輝星ちゃんは、NHKの英語番組に
市川牡丹、市川新之助姉弟が出演された時に
子どもなのに気配りできる人だなと
感心したことがあります。

後半は時間のある時に、ゆっくり観たいと思います。

今頃だけど、27時間もところどころ観ていました。
100キロ走りで、
井上味楽さんが僅かな休憩タイムに
勢いよくおうどんを食べるのを目で追い
走れる人の食べっぷりが心地よかったです。

今日は父の用事です。

苦手な虫だけど

2023年07月29日
昨日、小蝿らしき虫に纏われて、
振り払っても、すぐに着衣している物に留まる。
リビングでは虫一匹見逃せない理由は
オカメインコが虫を怖がってバタつく。
たまにカゴの中で反対向いてフリーズしている時、
部屋に虫がいたことが何度かありました。

思い出したのは、前日の入浴中に
タイルにいた小蝿、
シャワー水で気絶したように見えて、
その昔、蚊以外の虫の殺生はしたことないと
言いましたが、台所にアリの群れが来て
アリ滅を使用したり、
ゴキブリ駆除にホイホイをいくつか隅に
置いたり、仕方ない事があります。
眼の手術前は虫の見分けもつかずに、
ものすごいストレスでした。

昔、文鳥の琴ちゃんは、部屋を飛んでいた
小さな蛾をパクッと丸呑みして驚いたことがありました。
琴ちゃんのお里が、文鳥複数飼育されていて、
鍛えられていたからでしょう。
懐かしいあの頃…

その時はよく見たら、小蝿だとはっきり判別したので、
そっとティッシュで包み脱衣所の棚の上に載せました。
入浴後見たら、ティッシュの周りを動いていて、
後に外に逃がそうとしたら、いなくなっていた。

その虫と同じ類の虫でした。
一度助けた虫だから何とか救いたくて
ティッシュで包んで外に逃した。
いくら助けたといっても、消耗する出来事でした。

今日は頑張って行ってきましょう。
ただでさえ暑いから、
やはり身体に気をつけないと。

話は脱線するけど

2023年07月24日
金曜日のジム帰りのことだけど、
バス停で小母様に出会った。
遠くからとっても和かに、前回、顔色が
悪過ぎて心配していたことがらを
全て吹き飛ばすかのようにお元気で安心しました。

今度、中車と隼人の歌舞伎を観に行かれるとか、
いつも渦中の人を見逃さない方だな。
その行動力というか、バイタリティの凄さに
いつも驚かされています。
わたしは猿之助に同情する気持ちが残る。
直接介護されていなくても、
同じ家で暮らしている親が、
病気や認知症を抱えていて、
責任ある舞台をこなして行くのは並大抵ではなかったと思うから。

母は最期に入院する前頃に、昼間は比較的元気な様子で
「なかなか楽にスッキリ死ねないものだわ。」と呟いていたし、
その頃、深夜に腰を痛がって、すぐに死にたいなどと、
父に愚痴っていたらしく、
認知症初期症状でややこしくなっていた父の
当時のメモを見ると
(母と話して病院で安楽死させてもらいに行く…)
なんて有り得ない事を書いてありました。

真実は、最期に入院後たちの悪い肺炎に罹り
血中酸素値も下がり、治療効果が絶望的になった時に、
本人の苦痛を減らすために、治療方針で
眠らせる。
それは死ではないけれど、そのまま家族と
コミュニケーションできなくなるので、
生に戻れないということはあります。

いくら説明しても、父はそれを安楽死と受け取っていました。

施設で穏やかに暮らす要介護4の父でさえ、
時には「もうめんどくさい。生きるのに飽きた。」
と言うことがあります。
同居して絶えず顔を突き合わせていたら、
感情的に、生死に関して家族が困るような
発言はあるはず。
介護は辛い。

昨夜はすき焼き

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ギフトでお肉を選びました。
最近の物価高で身近な買い物に関して
お野菜購入では新鮮でお安い品に恵まれていますが、
肉に関しては、スーパーなどでは、
食感がワンランク落ちした感が拭えなくて、
一応メーカーで選びましたが、
例年ほどではないかな?

残りは二パックに分けて冷凍。
次に息子の所に行く時に、しぐれ煮にしましょう。

昨日見た夢が

2023年07月09日
明け方面白い夢を見たので、やはり記録メモをしておきます。

昨夜、ヤングタウン土曜日の開始時刻が、
10時40分と表示されていたので、
聴かないで先に寝ました。
3時頃目を覚まし、今までだったらそのまま
また眠るところを、
努めて枕元に置いてる白湯を飲み、
行きたいわけではないけれど、御トイレの用も済まし、
radikoでヤングタウンを聴き、
20分くらいでまた眠ったと思います。

絵文字ここから夢
(ヤングタウンの空間に居た感じ
サンマさんは偉い方同士で討論中
テーブルにハロプロ関係の、その日の出演者がいて、
懇親会の軽食中、
わたしは聴いていたラジオをofにしたはずなのに、
まだ聴こえて来て、焦って繰り返し何度か電源を切るを試みている。
催しの食事は時間限定みたいで、終了していた。
足を延ばして奥に進むと、いくつか催し店があって、
また食べ物の店もあるかな?と思う。
女の子たちは皆我関せずモードだけど、
和やかな雰囲気。
催し会場の方達が、古参女子を崇めているように、
その子のバースデーの話題が多い。
(和やかな雰囲気なのは変わりなし))

そこで目を覚ましたら、6時頃で、
耳にイヤホンをさしたままでまたヤングタウンが流れていた。
設定を確認したら、繰り返しofです。
3時から6時までヤングタウンがかかっていたなんて
ありえないけど、起きた時も3時過ぎに聴いた
内容の話(櫻井莉央さんが近代建築について)がかかっていました。
夢の中で時々ラジオが聴こえて来たのは
実際に聴こえていたのだと思うけれど、
繰り返し設定していないのに、
朝まで連続で鳴っていたのは
何故かしら?

昨日の父

2023年06月27日
昨日は父の内科と泌尿器科受診付き添いでした。

最初施設から医師宛の血圧や血糖値を記録した
封書がなくて、探していたら、
施設のケアマネ(看護師)が速攻で届けて下さり、
〜準備していたのに、気づかない間に出発していたらしい〜

前回内科受診でお薬の量を減らし
その後の経過も良かったので、
先生はご機嫌麗しくハッピーオーラが
伝わって来るほどでした。

内科医師はいつもカルテを隅々まで目を通されている。
去年父が心不全で救急車で運ばれて、
担当になった直後に、父の今までの受診経過を
既読されていて、びっくりしたのが最初でした。
今では、眼科など他の受診日について
目薬だけの日なども、
ひととおりチェックされていらっしゃるみたい。  

次の診察待ち時間
父は母はどうしてるか聞いてきて
「家で待っていたな?」と
わたしは正直にずっと前に亡くなったと言うと、
父は
「そんなこと全然聞いていない。知らなかった。」
と狼狽えた!
父に一から説明
バスで一緒にお見舞いに行ったこと、
何年も前に亡くなって、最後の日は
父が病院に泊まったこと、
一緒に葬儀に飾る花を選んだ話もしました。

明らかに混乱していたようでした。
「もう生きるの飽きて来た。
食べて寝るだけで、めんどくさい。」
など言い始めた。
わたしは
「先週体調が悪くて微熱もあったから
お見舞いに行けずにごめんね。
また行くからね。
夏には娘(孫)も一緒に行くから」
と宥めました。
前日は母の命日でした。

泌尿器科、診察室に入るなり、
医師はわたしの容態から尋ねて下さいました。
すっかり日常に戻っているけれど、
座っていると、まだチクチク違和感があります。

父は医師にまだ挨拶していないと焦り
目の前にいらっしゃると伝えると
白い旅行鞄が見えると
「先生の白衣じゃない?」
「違う。旅行鞄がたくさんある。」と言うのです。
見えない物が見えているの絵文字

そういえば、妹夫婦は今沖縄旅行中なんだけど、
そんなことひとことも話したこともないし…

診察後、看護師さんが父に挨拶というか、
尊い者に畏敬を表すかのように接して下さった。
(霊的な気配?お迎えが近いんじゃないのかしら?)

苺のシーズンが終わり
父はコーヒーを飲みたがったから、
経過も良いし、こんな時くらいと
医師が砂糖も許可して下さっていたので、
近くのコンビニで買って来ました。
いつもブラック無糖で、今回は砂糖半分入れたのに、
前の方が甘いと言う父
長い缶の甘いコーヒーと言う。
缶コーヒーなんて、いつの話しをしているのかしら?

次回、眼科受診日は缶コーヒーを飲ませてあげたい。

そして施設に送ってから、施設の看護師さんに、
父の幻覚の話をして、他の方の例を問うと
「亡くなる前の方は、子どもや、亡くなった親など、人を見ることはあります。
物ではないから、また違うと思う。」
と言われました。

二度め

2023年06月19日
昨日朝から調子悪い?
水分をたくさん摂って、少しましかな?
このまま治るかもしれないと思いながら
過ごしていた。

主人が弓道を見学するのにも
ついて行き、わたしは体育館前のソファーに
座って待っていた。

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帰宅して夕食の支度も済ませ、

IMG_7430
青空市で購入した大根葉を全部使って
この時、何か、病院に行った方がいいような
気がしていたから、
早く調理して夕飯を済ませてしまおうと
思ったのです。

主人が連絡してくれて、すぐに車で
眼科や皮膚科行きつけの近隣の病院へ
思った通り膀胱炎でした。
前回初めて羅漢したのは2016年11月
あの時は、歩けなくて、車椅子移動でしたが、
今回は何とか歩きました。

病院に着いて安心したのか、加速して辛くなり、
医師が説明されてる間も目を閉じて、
唸っていたくらい。

尿検査で白血球の数値が前回と全く同じ
だと言われました。

抗生物質一日一錠
とにかく水分を摂って、菌を身体から
早く出すことだから、
残尿感でトイレに走る時も、
菌を出すためだと、前向きな気持ち。
 
横になっていると、まだ外が明るくならない
うちから、ましな気がしましたが、
お薬効くのが早すぎる。 
少し楽になっても全然眠れなくて、
少しうとうとして気づいたら五時頃、
微熱三十七度
その後八時過ぎまで眠り、
慌てて点眼しました。

起きて座ると、やはりまだ症状はあります。
薬の影響で胃が気持ち悪い。
朝食はなんとか果物だけ食べたところ。
平熱に戻りましたが、怠いです。
軽い風邪も引いてるのでないかしら?
今日は静かに寝ることにします。

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