日中暑いくらいだったのに、
11月の帰り道は薄暗くて寒い。
複数のレッスンを受けていたコロナ禍前は
もっと暗くなっていたけど、どう過ごしていたかしら?
小母様がいらっしゃれば、また違うのでしょうけど…
今年一番心細い気がしていました。
すると目の前に暖かそうなコート姿のご婦人が
「⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎さーん!」と走って行きました。
小母様が、そしてその前にはご主人がいらしたの。
これは幻?夢なら覚めないうちに早く言わなければ、
労いながら、どれほど心配していたかなど
必死で伝えました。
わたしが小母様事情について、伝え聞いた
事を省略したので、少しチグハグな感じです。
「入院したの…フランスとスペインの国境の
旅行して…」
と小母様は話されました。
「合唱祭の後で、旅行されて、その翌日くらいに、
ここでお会いした時にしんどそうにされていたでしょう?
あの時気がかりで、それ以来一度も
お見かけしなくなって、どれほど心配だったか。」
小母様はお姿も、話し言葉も以前とお変わりなく、
傍目には、何の変化も感じられませんでした。
手術して20日以上入院されていたそうです。
昨日は会社からの帰り道だそうです。
「後一歩というところです。」
とご主人が言われました。
この時期にここで出会えたタイミングで
「合唱コンサートご一緒しませんか?」
とお誘いしてみましたが、
ご主人が付き添わないといけないから
無理なように言われ、
「わたし、親の付き添いで慣れているから、
一緒に行きますよ。」と言いつつ、
(万が一何かあった時の対処は責任あるかな?)と心配に
すると小母様が、まだ行けないような事を言われました。
「何で付き添いが必要なんですか?」と尋ねたら
「周りが心配するから。」と
「何も変わりなく以前のようにお元気に見えます。」と言ったら、
ご主人が
「発見が早かったから。」と、とても嬉しそうに言われました。
「ご家族のご協力で、良かったですね!」
頑張ってリハビリは続けて下さいね。
また前のように、お出かけしましょうね。」と約束しました。
愛犬や、親は亡くなり、二度と会えなかったけど、
小母様は生きていらしたから、
またお目にかかることができました。
暑い季節にも、ジムからの帰り道、
ここに小母様が、またいらっしゃればいいのに、
たとえ「初めまして!」と言われても、
お元気な姿を見たい〜と切望していました。
昨日は、ちゃんとわたしを覚えいて
下さって、名前を呼んで下さっていたので、
より安堵しました。
また感謝の言葉を伝えるのを忘れました。
小母様はまだ長生きされるから、
慌てて伝える必要がないと思いました。
11月の帰り道は薄暗くて寒い。
複数のレッスンを受けていたコロナ禍前は
もっと暗くなっていたけど、どう過ごしていたかしら?
小母様がいらっしゃれば、また違うのでしょうけど…
今年一番心細い気がしていました。
すると目の前に暖かそうなコート姿のご婦人が
「⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎さーん!」と走って行きました。
小母様が、そしてその前にはご主人がいらしたの。
これは幻?夢なら覚めないうちに早く言わなければ、
労いながら、どれほど心配していたかなど
必死で伝えました。
わたしが小母様事情について、伝え聞いた
事を省略したので、少しチグハグな感じです。
「入院したの…フランスとスペインの国境の
旅行して…」
と小母様は話されました。
「合唱祭の後で、旅行されて、その翌日くらいに、
ここでお会いした時にしんどそうにされていたでしょう?
あの時気がかりで、それ以来一度も
お見かけしなくなって、どれほど心配だったか。」
小母様はお姿も、話し言葉も以前とお変わりなく、
傍目には、何の変化も感じられませんでした。
手術して20日以上入院されていたそうです。
昨日は会社からの帰り道だそうです。
「後一歩というところです。」
とご主人が言われました。
この時期にここで出会えたタイミングで
「合唱コンサートご一緒しませんか?」
とお誘いしてみましたが、
ご主人が付き添わないといけないから
無理なように言われ、
「わたし、親の付き添いで慣れているから、
一緒に行きますよ。」と言いつつ、
(万が一何かあった時の対処は責任あるかな?)と心配に
すると小母様が、まだ行けないような事を言われました。
「何で付き添いが必要なんですか?」と尋ねたら
「周りが心配するから。」と
「何も変わりなく以前のようにお元気に見えます。」と言ったら、
ご主人が
「発見が早かったから。」と、とても嬉しそうに言われました。
「ご家族のご協力で、良かったですね!」
頑張ってリハビリは続けて下さいね。
また前のように、お出かけしましょうね。」と約束しました。
愛犬や、親は亡くなり、二度と会えなかったけど、
小母様は生きていらしたから、
またお目にかかることができました。
暑い季節にも、ジムからの帰り道、
ここに小母様が、またいらっしゃればいいのに、
たとえ「初めまして!」と言われても、
お元気な姿を見たい〜と切望していました。
昨日は、ちゃんとわたしを覚えいて
下さって、名前を呼んで下さっていたので、
より安堵しました。
また感謝の言葉を伝えるのを忘れました。
小母様はまだ長生きされるから、
慌てて伝える必要がないと思いました。
27日に娘と出かける予定が25日夜になって、
土日出社することになって行けなくなった〜と、
連絡があってガッカリしました。
「直前に言ってごめんなさい。」と誤っていたし、
気の済むまで仕事をやり遂げたい性分なので、
仕方ないですが、
夏から計画していて、日帰りなら大丈夫そうと言うので、
忙しい娘に代わり、旅番組を観たりして、
娘の趣味が充実する場所を見つけて、
少し乗り換えは多くなるけど、
気候の良い時期だしと、楽しみにしていました。
管理職になってからは、ずっとこんな調子です。
以前の娘は、同じ仕事をこなすのに
残業は必要ない。時間内に能率よくこなさずに、
だらだら残っているのは、仕事ができないということ、
とまで言っていたのに、
今では土日曜日も当たり前のように、
午後から出社しているようで、
男女平等とは、そういう事なんだな〜
11月の鑑賞(二回)を楽しみにすることにしよう。
そして、あまり寒くならないうちに、
父のお参りにも行きたいです。
土日出社することになって行けなくなった〜と、
連絡があってガッカリしました。
「直前に言ってごめんなさい。」と誤っていたし、
気の済むまで仕事をやり遂げたい性分なので、
仕方ないですが、
夏から計画していて、日帰りなら大丈夫そうと言うので、
忙しい娘に代わり、旅番組を観たりして、
娘の趣味が充実する場所を見つけて、
少し乗り換えは多くなるけど、
気候の良い時期だしと、楽しみにしていました。
管理職になってからは、ずっとこんな調子です。
以前の娘は、同じ仕事をこなすのに
残業は必要ない。時間内に能率よくこなさずに、
だらだら残っているのは、仕事ができないということ、
とまで言っていたのに、
今では土日曜日も当たり前のように、
午後から出社しているようで、
男女平等とは、そういう事なんだな〜
11月の鑑賞(二回)を楽しみにすることにしよう。
そして、あまり寒くならないうちに、
父のお参りにも行きたいです。
昨日は年に一度の健康診断、
体重とお腹回りを記憶して、
帰ってからチェックしたら、去年の方が多かったです。
夏のスカートが窮屈だったりで、
増えたと思い込んでいたのかしら?
コロナ禍でスポーツジムをお休みしていた頃すでに、
今より体重は多かったのです。
以前はホックを外したまま着用していたのかな?
問診で七月にコロナ感染したけど
今は完治した感じはあると伝えたら、
「しっかりワクチン接種して。」という話題も出て、
その後の最終診察で聴診器の後で
医師にメモした紙を見せられて、
他市の市長のYouTubeについて、
ワクチン接種後の被害について…
多分100%安全じゃないと警告して
個々に選択するように示唆されたのだと思う。
ワクチンが有料化したことには、
そういった理由もあると言われた。
妹もそういった事を言っていたし、
友人1さんも受けない派。
接種後に帯状疱疹に罹った方は、
不信感を抱く事になるみたい。
緑内障でお薬制限のあるわたしは、
ワクチン接種して少しでも軽く済ませた方が
いいと、感染後に自分で判断していたのですが、
昨日、医師は癌についても言われたので、
かなり混乱しました。
すでにコロナ禍前から二人に一人が癌に罹ると言われていたし、
甲状腺癌は原発とかの影響が大きいと思っていました。
健康診断の後の恒例のランチ
早い時間だったので、モーニングサービスの
あるお店に行きました。
それから美容院に
カットと、前回当選したヘッドスパを
していただきました。
いつもカットをお願いしているベテランの方が
ヘッドスパもして下さったので、ちょっと気を使うな〜
と思いつつ、後半居眠っていました。
検診で医師に言われた事を話したら
接種を勧めるのは大多数の側を考慮して、
少数派(特異体質)切り捨ての考えというだけで、
日本人はそれで団結して反対派を攻撃してしまうのが…
というニュアンスで、的確に捉えられている
と思いました。
この美容師さんは、真正、頭の良い方です。
ただ、医師の言われた癌については、
どこまで信憑性があるのかしら?
余談になりますが、小父様曰く、
小母様は脳梗塞らしいけれど、以前の話が、
コロナワクチンどころか、インフルエンザ予防接種もされたことがないと
言われていました。
癌も免疫力が弱っている時になりやすいとすれば、
予防接種より、感染した時の方が
罹りやすいかもしれない。
もう何を信じていいのか分からない。
体重とお腹回りを記憶して、
帰ってからチェックしたら、去年の方が多かったです。
夏のスカートが窮屈だったりで、
増えたと思い込んでいたのかしら?
コロナ禍でスポーツジムをお休みしていた頃すでに、
今より体重は多かったのです。
以前はホックを外したまま着用していたのかな?
問診で七月にコロナ感染したけど
今は完治した感じはあると伝えたら、
「しっかりワクチン接種して。」という話題も出て、
その後の最終診察で聴診器の後で
医師にメモした紙を見せられて、
他市の市長のYouTubeについて、
ワクチン接種後の被害について…
多分100%安全じゃないと警告して
個々に選択するように示唆されたのだと思う。
ワクチンが有料化したことには、
そういった理由もあると言われた。
妹もそういった事を言っていたし、
友人1さんも受けない派。
接種後に帯状疱疹に罹った方は、
不信感を抱く事になるみたい。
緑内障でお薬制限のあるわたしは、
ワクチン接種して少しでも軽く済ませた方が
いいと、感染後に自分で判断していたのですが、
昨日、医師は癌についても言われたので、
かなり混乱しました。
すでにコロナ禍前から二人に一人が癌に罹ると言われていたし、
甲状腺癌は原発とかの影響が大きいと思っていました。
健康診断の後の恒例のランチ
早い時間だったので、モーニングサービスの
あるお店に行きました。
それから美容院に
カットと、前回当選したヘッドスパを
していただきました。
いつもカットをお願いしているベテランの方が
ヘッドスパもして下さったので、ちょっと気を使うな〜
と思いつつ、後半居眠っていました。
検診で医師に言われた事を話したら
接種を勧めるのは大多数の側を考慮して、
少数派(特異体質)切り捨ての考えというだけで、
日本人はそれで団結して反対派を攻撃してしまうのが…
というニュアンスで、的確に捉えられている
と思いました。
この美容師さんは、真正、頭の良い方です。
ただ、医師の言われた癌については、
どこまで信憑性があるのかしら?
余談になりますが、小父様曰く、
小母様は脳梗塞らしいけれど、以前の話が、
コロナワクチンどころか、インフルエンザ予防接種もされたことがないと
言われていました。
癌も免疫力が弱っている時になりやすいとすれば、
予防接種より、感染した時の方が
罹りやすいかもしれない。
もう何を信じていいのか分からない。
昨日ダンス中に、検査後の痛みが残っていることに
気づきました。
跳んだり腕を上げる角度によって痛い。
真上に上げるのは大丈夫だけど、
何らかの動きで叫びたくなるほど痛い。
帰りのバスが揺れたり、振動するだけで、
不快で右上半身が全体的に重い。
夕食の準備をしている時に、
台所用具をとるために、腕を斜め上(内側)に
伸ばしたら、筋が切れたような痛みが走った。
こういうのは人災というのかしら?
きちんとした検査後の症状だから、
文句も言えない。
就寝前にサロンパスを三枚貼ったら、
直後からヒリヒリするし、
横向きで右側を下にすると、
貼った箇所が痛痒い。
左を向いて、腕を伸ばしたら、
また筋が切れたような痛みが走りました。
骨格がズレた?
今朝、今のところは痛くはないですが、
動かす角度によっては、まだわかりません。
あの筋が切れたような痛みが
一晩で治ったんだったら、サロンパス効果は
凄いと思います。
気づきました。
跳んだり腕を上げる角度によって痛い。
真上に上げるのは大丈夫だけど、
何らかの動きで叫びたくなるほど痛い。
帰りのバスが揺れたり、振動するだけで、
不快で右上半身が全体的に重い。
夕食の準備をしている時に、
台所用具をとるために、腕を斜め上(内側)に
伸ばしたら、筋が切れたような痛みが走った。
こういうのは人災というのかしら?
きちんとした検査後の症状だから、
文句も言えない。
就寝前にサロンパスを三枚貼ったら、
直後からヒリヒリするし、
横向きで右側を下にすると、
貼った箇所が痛痒い。
左を向いて、腕を伸ばしたら、
また筋が切れたような痛みが走りました。
骨格がズレた?
今朝、今のところは痛くはないですが、
動かす角度によっては、まだわかりません。
あの筋が切れたような痛みが
一晩で治ったんだったら、サロンパス効果は
凄いと思います。
昨日は乳癌検診を受けに数年振行って来ました。
父の介護後半時期、健康診断は毎年受けていたのに、
乳癌検診を忘れていました。
検査中は悶絶するけれど、短時間だから耐えられる。
細胞組織まで押しつぶされそうな感覚。
家に帰ってからも、ずーっと神経痛、
夕方、背中や左右の脇下や、
あちこちが神経に沿って痛み、
一瞬検査を受けたことを忘れて、
これって乳腺に繋がる回路、乳癌?
と怖くなりました。
深夜も何とも不快な痛みが残りました。
妹は、放射線の影響もあるから、毎年うけないそうです。
妹は(健康オタクな)先生の影響を受けていて、
コロナワクチン予防接種もやめている。
西洋医学に疑問に思い、東洋医学思考に改心した方らしい。
医学者→整体師、太極拳の有段者で、
数年前に教室を開かれた時から、
習っているらしい。
妹は、子ども時代から友人も多かったし、
淋しいことはないはずだけど、
結婚した頃はエホバに傾倒していたし、
ちょっと何かに傾倒する傾向があります。
西洋、東洋を問わずに、
どちらも良いところを取り入れたらいいと思う。
父の介護後半時期、健康診断は毎年受けていたのに、
乳癌検診を忘れていました。
検査中は悶絶するけれど、短時間だから耐えられる。
細胞組織まで押しつぶされそうな感覚。
家に帰ってからも、ずーっと神経痛、
夕方、背中や左右の脇下や、
あちこちが神経に沿って痛み、
一瞬検査を受けたことを忘れて、
これって乳腺に繋がる回路、乳癌?
と怖くなりました。
深夜も何とも不快な痛みが残りました。
妹は、放射線の影響もあるから、毎年うけないそうです。
妹は(健康オタクな)先生の影響を受けていて、
コロナワクチン予防接種もやめている。
西洋医学に疑問に思い、東洋医学思考に改心した方らしい。
医学者→整体師、太極拳の有段者で、
数年前に教室を開かれた時から、
習っているらしい。
妹は、子ども時代から友人も多かったし、
淋しいことはないはずだけど、
結婚した頃はエホバに傾倒していたし、
ちょっと何かに傾倒する傾向があります。
西洋、東洋を問わずに、
どちらも良いところを取り入れたらいいと思う。
七〜八月に比べて、県内のコロナ感染者数は
減りつつあると思うのに、
ジムにも通われてるリーダー(太極拳の時の)の義姉さんが
コロナで入院されて、峠は超えたらしい。
「どういう症状で入院になったんですか?」
と聞いたら
「食べ過ぎた後でたくさん吐いたから。」と
最初、(うちの近隣の病院に)居るはずが、
見舞うとそこには居なくて、
父が亡くなった病院まで運ばれていたそうです。
わたしが発熱した時に、近隣の病院に行かなかったのは、
最初から発熱症状では転送される可能性があるから。
そうなると病院を選べなくなるし…
この夏は、通っているスポーツジムの感染者の割合が
かなり多い気がしました。
昨夜は
お素麺を作って、専門店で買ったアボガドと
島豆腐のサラダ。
さっぱり柚子ドレッシングでいただきました。
これまた真似て作ろう。
別の日に
すき焼きをした翌昼のすき焼き丼
お刺身やシシトウの炒め物
減りつつあると思うのに、
ジムにも通われてるリーダー(太極拳の時の)の義姉さんが
コロナで入院されて、峠は超えたらしい。
「どういう症状で入院になったんですか?」
と聞いたら
「食べ過ぎた後でたくさん吐いたから。」と
最初、(うちの近隣の病院に)居るはずが、
見舞うとそこには居なくて、
父が亡くなった病院まで運ばれていたそうです。
わたしが発熱した時に、近隣の病院に行かなかったのは、
最初から発熱症状では転送される可能性があるから。
そうなると病院を選べなくなるし…
この夏は、通っているスポーツジムの感染者の割合が
かなり多い気がしました。
昨夜は
お素麺を作って、専門店で買ったアボガドと
島豆腐のサラダ。
さっぱり柚子ドレッシングでいただきました。
これまた真似て作ろう。
別の日に
すき焼きをした翌昼のすき焼き丼
お刺身やシシトウの炒め物
一時に比べれば気温は少しましですが、
昨日は蒸し暑くて、買い物で車から
降りたとたんに眼鏡の中に汗が流れました。
明日、あさっての予報はまだ夏並みの気温です。
夏は気候のことや、娘の仕事事情で、
恒例の会食を慌ただしく済ませただけで、
秋に娘と日帰りで出かける約束をしているのですが、
穏やかな日差しの中で過ごせればいいなと願っています。
この夏、生まれ育った大阪界隈をYouTubeで
見たことがありました。
いきなりロング版で、地下鉄駅から道路向こう側から始まり、
延々と道は続いていた。
家やビルが建て変わり街並みもすっかり変わっていて、
どこを写しているのかさっぱりわからない。
ぼうっと眺めていたら、
突然見知った名前が、医院と並んで
薬局の看板が目に飛び込んできた。
小学校時代一年から四年まで同級生だった男子の家。
佇まいはすっかり変わっているけれど、
大きく平仮名で書かれた看板でわかった。
懐かしい。
人伝てに医学部には入らなかった、
薬局を建ててもらったとは聞いていましたが、
お姉さんもいらしたし、医院の営業は
続いているようでした。
あの看板は分かりやすくて優れています。
道路を渡ってこちら側(実家)に、
祖父母の家だった辺りも見当がつかず、
中学から公園にかけて、文教地区ではあったけれど、
長年環境を維持して、景観もグレードアップして、
皆が憩う街へと変貌していました。
中学校区の環境は今でも素晴らしいと
実感しました。
小学校ルートにある商店街は
賑やかで繁盛していましたが、
かって栄えた道路向こうの商店街は
シャッターの閉まっている所も多くて、
なんか詫びしかったです。
ここは、母が遠出の買い物をする時に、
二人乗りバギーに妹と乗せられて、
連れられた場所でした。
洋品店なども充実していたようでしたが、
ざっと見たところ、昔を思い出せるものは
何も無いように思いました。
昨日は蒸し暑くて、買い物で車から
降りたとたんに眼鏡の中に汗が流れました。
明日、あさっての予報はまだ夏並みの気温です。
夏は気候のことや、娘の仕事事情で、
恒例の会食を慌ただしく済ませただけで、
秋に娘と日帰りで出かける約束をしているのですが、
穏やかな日差しの中で過ごせればいいなと願っています。
この夏、生まれ育った大阪界隈をYouTubeで
見たことがありました。
いきなりロング版で、地下鉄駅から道路向こう側から始まり、
延々と道は続いていた。
家やビルが建て変わり街並みもすっかり変わっていて、
どこを写しているのかさっぱりわからない。
ぼうっと眺めていたら、
突然見知った名前が、医院と並んで
薬局の看板が目に飛び込んできた。
小学校時代一年から四年まで同級生だった男子の家。
佇まいはすっかり変わっているけれど、
大きく平仮名で書かれた看板でわかった。
懐かしい。
人伝てに医学部には入らなかった、
薬局を建ててもらったとは聞いていましたが、
お姉さんもいらしたし、医院の営業は
続いているようでした。
あの看板は分かりやすくて優れています。
道路を渡ってこちら側(実家)に、
祖父母の家だった辺りも見当がつかず、
中学から公園にかけて、文教地区ではあったけれど、
長年環境を維持して、景観もグレードアップして、
皆が憩う街へと変貌していました。
中学校区の環境は今でも素晴らしいと
実感しました。
小学校ルートにある商店街は
賑やかで繁盛していましたが、
かって栄えた道路向こうの商店街は
シャッターの閉まっている所も多くて、
なんか詫びしかったです。
ここは、母が遠出の買い物をする時に、
二人乗りバギーに妹と乗せられて、
連れられた場所でした。
洋品店なども充実していたようでしたが、
ざっと見たところ、昔を思い出せるものは
何も無いように思いました。
この夏を振り返ると、七月後半のコロナが真っ先に
浮かんで来ますが、あれは何だったのかな?
20日に道の駅に西瓜を買いに行った時は
すこぶる元気で、他にも美味しい物を買って、
ご機嫌でランチして、
21日の夕食後にいきなり発熱した感じで、
そういえば怠いかしら?と思った
時間とともに熱が上がるので、
念の為に緊急外来で診ていただいたら、
陽性と言われて、ビックリして
スットンキョウな声を張り上げた。
従来の風邪とどこが違うのかな?くらいの
感覚でした。
緑内障を考慮されて、いただいたお薬はカロナールのみ、
高校時代のクラス女子LINEで、薬剤師されてる方も
カロナールを勧めていらしたので、納得して服用しました。
翌日、薬効果が切れた頃に39度まで熱は上がり、
咳が出そうで、吐く息の通り道がなくて、出ない。
咳とともに、身体が壊れそうなくらい、
身体中に圧力がかかっている。
これは初めての経験で怖いと思いました。
頭痛はというと、両側頭中から
ギリギリと怪我をしたような痛み。
アイスノンよりもっと冷たい、保冷剤で冷やすと、
麻痺したように痛みが薄らぐ。
昔から定期的に罹っていた偏頭痛のような
神経痛的な痛みよりはましだと思いました。
食欲はよく分からなくて、一食くらいは
抜いたかもしれません。
感染予防で台所仕事をパスしたので、
昔からインフルエンザなどで、発熱した時と
同じようにおにぎりや食べやすいゼリーなどを
買って来てもらったり、三日目くらいは、
パックのおうどんなど火を通した物も
美味しく食べていました。
その後はひつこく残る咳との闘いのみ、
そしてコロナ発症日からひと月目に
再び38度発熱、これが何だったのかいまだに謎です。
一晩たてば、自然に平熱に戻り、
咳もましになっていました。
それから蕁麻疹→膀胱炎と続き、
それらの回復とともに、咳や喉の気持ち悪さも
消滅していました。
インフルエンザの時の疼痛は、全身が
神経痛のようでしたけれど、
コロナの時は、それほど酷くはなかった気がします。
けれど、最初二日間の出そうで
出せない咳症状は
ただただ不安で不気味でした。
もう感染したくないなと思いました。
浮かんで来ますが、あれは何だったのかな?
20日に道の駅に西瓜を買いに行った時は
すこぶる元気で、他にも美味しい物を買って、
ご機嫌でランチして、
21日の夕食後にいきなり発熱した感じで、
そういえば怠いかしら?と思った
時間とともに熱が上がるので、
念の為に緊急外来で診ていただいたら、
陽性と言われて、ビックリして
スットンキョウな声を張り上げた。
従来の風邪とどこが違うのかな?くらいの
感覚でした。
緑内障を考慮されて、いただいたお薬はカロナールのみ、
高校時代のクラス女子LINEで、薬剤師されてる方も
カロナールを勧めていらしたので、納得して服用しました。
翌日、薬効果が切れた頃に39度まで熱は上がり、
咳が出そうで、吐く息の通り道がなくて、出ない。
咳とともに、身体が壊れそうなくらい、
身体中に圧力がかかっている。
これは初めての経験で怖いと思いました。
頭痛はというと、両側頭中から
ギリギリと怪我をしたような痛み。
アイスノンよりもっと冷たい、保冷剤で冷やすと、
麻痺したように痛みが薄らぐ。
昔から定期的に罹っていた偏頭痛のような
神経痛的な痛みよりはましだと思いました。
食欲はよく分からなくて、一食くらいは
抜いたかもしれません。
感染予防で台所仕事をパスしたので、
昔からインフルエンザなどで、発熱した時と
同じようにおにぎりや食べやすいゼリーなどを
買って来てもらったり、三日目くらいは、
パックのおうどんなど火を通した物も
美味しく食べていました。
その後はひつこく残る咳との闘いのみ、
そしてコロナ発症日からひと月目に
再び38度発熱、これが何だったのかいまだに謎です。
一晩たてば、自然に平熱に戻り、
咳もましになっていました。
それから蕁麻疹→膀胱炎と続き、
それらの回復とともに、咳や喉の気持ち悪さも
消滅していました。
インフルエンザの時の疼痛は、全身が
神経痛のようでしたけれど、
コロナの時は、それほど酷くはなかった気がします。
けれど、最初二日間の出そうで
出せない咳症状は
ただただ不安で不気味でした。
もう感染したくないなと思いました。
昨日、その後痒みが酷くなって、
中から押し上げてくるような痒み、
と闘っている感じ。
草むしりをする時に、軍手をしていても、
爪の中が黒く汚れ、指先が荒れるから、
木曜日から、ポリの使い捨て手袋の上に
古くなったUV手袋をしていました。
それが汗でひっつく感じ
痒みの発端はその箇所なのですが
今の季節は、例年わたしが苦手な茅類の
草が蔓出すし、
毛虫も発生します。
原因はそれではないかな?と思いつつ、
午後、プツプツと法則無しの発疹の出方、
(夕食後にザイザルを飲むつもりが)
待てなくて、午後三時に服用しました。
40分くらいで痒みが薄れかけてホッとしつつも、
夜間また咳止めのお薬を飲むから、
本当は一番最後にザイザルを飲みたかったと
予定通りにいかなくて、不安を抱えたままでした。
九時半頃、眠くてお布団に倒れ込み眠り、
今朝目が覚めたら、痒みもない。
けれど両足に発疹の跡、
眠っている間に新たに発疹が出ていたらしい。
発疹が出てしまうと楽になった感じはあります。
小粒のあのザイザルの痒み止め効果の驚異的なこと!
ザイザルは一日一回までだと言われています。
風邪薬は子どもの頃から飲み慣れているし、
蕁麻疹の原因は他にあると思うのだけど、
昨夜からの発疹を見て、
今日は咳止めのお薬を止めて様子をみようと
思いました。
中から押し上げてくるような痒み、
と闘っている感じ。
草むしりをする時に、軍手をしていても、
爪の中が黒く汚れ、指先が荒れるから、
木曜日から、ポリの使い捨て手袋の上に
古くなったUV手袋をしていました。
それが汗でひっつく感じ
痒みの発端はその箇所なのですが
今の季節は、例年わたしが苦手な茅類の
草が蔓出すし、
毛虫も発生します。
原因はそれではないかな?と思いつつ、
午後、プツプツと法則無しの発疹の出方、
(夕食後にザイザルを飲むつもりが)
待てなくて、午後三時に服用しました。
40分くらいで痒みが薄れかけてホッとしつつも、
夜間また咳止めのお薬を飲むから、
本当は一番最後にザイザルを飲みたかったと
予定通りにいかなくて、不安を抱えたままでした。
九時半頃、眠くてお布団に倒れ込み眠り、
今朝目が覚めたら、痒みもない。
けれど両足に発疹の跡、
眠っている間に新たに発疹が出ていたらしい。
発疹が出てしまうと楽になった感じはあります。
小粒のあのザイザルの痒み止め効果の驚異的なこと!
ザイザルは一日一回までだと言われています。
風邪薬は子どもの頃から飲み慣れているし、
蕁麻疹の原因は他にあると思うのだけど、
昨夜からの発疹を見て、
今日は咳止めのお薬を止めて様子をみようと
思いました。
昨日の朝見ました。
肉眼では蜂が木の枝をぶら下げているようで、
急いで写メしたのですが、
これ何なのかしら?
今年の激暑、コロナ感染中も一日も欠かさずに、
木や草花の水やりを頑張っています。
5時頃起床して、すぐに朝食、
6時半くらいから始めて、その後30分ほど草刈りするのが日課ですが、
昨日は朝は曇り空で過ごしやすかったのか、
気がついたら2時間近く経過していました。
狭い庭なのに、毎朝の水やりで500歩
万歩計が進んでいます。
今年の流行は、とりわけスカート丈が長い。
この数年お店で似合うスカートが見つからなくて、
似合いそうな母の形見の新のスカートは
ウエストが留まらなくて、
もう何年もスカートを購入していない気がします。
(昔は自分で縫ったこともあるのです)
先日娘にその話をしたら、ちょっと呆れられて
「わたしは全部寸法直しに出してる。」って、
それで思い出したというか、
昔、娘時代は母と買い物に行くことが多くて、
母は洋裁はプロ級でしたが、
ワンピースやスーツなど、新たに縫うことは好きだけど、
寸法直しは都度お店に頼んでいて、
わたしが試着室で着たものを、母は
延々と店員さんとああでもない、こうでもない〜と
試行錯誤して、決める。
鏡の中の私の不貞腐れた顔、欠伸の連続。
寸法直しは苦手でした。
以降、自分で購入する時は、そのまま着れる
当時の流行りの短めのキュロットや
デニムのフレアースカート、ボックスプリーツまででした。
タンスに眠っているたくさんの上衣類に合うスカートを探さなきゃ!
昨日数年ぶりにやっと一枚見つけて来ました。
お盆期間中は父は夢に登場しなかった。
先月に一度出て来た時は和かにしていました。
亡き犬が夢に出て来て、半分人間が入っていて、
べったり付き纏って甘えていました。
去年、ワクチン接種の副作用?か風邪?
一日だけ発熱した日に、日中布団で寝ていた時に、
登場して、まさに部屋に連れ帰ろうと
ドアを開けた瞬間に、主人に起こされて、
ガッカリしたことがあります。
今日は娘と会える日。
LINEも何の連絡もつかないことがあって、
ネットでサーチしたら、
今月も何回かセミナー講師の仕事があったみたいです。
テーマが変わるたびに、対応して準備するから、
仕事モード一色になるのでしょう。
昨夜は
テレビの影響で作った茄子の炊き込みご飯。
以前、番組を見る前に、検索して作り、
今回二度目です。
スーパーで購入したマグロの中トロも
美味しいでした。
昨夜のメニューは、量を制限したのに、
体重に影響したみたい。
先月に一度出て来た時は和かにしていました。
亡き犬が夢に出て来て、半分人間が入っていて、
べったり付き纏って甘えていました。
去年、ワクチン接種の副作用?か風邪?
一日だけ発熱した日に、日中布団で寝ていた時に、
登場して、まさに部屋に連れ帰ろうと
ドアを開けた瞬間に、主人に起こされて、
ガッカリしたことがあります。
今日は娘と会える日。
LINEも何の連絡もつかないことがあって、
ネットでサーチしたら、
今月も何回かセミナー講師の仕事があったみたいです。
テーマが変わるたびに、対応して準備するから、
仕事モード一色になるのでしょう。
昨夜は
テレビの影響で作った茄子の炊き込みご飯。
以前、番組を見る前に、検索して作り、
今回二度目です。
スーパーで購入したマグロの中トロも
美味しいでした。
昨夜のメニューは、量を制限したのに、
体重に影響したみたい。
昨日は気功を受けに行きました。
お盆でいつもより全体人数が少なかったですが、
いつも通りに賑やかでした。
うちもだけど、本姐様も友人5さんも、
旦那さんには感染しなかったとか、
友人5さんにいたっては、発熱は一日だけ、
風邪薬は三種類出してもらったらしい。
本姐様はまだ咳が残っていらして、
わたしも喉がむず痒いと、龍角散トローチを
見せたら、
「浅田飴もいいらしいよ。」と教えて下さいました。
買って来ようと思います。
感染した者同士で?な仲間意識が出来ていて、
何気に楽しかったです。
友人3さんと、わたしは常にマスク派でした。
一つだけ心当たりがあるとすれば、
発熱の3日ほど前に、マシントレ中に、
凍らせたペットボトルの蓋を床に転がせてしまい、
普通の飲料水なら廃棄するのですが、
せっかくスーパーで選んで、
冷凍庫で凍らせて持って来たので惜しいと思い、
洗面所に駆け込んで、蓋を水洗いして、
最後まで使いました。
その時、蓋をアルコール消毒した方が良かったかな?
とか、大勢の方が出入りしているマシンコーナーの床は
菌が湧いていそうだなと懸念が過っていました。
あの時ではないのかな?
一瞬だから大丈夫なのかしら?
答えは分かりません。
昨日久しぶりに受粉しました。
出来かけのを見つけたら
その辺りに雌花が二つありました。
三回目に購入した島豆腐でゴーヤチャンプル
通算39個目
お盆でいつもより全体人数が少なかったですが、
いつも通りに賑やかでした。
うちもだけど、本姐様も友人5さんも、
旦那さんには感染しなかったとか、
友人5さんにいたっては、発熱は一日だけ、
風邪薬は三種類出してもらったらしい。
本姐様はまだ咳が残っていらして、
わたしも喉がむず痒いと、龍角散トローチを
見せたら、
「浅田飴もいいらしいよ。」と教えて下さいました。
買って来ようと思います。
感染した者同士で?な仲間意識が出来ていて、
何気に楽しかったです。
友人3さんと、わたしは常にマスク派でした。
一つだけ心当たりがあるとすれば、
発熱の3日ほど前に、マシントレ中に、
凍らせたペットボトルの蓋を床に転がせてしまい、
普通の飲料水なら廃棄するのですが、
せっかくスーパーで選んで、
冷凍庫で凍らせて持って来たので惜しいと思い、
洗面所に駆け込んで、蓋を水洗いして、
最後まで使いました。
その時、蓋をアルコール消毒した方が良かったかな?
とか、大勢の方が出入りしているマシンコーナーの床は
菌が湧いていそうだなと懸念が過っていました。
あの時ではないのかな?
一瞬だから大丈夫なのかしら?
答えは分かりません。
昨日久しぶりに受粉しました。
出来かけのを見つけたら
その辺りに雌花が二つありました。
三回目に購入した島豆腐でゴーヤチャンプル
通算39個目
昨日、今季初のオリンピック観戦で
女子マラソンを応援しました。
途中料理する間は、ラジオで実況を聴きました。
登り坂で追い上げるって、気分良いし
力付けられます。
主人はオリンピック観戦が生きがいらしくて、
明け方に起床までして、色々な種目を観ていたらしい。
そこだけ見ると、愛国心に溢れた善人と
いう気がするけれど、
車の運転をしている時は、人格が変わる。
周りの運転のマナーの悪さに腹を立てて、
悪態をついたり、バカにしている。
車の中という閉鎖空間での僧悪の気は
全部わたしに流れるから、
やめて欲しいと昔から言い続けている。
気功を長年学んでいると、
近くにいる人の気の流れの影響が気になる。
インストラクター自身もそうおっしゃり、
昔の話ですが、レッスン中に悪い気を発散する人がいると、
周りにその気が行くと言われたくらい。
だから、いつも話す友人選びも大切ということです。
女子マラソンを応援しました。
途中料理する間は、ラジオで実況を聴きました。
登り坂で追い上げるって、気分良いし
力付けられます。
主人はオリンピック観戦が生きがいらしくて、
明け方に起床までして、色々な種目を観ていたらしい。
そこだけ見ると、愛国心に溢れた善人と
いう気がするけれど、
車の運転をしている時は、人格が変わる。
周りの運転のマナーの悪さに腹を立てて、
悪態をついたり、バカにしている。
車の中という閉鎖空間での僧悪の気は
全部わたしに流れるから、
やめて欲しいと昔から言い続けている。
気功を長年学んでいると、
近くにいる人の気の流れの影響が気になる。
インストラクター自身もそうおっしゃり、
昔の話ですが、レッスン中に悪い気を発散する人がいると、
周りにその気が行くと言われたくらい。
だから、いつも話す友人選びも大切ということです。
忘れないうちに書いておきましょう。
合唱団受賞
先週の火曜日の帰りに小母様に
「頑張って下さい。」と言っておいて良かったです。
自習練習無しではやっていけないレベルの曲で、
定期コンサートの本番中は暑くてぶっ倒れそうにもなるくらい、
体力的にも大変なのに、リスペクトと
感嘆の言葉しかありません。
けれど再入会したとたんに、
他所様を勧誘する義務が発生することだけは確かで、
色々な角度で考えても無理だわ。
昨夜、高校時代の一年の時の親友からのLINEメールで、
「三年生時のクラス会に参加したから
学年LINEにアップされた画像を見てね。
何人わかる?」と聞いて来られた。
その画像は昼に届いた時に見て、
知らない方ばかりだと思っていましたが、
Rさんのクラスだったんだーときちんと見直したら、
わかりました。
返信したら、その前に写っているのは
一年生の夏休みにRさんも一緒に
和歌山の漁港に社会見学に行った方(男子)だと言うではありませんか!
「懐かしいけれど全然分からなかったわ。」と答えました。
(学園祭の帰りにラブレターをくれた男子だ)
和歌山に行った時の話をされたそうです。
Rさんも懐かしく思い出されたようでした。
行く前は緊張されたけど、すぐに打ち解けて話し過ぎて、
神経が興奮して寝つきが悪かったって!
よく分かります。
本当に懐しいと思いました。
先日、土曜日に息子の住むマンションに着いた時、
車で行ったのに、喉がからからで、
ペットボトルのお水を買って、半分くらい飲んでから、
息子の部屋の冷蔵庫に入れてもらっていました。
帰る時に、マンションを出てから、その事に気がついて、
「口飲みしてるから、捨ててね。」と言ったら、
「今なら間に合うで」と走って部屋に戻り、
とって来てくれました。
身近にああいった優しさを示すのは、
息子だけかも?
主人ならすぐに「捨てとけ!」と言うし、
娘はそのまま「要らない」と解釈するでしょう。
帰りの車の中でも、充分に水分補給できて、
快適に過ごせました。
合唱団受賞
先週の火曜日の帰りに小母様に
「頑張って下さい。」と言っておいて良かったです。
自習練習無しではやっていけないレベルの曲で、
定期コンサートの本番中は暑くてぶっ倒れそうにもなるくらい、
体力的にも大変なのに、リスペクトと
感嘆の言葉しかありません。
けれど再入会したとたんに、
他所様を勧誘する義務が発生することだけは確かで、
色々な角度で考えても無理だわ。
昨夜、高校時代の一年の時の親友からのLINEメールで、
「三年生時のクラス会に参加したから
学年LINEにアップされた画像を見てね。
何人わかる?」と聞いて来られた。
その画像は昼に届いた時に見て、
知らない方ばかりだと思っていましたが、
Rさんのクラスだったんだーときちんと見直したら、
わかりました。
返信したら、その前に写っているのは
一年生の夏休みにRさんも一緒に
和歌山の漁港に社会見学に行った方(男子)だと言うではありませんか!
「懐かしいけれど全然分からなかったわ。」と答えました。
(学園祭の帰りにラブレターをくれた男子だ)
和歌山に行った時の話をされたそうです。
Rさんも懐かしく思い出されたようでした。
行く前は緊張されたけど、すぐに打ち解けて話し過ぎて、
神経が興奮して寝つきが悪かったって!
よく分かります。
本当に懐しいと思いました。
先日、土曜日に息子の住むマンションに着いた時、
車で行ったのに、喉がからからで、
ペットボトルのお水を買って、半分くらい飲んでから、
息子の部屋の冷蔵庫に入れてもらっていました。
帰る時に、マンションを出てから、その事に気がついて、
「口飲みしてるから、捨ててね。」と言ったら、
「今なら間に合うで」と走って部屋に戻り、
とって来てくれました。
身近にああいった優しさを示すのは、
息子だけかも?
主人ならすぐに「捨てとけ!」と言うし、
娘はそのまま「要らない」と解釈するでしょう。
帰りの車の中でも、充分に水分補給できて、
快適に過ごせました。
昨日公民館で要らない食器を引き取っていただき、
図書館で本を借りて、
帰りに近所のスーパーで買い物、
「愛情たっぷり煮込みぶりのお弁当」を
見つけて、お昼にいただきました。
お刺身にできないブリを効率よく使用したのかな?
美味しかったです。
しらすぼしや鮭バージョンもあったので、
また購入してみたいです。
そこで出会ったお知り合いに駆け寄って
「お久しぶり!」と挨拶したら、
何だか様子が変、確かにその方の目なんだけど、
ガラス玉みたいにも見える。
長身の女性が慌てて駆け寄って来られて
「認知症だから。」と言われた。
あそこは男の子がひとりだったはず、
駆け寄って来た女性はどなただろう?
あちこちで見覚えがあるような、
ヘルパーさんなのかな?
父が晩年、車椅子で病院に連れて行っていた時に、
わたしの知り合いの方に出会うと、
「お元気ですね。」とか、なにがしら声をかけて下さって、
父は誰と話しているのかわからないままも、
嬉しそうに応えていました。
まだらぼけで施設暮らしの父でも、
病院やコンビニなどで、たまに出会った方と交流できるのは
有り難いと思っていました。
出会った方は、無表情、無感情のように見えました。
最初は犬のお知り合いで、お互いに雄犬だったので、
犬連れの時は、あまり近寄って
お話しすることはなかったけれど、
ある日「これあげる。」と手渡されたものが
大好きな犬のストラップでした。
「会ったらあげようと思って持ち歩いていたの。」と、
「ありがとう!」
大事に当時の携帯につけていましたが、
外れてしまい、修理して使いたいと思い
仕舞ってありました。
手芸好きのその方は、よく材料を買いに
バス、電車利用でABCクラフトまで行かれた。
停留所で出会うと親しくお話しする中の
おひとりでした。
そういえば最近出会わなかった。
コロナ禍くらいの頃から、お話しする機会がなくて、
いつだったか?最後に出会った時に
「また買いに行くの?」と尋ねた時に
「行かないけど…」と
何か反応が違った気がしたことを思い出しました。
あんなに豆に動いて、趣味を楽しむ方だったのに、
ショックというか、喪失感というか、
やはり悲しいです。
図書館で本を借りて、
帰りに近所のスーパーで買い物、
「愛情たっぷり煮込みぶりのお弁当」を
見つけて、お昼にいただきました。
お刺身にできないブリを効率よく使用したのかな?
美味しかったです。
しらすぼしや鮭バージョンもあったので、
また購入してみたいです。
そこで出会ったお知り合いに駆け寄って
「お久しぶり!」と挨拶したら、
何だか様子が変、確かにその方の目なんだけど、
ガラス玉みたいにも見える。
長身の女性が慌てて駆け寄って来られて
「認知症だから。」と言われた。
あそこは男の子がひとりだったはず、
駆け寄って来た女性はどなただろう?
あちこちで見覚えがあるような、
ヘルパーさんなのかな?
父が晩年、車椅子で病院に連れて行っていた時に、
わたしの知り合いの方に出会うと、
「お元気ですね。」とか、なにがしら声をかけて下さって、
父は誰と話しているのかわからないままも、
嬉しそうに応えていました。
まだらぼけで施設暮らしの父でも、
病院やコンビニなどで、たまに出会った方と交流できるのは
有り難いと思っていました。
出会った方は、無表情、無感情のように見えました。
最初は犬のお知り合いで、お互いに雄犬だったので、
犬連れの時は、あまり近寄って
お話しすることはなかったけれど、
ある日「これあげる。」と手渡されたものが
大好きな犬のストラップでした。
「会ったらあげようと思って持ち歩いていたの。」と、
「ありがとう!」
大事に当時の携帯につけていましたが、
外れてしまい、修理して使いたいと思い
仕舞ってありました。
手芸好きのその方は、よく材料を買いに
バス、電車利用でABCクラフトまで行かれた。
停留所で出会うと親しくお話しする中の
おひとりでした。
そういえば最近出会わなかった。
コロナ禍くらいの頃から、お話しする機会がなくて、
いつだったか?最後に出会った時に
「また買いに行くの?」と尋ねた時に
「行かないけど…」と
何か反応が違った気がしたことを思い出しました。
あんなに豆に動いて、趣味を楽しむ方だったのに、
ショックというか、喪失感というか、
やはり悲しいです。
11月頃に、まだ父が生きていた時に植えた
パンジーやビオラ、ジュリアン類は
まだ持ち堪えているけれど、
毎年それらの花はGW頃に萎れてしまうので、
昨日ホームセンターに苗を買いに行き、
白と紫系でまとめた寄せ植えの鉢一つ作りました。
たくさん売られてる花の苗の中に
エンゼルストランペットを発見!
かれこれ20年以上探していたのではないかしら?
昔、玄関前のアプローチに鉢植えしたのを
置いていました。
これ、多年木だったんですね。
冬越しさせたことがなかったです。
庭のマーガレットワイン色は満開で、
三月に植えたマーガレットのイチゴミルクカラー
はあちこち蕾をつけ始めました。
今年はハナミズキの花は一部の枝先に
ちらほらと咲いただけ。
大きく育ち過ぎて、電線まで届くと危険なので、
去年主人が剪定してくれたのですが、
樹形を損ない、他の枝の開花まで被害を被りました。
不思議なことに斜め向かいのお宅のハナミズキも
花付きが良くなかったです。
同じように剪定されたのかしら?
そしてレモンの木
新芽と、花の蕾がつき始めました。
それぞれまた写真をアップしたいと思います。
パンジーやビオラ、ジュリアン類は
まだ持ち堪えているけれど、
毎年それらの花はGW頃に萎れてしまうので、
昨日ホームセンターに苗を買いに行き、
白と紫系でまとめた寄せ植えの鉢一つ作りました。
たくさん売られてる花の苗の中に
エンゼルストランペットを発見!
かれこれ20年以上探していたのではないかしら?
昔、玄関前のアプローチに鉢植えしたのを
置いていました。
これ、多年木だったんですね。
冬越しさせたことがなかったです。
庭のマーガレットワイン色は満開で、
三月に植えたマーガレットのイチゴミルクカラー
はあちこち蕾をつけ始めました。
今年はハナミズキの花は一部の枝先に
ちらほらと咲いただけ。
大きく育ち過ぎて、電線まで届くと危険なので、
去年主人が剪定してくれたのですが、
樹形を損ない、他の枝の開花まで被害を被りました。
不思議なことに斜め向かいのお宅のハナミズキも
花付きが良くなかったです。
同じように剪定されたのかしら?
そしてレモンの木
新芽と、花の蕾がつき始めました。
それぞれまた写真をアップしたいと思います。
昨日は寒くて、スポーツジムに行くのに、
少し厚手のセーターに上着を重ねました。
新友が数ヶ月ぶりに気功を受けられた。
ご主人とお花見するのに振り替えで来られたのだけど、
レッスン後も話が弾んで、少し帰るのが
遅くなり、
成城石井のレトルトでいただける
ハンバーグを買って帰りました。
美味しかったけれど、
こういうの、主人の文句が多くなる。
手がかかる人だな(ため息)
新友は年齢が一番近いこともあって、
話題にも気を使わなくていいし、
周りからも一番自然に見えるらしい。
立派な仏壇で拝まれたいと言われるので、
「息子さんが二人もいるから、遺言したら
叶うのでは?」
と言いました。
父親なんて、わたしの近所に越して来る時に、
仏壇を処分しているのです。
あの頃から呆けていたのかしら?
母は神道だから、そういうのは要らないと言っていたし、
わたしも妹もキリスト教の幼稚園と大学
父は無宗教を唱えて昔からの立派な檀家と縁を切っていました。
修復できないことはないけれど、
妹と二人姉妹で、子ども達には繋げられないから。
母の時は、お寺さんで公益社で紹介していただき、
宗派だけは父も統一しました。
今日は父の仏事を行う日ですが、
それらの事で、どれだけわたしに心労がかかっていることかしら?
主人は税金とか、専門分野では頼れるけれど、
他は「関係ない。」妹は全部わたしに任すと、
主人の親戚は仏事を完璧にこなし、
こちらもそれに合わせて行っていた。
前例があるだけに、
気になりますが、同じようにはできません。
早い時期に本願寺で永代供養をするつもり。
少し厚手のセーターに上着を重ねました。
新友が数ヶ月ぶりに気功を受けられた。
ご主人とお花見するのに振り替えで来られたのだけど、
レッスン後も話が弾んで、少し帰るのが
遅くなり、
成城石井のレトルトでいただける
ハンバーグを買って帰りました。
美味しかったけれど、
こういうの、主人の文句が多くなる。
手がかかる人だな(ため息)
新友は年齢が一番近いこともあって、
話題にも気を使わなくていいし、
周りからも一番自然に見えるらしい。
立派な仏壇で拝まれたいと言われるので、
「息子さんが二人もいるから、遺言したら
叶うのでは?」
と言いました。
父親なんて、わたしの近所に越して来る時に、
仏壇を処分しているのです。
あの頃から呆けていたのかしら?
母は神道だから、そういうのは要らないと言っていたし、
わたしも妹もキリスト教の幼稚園と大学
父は無宗教を唱えて昔からの立派な檀家と縁を切っていました。
修復できないことはないけれど、
妹と二人姉妹で、子ども達には繋げられないから。
母の時は、お寺さんで公益社で紹介していただき、
宗派だけは父も統一しました。
今日は父の仏事を行う日ですが、
それらの事で、どれだけわたしに心労がかかっていることかしら?
主人は税金とか、専門分野では頼れるけれど、
他は「関係ない。」妹は全部わたしに任すと、
主人の親戚は仏事を完璧にこなし、
こちらもそれに合わせて行っていた。
前例があるだけに、
気になりますが、同じようにはできません。
早い時期に本願寺で永代供養をするつもり。
昨夜、アンカー復活。
二日ほど必要なかっただけですが、
就寝中のオカメインコの保温について、
明け方のエアコンだけでいいかな?と
思いつつ、
また保温球ひとつを点けに降りました。
点けて正解。早朝はまだまだ寒いです。
又吉のブレンディの番組
「ほっとするわ」が終わって、心底ガッカリです。
ゲストに関わらず毎週録画して観ていました。
十年一区切りと言われると、
きりがいいのかもしれないけれど、
半永久に続くと安心していたのです。
番組が始まった頃、スポーツジムで仲良しだった
⚪︎リちゃんとあの番組の又吉本当にほっとするね。
と合言葉のように言いあっていて、
観るたびに、どこかで⚪︎リちゃんも
観ているかな?と思い出していました。
毎朝飲む珈琲は、コーヒーメーカーで淹れていますが、
おやつ時にはブレンディのハーフカロリー珈琲や、
ミルク紅茶を選んでいたのになぁー。
これを機にUCCとか、色々飲んでみることにしようと思いました。
又吉さんは本格的カレーと珈琲の一番似合う方だと思っています。
昨夜はカレー
たまにスープのようにカレーが飲みたくなります。
二日ほど必要なかっただけですが、
就寝中のオカメインコの保温について、
明け方のエアコンだけでいいかな?と
思いつつ、
また保温球ひとつを点けに降りました。
点けて正解。早朝はまだまだ寒いです。
又吉のブレンディの番組
「ほっとするわ」が終わって、心底ガッカリです。
ゲストに関わらず毎週録画して観ていました。
十年一区切りと言われると、
きりがいいのかもしれないけれど、
半永久に続くと安心していたのです。
番組が始まった頃、スポーツジムで仲良しだった
⚪︎リちゃんとあの番組の又吉本当にほっとするね。
と合言葉のように言いあっていて、
観るたびに、どこかで⚪︎リちゃんも
観ているかな?と思い出していました。
毎朝飲む珈琲は、コーヒーメーカーで淹れていますが、
おやつ時にはブレンディのハーフカロリー珈琲や、
ミルク紅茶を選んでいたのになぁー。
これを機にUCCとか、色々飲んでみることにしようと思いました。
又吉さんは本格的カレーと珈琲の一番似合う方だと思っています。
昨夜はカレー
たまにスープのようにカレーが飲みたくなります。
年末に玄関前に寄せ植えした苗に混じって
植えていた球根の花が咲いていました。
濃いワイン色のマーガレットを移植した時に
芽を発見して、植えていたことを思い出しました。
そろそろ水肥をあげないと
咲き揃った地植えのクリスマスローズ
父が亡くなる三日前に、高校時代の親友の
お父様も亡くなられたのですが、
親友は親のマンションの片付けや、色々雑務も終えて、
後一つ用事を済ませば全てクリアするそうです。
地味だけど、信念のある方でした。
疲労からか、先週から頭痛と吐き気と聞いて、
身内が病気に罹った時のように動揺、
早く全快しますように(祈)
昨日ダンス前に友人1さんと色々楽しくお喋り。
1さんとも二人でも延々とお話しできますが、
2さんも一緒の三人での会話が慣れていて、一番自然というだけ。
この間、アルツハイマーに関する番組を観ていたら、
アルツハイマーの遺伝子を受け継いだら、
50パーセントの確率で発症するという
結局父は年齢的な呆けでしたが、
母の死後一時幻覚のようなものが見えたりで、
90歳を過ぎてから頃に近所の病院で検査した時は、
脳の萎縮は年齢相応、
試験は医師より高得点と言われ、
専門の病院で診ていただいた時は
経過をみないとわからない。
当時の父の日記には、遠くて古い病院に
連れて行かれた。次は行かないと憤慨していました。
糖尿病を患っていて、血糖値が安定して来ると、
症状も治ってきて、介護施設や病院で
父と過ごした空間は穏やかそのものでした。
仲良くしていただいている友人たちのご両親について、
思い起こして唖然!
.お父様がアルツハイマー 三人
.お父様がレビー小体系認知症 一人
.お母様がアルツハイマー 一人
他の方については、知らないのです。
良い方たちばかりで、一生仲良しでいたいのに、
友人が認知症などにかかるのは見たくないな。
発症年齢が80歳代くらいだったら、
それまでに良い薬が開発されている
可能性はあります。
本当に共に健康で過ごせますように。
植えていた球根の花が咲いていました。
濃いワイン色のマーガレットを移植した時に
芽を発見して、植えていたことを思い出しました。
そろそろ水肥をあげないと
咲き揃った地植えのクリスマスローズ
父が亡くなる三日前に、高校時代の親友の
お父様も亡くなられたのですが、
親友は親のマンションの片付けや、色々雑務も終えて、
後一つ用事を済ませば全てクリアするそうです。
地味だけど、信念のある方でした。
疲労からか、先週から頭痛と吐き気と聞いて、
身内が病気に罹った時のように動揺、
早く全快しますように(祈)
昨日ダンス前に友人1さんと色々楽しくお喋り。
1さんとも二人でも延々とお話しできますが、
2さんも一緒の三人での会話が慣れていて、一番自然というだけ。
この間、アルツハイマーに関する番組を観ていたら、
アルツハイマーの遺伝子を受け継いだら、
50パーセントの確率で発症するという
結局父は年齢的な呆けでしたが、
母の死後一時幻覚のようなものが見えたりで、
90歳を過ぎてから頃に近所の病院で検査した時は、
脳の萎縮は年齢相応、
試験は医師より高得点と言われ、
専門の病院で診ていただいた時は
経過をみないとわからない。
当時の父の日記には、遠くて古い病院に
連れて行かれた。次は行かないと憤慨していました。
糖尿病を患っていて、血糖値が安定して来ると、
症状も治ってきて、介護施設や病院で
父と過ごした空間は穏やかそのものでした。
仲良くしていただいている友人たちのご両親について、
思い起こして唖然!
.お父様がアルツハイマー 三人
.お父様がレビー小体系認知症 一人
.お母様がアルツハイマー 一人
他の方については、知らないのです。
良い方たちばかりで、一生仲良しでいたいのに、
友人が認知症などにかかるのは見たくないな。
発症年齢が80歳代くらいだったら、
それまでに良い薬が開発されている
可能性はあります。
本当に共に健康で過ごせますように。
一昨日から昨日にかけて、鼻水や
少し怠かったりしました。
洗濯を干している時に
お隣のお子さんが咳き込むのが聞こえて、
一足早く花粉便りを実感しました。
スギ花粉に反応はしなかったはずですが、
到来の頃一瞬似たような症状が出ます。
魚すきで温まり、
懐炉で温めて眠り、今朝は爽やか。
昨日久々ぶりに欽ちゃんの仮装大賞を観て
懐かしいというか、原点に戻って的なのも
好きだなと思った。
きちんと全部観たのは初めてかもしれません。
慎吾君素敵で良い年の取り方されてる!
録画して一昨日観た薬師丸ひろ子さんの
ソング、感動しました。
「Wの悲劇」はカラオケで十八番ですが、
昔の薬師丸ひろ子さんを真似ているというか、
あの方の歌は年々素敵に聴こえて来て
歌手もされてるという領域を超えている。
ドラマを演ずるように、
小説を読むように聴かせる女優さん。
少し怠かったりしました。
洗濯を干している時に
お隣のお子さんが咳き込むのが聞こえて、
一足早く花粉便りを実感しました。
スギ花粉に反応はしなかったはずですが、
到来の頃一瞬似たような症状が出ます。
魚すきで温まり、
懐炉で温めて眠り、今朝は爽やか。
昨日久々ぶりに欽ちゃんの仮装大賞を観て
懐かしいというか、原点に戻って的なのも
好きだなと思った。
きちんと全部観たのは初めてかもしれません。
慎吾君素敵で良い年の取り方されてる!
録画して一昨日観た薬師丸ひろ子さんの
ソング、感動しました。
「Wの悲劇」はカラオケで十八番ですが、
昔の薬師丸ひろ子さんを真似ているというか、
あの方の歌は年々素敵に聴こえて来て
歌手もされてるという領域を超えている。
ドラマを演ずるように、
小説を読むように聴かせる女優さん。
去年録画していたヒッチコックの「めまい」を観た。
あの俳優さん素敵だと思った。
外人(西洋)って、わたしから見れば、
遺伝子の違いから、異星人かと思っていて、
まだ犬の方が分かり合えるくらい。
黒髪だったり、目の色が黒っぽかったりすると、
あまり違和感がないのだと思う。
そして何故かあの時代の
女優さんの服装は、わたしがまだ生まれていない
時代の母の雰囲気に似ている。
器用な母は、婦人雑誌を見て、
その時代の流行りを取り入れて作り
着こなしていたのだと思う。
母は和風っぽくないけれど、
わたしは限りなく和風に浸かって育ったというのは
説明がつきません。
昨日は買い物先でお好み焼きを食べました。
主人は牡蠣増量に惹かれて牡蠣お好み焼き
わたしは迷って豚肉で貝割れののったのに
しました。
夕食は
里芋にハマっています。
子どもの頃は苦手でした。
祖母は和風料理が得意だったけれど
夕食に出された小芋の小皿を見て
ため息をついていた記憶があります。
小芋=里芋でしょう。
自分で作った里芋の煮転がしは美味しい。
あの俳優さん素敵だと思った。
外人(西洋)って、わたしから見れば、
遺伝子の違いから、異星人かと思っていて、
まだ犬の方が分かり合えるくらい。
黒髪だったり、目の色が黒っぽかったりすると、
あまり違和感がないのだと思う。
そして何故かあの時代の
女優さんの服装は、わたしがまだ生まれていない
時代の母の雰囲気に似ている。
器用な母は、婦人雑誌を見て、
その時代の流行りを取り入れて作り
着こなしていたのだと思う。
母は和風っぽくないけれど、
わたしは限りなく和風に浸かって育ったというのは
説明がつきません。
昨日は買い物先でお好み焼きを食べました。
主人は牡蠣増量に惹かれて牡蠣お好み焼き
わたしは迷って豚肉で貝割れののったのに
しました。
夕食は
里芋にハマっています。
子どもの頃は苦手でした。
祖母は和風料理が得意だったけれど
夕食に出された小芋の小皿を見て
ため息をついていた記憶があります。
小芋=里芋でしょう。
自分で作った里芋の煮転がしは美味しい。
子どもの頃から女性週刊誌は一度も買ったことがない。
母もそうだったし、父はたまに
週刊新潮のような類は買っていました。
昔、耳鼻科や美容院で週刊誌を読んだことはありますが、
今地元で行きつけの美容院や歯科医院には、
それらは一冊も置かれていなくて、
婦人画報類やタウン誌や、
(歯科医では、以前はサザエさんの単行本や、
外国の風景写真集)
だからダウンタウンの方の記事も
全部把握できていないままですが、
ネット記事を読むのも眼が疲れますから。
何で今頃なのだろう?
事実の是非はともかく、
糾弾的な内容の記事は
受け付けられない体質です。
政治のことや、今は地震災害のことから
国民の気を逸らさない方がいいと思うのだけど、
スポーツジムでは、そちらの話ばかりだし、
地震募金はどの団体にするのが良いかとか
考えないといけない事ばかり。
先週瀬戸内震源の地震が初めてあったと妹が
慌てていて、
ホームセンターで五年有効の保存食や
簡易コンロなどの話をしていました。
世の中の役に立つ記事を増やして欲しい。
使命感を持つ記者さんが増えればいいのに、
母もそうだったし、父はたまに
週刊新潮のような類は買っていました。
昔、耳鼻科や美容院で週刊誌を読んだことはありますが、
今地元で行きつけの美容院や歯科医院には、
それらは一冊も置かれていなくて、
婦人画報類やタウン誌や、
(歯科医では、以前はサザエさんの単行本や、
外国の風景写真集)
だからダウンタウンの方の記事も
全部把握できていないままですが、
ネット記事を読むのも眼が疲れますから。
何で今頃なのだろう?
事実の是非はともかく、
糾弾的な内容の記事は
受け付けられない体質です。
政治のことや、今は地震災害のことから
国民の気を逸らさない方がいいと思うのだけど、
スポーツジムでは、そちらの話ばかりだし、
地震募金はどの団体にするのが良いかとか
考えないといけない事ばかり。
先週瀬戸内震源の地震が初めてあったと妹が
慌てていて、
ホームセンターで五年有効の保存食や
簡易コンロなどの話をしていました。
世の中の役に立つ記事を増やして欲しい。
使命感を持つ記者さんが増えればいいのに、
昨夜の放鳥タイム
出遅れた芽葉映を誘いに行く桐
そのまま芽葉映のカゴに入るから、
餌替えのタイミングで餌入れごと取り出したら、
慌てて出て来ました。
(隣の餌は美味しく)見えるらしい。
父方の祖父母の家の記憶は
最初台所は二階の応接兼用、
祖父のアトリエの
続きの小さな居間にあり、簡単なテーブルセットがありました。
祖母が料理するところをあまり知らなくて、
小さな泡立て器のようなもので、お米を研ぐのは、
見た記憶があります。きっちりした手つき。
覚えているのは、千切りキャベツにケチャップをかけた物。
偏食で何も食べないわたしに困り果てて、
即席で作ってくれたのかもしれないけれど、
甘味があるから、食べられたのだと思います。
その後、気づいたら、祖父母の家は
リフォームされていて、
一階の通りに面した明るい窓のある所に
台所ができて、屋上が作られた。
洗濯物を干す祖母に連れられて、
祖父のアトリエに通じるドアを開けて、
狭い木で作られた階段を登って屋上に行く時、
木の壁にも、太陽の熱気が伝わって、
蒸し蒸ししていた。
屋上から、あちこち眺めたかったけれど、
お向かえの家をじろじろ眺めてはいけないと、
祖母に注意された。
その屋上で、祖父母宅の隣のカメラ屋の
男の子とままごと遊びをした記憶があります。
後に高校二年生の同級生が、
そのカメラ屋の息子さんだと判明するのだけど、
記憶している顔と全然違うので、変だと思った。
幼い頃に遊んだのは、その同級生のお兄さんのようでした。
そして同級生の方は、とても物静かな方で、
会話する機会は一度もなかったです。
出遅れた芽葉映を誘いに行く桐
そのまま芽葉映のカゴに入るから、
餌替えのタイミングで餌入れごと取り出したら、
慌てて出て来ました。
(隣の餌は美味しく)見えるらしい。
父方の祖父母の家の記憶は
最初台所は二階の応接兼用、
祖父のアトリエの
続きの小さな居間にあり、簡単なテーブルセットがありました。
祖母が料理するところをあまり知らなくて、
小さな泡立て器のようなもので、お米を研ぐのは、
見た記憶があります。きっちりした手つき。
覚えているのは、千切りキャベツにケチャップをかけた物。
偏食で何も食べないわたしに困り果てて、
即席で作ってくれたのかもしれないけれど、
甘味があるから、食べられたのだと思います。
その後、気づいたら、祖父母の家は
リフォームされていて、
一階の通りに面した明るい窓のある所に
台所ができて、屋上が作られた。
洗濯物を干す祖母に連れられて、
祖父のアトリエに通じるドアを開けて、
狭い木で作られた階段を登って屋上に行く時、
木の壁にも、太陽の熱気が伝わって、
蒸し蒸ししていた。
屋上から、あちこち眺めたかったけれど、
お向かえの家をじろじろ眺めてはいけないと、
祖母に注意された。
その屋上で、祖父母宅の隣のカメラ屋の
男の子とままごと遊びをした記憶があります。
後に高校二年生の同級生が、
そのカメラ屋の息子さんだと判明するのだけど、
記憶している顔と全然違うので、変だと思った。
幼い頃に遊んだのは、その同級生のお兄さんのようでした。
そして同級生の方は、とても物静かな方で、
会話する機会は一度もなかったです。
昨日のダンス、火曜日に持ち帰っていたシューズを忘れて、
バス停で気づいて取りに行き、
バス一台遅れたので、マシントレはパスしました。
本姐様は、昨年暮れに駅の階段から落下
された、酔っ払ってと噂が流れていましたが、
いつも通り頭の回転も早く、
父について尋ねて来られて労って下さいました。
本姐様のお父様は胃癌で亡くなられたけれど、
最後まで苦しいとはひとことも仰らなかっと
言われた。
そういえば父も泣き言を言わなかった。
母は癌で闘病期間が長かったから、
モルヒネで眠らせて数日後だったし、
姑は肺炎で、亡くなる日の昼間は、
皆に感謝の言葉を発して、
その後、症状を和らげるお薬で眠られた。
父に関しては、そういうお薬については
何も仰らなかった。
本姐様のお父様も同じようだったらしい。
断片的な記憶では、
妹の存在を自覚した時、生まれたばかりで
一歳にもなっていない、ゼロ0を知ったことです。
その地点で、赤ん坊の妹を愛おしい、
守るべき存在という気持ちが芽生えていました。
従兄弟については、その数ヶ月後、
(父方)の祖母宅の二階のベビーベッドの上に
寝ている赤ちゃんを見たのが最初だったと
思います。あの時は無の感情に近かったかな?
それより先に、二歳の時に、朝、
(父方の)祖母に手を引かれて、
自宅に行き、台所で白いヨーグルトを食べて、
また家から数百メートル先にある
祖母の家に戻る。
祖母がきっちり鍵を確認していたのを覚えています。
あの頃に妹が生まれたのだと思う。
その時は祖父母はいたけれど、
昼間学校に勤務していた父の記憶はありません。
バス停で気づいて取りに行き、
バス一台遅れたので、マシントレはパスしました。
本姐様は、昨年暮れに駅の階段から落下
された、酔っ払ってと噂が流れていましたが、
いつも通り頭の回転も早く、
父について尋ねて来られて労って下さいました。
本姐様のお父様は胃癌で亡くなられたけれど、
最後まで苦しいとはひとことも仰らなかっと
言われた。
そういえば父も泣き言を言わなかった。
母は癌で闘病期間が長かったから、
モルヒネで眠らせて数日後だったし、
姑は肺炎で、亡くなる日の昼間は、
皆に感謝の言葉を発して、
その後、症状を和らげるお薬で眠られた。
父に関しては、そういうお薬については
何も仰らなかった。
本姐様のお父様も同じようだったらしい。
断片的な記憶では、
妹の存在を自覚した時、生まれたばかりで
一歳にもなっていない、ゼロ0を知ったことです。
その地点で、赤ん坊の妹を愛おしい、
守るべき存在という気持ちが芽生えていました。
従兄弟については、その数ヶ月後、
(父方)の祖母宅の二階のベビーベッドの上に
寝ている赤ちゃんを見たのが最初だったと
思います。あの時は無の感情に近かったかな?
それより先に、二歳の時に、朝、
(父方の)祖母に手を引かれて、
自宅に行き、台所で白いヨーグルトを食べて、
また家から数百メートル先にある
祖母の家に戻る。
祖母がきっちり鍵を確認していたのを覚えています。
あの頃に妹が生まれたのだと思う。
その時は祖父母はいたけれど、
昼間学校に勤務していた父の記憶はありません。
生協やお供えしに通うのは別として、
朝起きて、緊急呼び出しされる心配がないというのは有り難いです。
父は亡くなって一目散に母のところに行ってしまったのか
夢に出てきてくれない。
母が亡くなった後は数年間、眠りの中では
当たり前のように存在していたのです。
親戚から届いたお供物を亡き父に
供えに二往復したら、結構な距離でした。
わたしの最初の記憶は、
母の背で祖母も横にいて、医院の受付窓口で
見た水薬だったと思うのだけど、
父の記憶といえば、子ども部屋にひとりで
粘土遊びしていて、
夜だったと思う。急に心細くなって泣き声で、
父が飛んで来て、
「どうした?」と聞いた。
「粘土が汚くなった。」と言ったら、
丸めて最初包んであったセロハン紙に
仕舞って、部屋を出て行った。
その時、家に母がいなかった。
粘土遊びするくらいだから、とっくに妹は
生まれていたはず。
多分医院に連れて行ったか何か用事で
父と二人で留守番していたのだろう。
それが淋しくて何度か泣いては
父が泣き止ませるために、粘土を丸めたり、
片付けたりしていたみたいです。
その部屋は、父母が両親と同居していた時は
叔母の部屋だったらしい。
叔母がお嫁に出てから、わたしの部屋に
なったらしく、
わたしは部屋にひとりで過ごすのが
淋しくて泣いていたのだと思う。
叔母に関しては、両親と出かけた時に
おじが経営していた事務用品店で、
クレパスや画用紙など好きなものを選んで、
上機嫌だったことや、
そこに叔母がいて、思いがけない嬉しさや
安心感を持ったことは覚えています。
あの時、子ども用滑り台もあったから、
従兄弟は生まれていたのかもしれない。
朝起きて、緊急呼び出しされる心配がないというのは有り難いです。
父は亡くなって一目散に母のところに行ってしまったのか
夢に出てきてくれない。
母が亡くなった後は数年間、眠りの中では
当たり前のように存在していたのです。
親戚から届いたお供物を亡き父に
供えに二往復したら、結構な距離でした。
わたしの最初の記憶は、
母の背で祖母も横にいて、医院の受付窓口で
見た水薬だったと思うのだけど、
父の記憶といえば、子ども部屋にひとりで
粘土遊びしていて、
夜だったと思う。急に心細くなって泣き声で、
父が飛んで来て、
「どうした?」と聞いた。
「粘土が汚くなった。」と言ったら、
丸めて最初包んであったセロハン紙に
仕舞って、部屋を出て行った。
その時、家に母がいなかった。
粘土遊びするくらいだから、とっくに妹は
生まれていたはず。
多分医院に連れて行ったか何か用事で
父と二人で留守番していたのだろう。
それが淋しくて何度か泣いては
父が泣き止ませるために、粘土を丸めたり、
片付けたりしていたみたいです。
その部屋は、父母が両親と同居していた時は
叔母の部屋だったらしい。
叔母がお嫁に出てから、わたしの部屋に
なったらしく、
わたしは部屋にひとりで過ごすのが
淋しくて泣いていたのだと思う。
叔母に関しては、両親と出かけた時に
おじが経営していた事務用品店で、
クレパスや画用紙など好きなものを選んで、
上機嫌だったことや、
そこに叔母がいて、思いがけない嬉しさや
安心感を持ったことは覚えています。
あの時、子ども用滑り台もあったから、
従兄弟は生まれていたのかもしれない。
金曜日にダンス待ちの時に、
コロナ禍後にお知り合いになった
気さくな年長者とお喋り。
能登の地震について、
「あちこちで募金活動が
行われているけれど、どこが確かかな?
集めている団体に拘ってしまうわ。」
と、
元旦からの震災ということもあって、
何か他人事ではない気がしてなりません。
その日の帰り、駅前に数十人がずらりと
並んで募金活動をされていました。
目を凝らして見たら、市議会の共済?
市議会なら、バスルートの事でもお世話に
なっているのかしら?
気持ちだけ、今回初の募金。
毎回、少しずつ協力させていただくのでも
いいのかな?
話は変わって、最近のネットニュース、
やたら芸能人のランキングが目につきますが、
少し着眼点を変えれば、変動するような、
基準が曖昧な感じ。
ベスト3にもワースト3にも名前が上がり
どちらでも、もっともらしく賞賛と批判
学校時代の実力テストの席次は
シビアでしたが、信ぴょう性はあったと思うし、
頑張りに応じて上下する正当なものでした。
運動会のかけっこだって、
その日だけ英雄になれる児童がいても、
良かったと思うけれど、
差をつけてはいけないなど、言いがかりを
つける人たちもいた。
ゆとり世代は、真の意味の競争や
公平を知らずに育っているのではないかしら?
(あれらの信ぴょう性のないランキングを
つけているのは、ゆとり世代だったりして?)
などと妄想をしてしまいました。
コロナ禍後にお知り合いになった
気さくな年長者とお喋り。
能登の地震について、
「あちこちで募金活動が
行われているけれど、どこが確かかな?
集めている団体に拘ってしまうわ。」
と、
元旦からの震災ということもあって、
何か他人事ではない気がしてなりません。
その日の帰り、駅前に数十人がずらりと
並んで募金活動をされていました。
目を凝らして見たら、市議会の共済?
市議会なら、バスルートの事でもお世話に
なっているのかしら?
気持ちだけ、今回初の募金。
毎回、少しずつ協力させていただくのでも
いいのかな?
話は変わって、最近のネットニュース、
やたら芸能人のランキングが目につきますが、
少し着眼点を変えれば、変動するような、
基準が曖昧な感じ。
ベスト3にもワースト3にも名前が上がり
どちらでも、もっともらしく賞賛と批判
学校時代の実力テストの席次は
シビアでしたが、信ぴょう性はあったと思うし、
頑張りに応じて上下する正当なものでした。
運動会のかけっこだって、
その日だけ英雄になれる児童がいても、
良かったと思うけれど、
差をつけてはいけないなど、言いがかりを
つける人たちもいた。
ゆとり世代は、真の意味の競争や
公平を知らずに育っているのではないかしら?
(あれらの信ぴょう性のないランキングを
つけているのは、ゆとり世代だったりして?)
などと妄想をしてしまいました。
昨夜また「二人のディスタンス」の録画に失敗。
寝る前に番組表に録画予約のチェックを確認したし、
今までに吉本チャンネルや東急チャンネルで
録画できていないことはありましたが、
NHKの録画予約で失敗したのは、
この番組のみで訳がわかりません。
わたしのミスではなくて、
他に原因があるとしか思えない。
昨日の続き
母が緩和病棟から退院したいと言い出した時に
訪問介護のスタッフを紹介されて、
定期的に保健師、看護師、医師などが訪問されるようになった時期、
わたしはてんてこ舞いの忙しさでした。
布団やマット干し、母のトイレ介助、
力仕事だけでエネルギーを使い果たし、
入浴サービスの時は、タオルや道具を揃えて、
掛け湯のお湯沸かし、そして両親の食事作り、
家に帰って日常の食事作り
この時もGWに連絡がつきにくかったり、
こちらも予想がつかずに一泊旅行を入れていたりでした。
そしてある日、母の血中酸素の値から?
医師に母の死が近いことを知らされた。
近いってどれくらいなのか、予想出来なかった。
次に保健師さんにも言われた。
「他の患者さんが苦しみで顔を歪めてるのに、
こんな安らかに和かにしてられて
恵まれています。」というような事を
言われた。
こんなに和かなのに、死ぬわけない…
不信感の始まりでした。
その後、母が肺炎で「苦しい」と言った時に、
訪問医師に連絡がつかず、保健師さんも
お休みの日のようで、
母の了解をとって救急車を呼びました。
運ばれたのは、K大学病院の紹介で
入院していた緩和病棟ではなく、
一般病棟で、前回入院した時とは
方針も全然違ったものでした。
この時の教訓を父の時に生かしたかったけれど、
父は緩和病棟のある病院ではなく、
父のマンション近くの病院
(その病院ができたから、引っ越しを決めた父だったから)
に通って、きちんと健康管理をしていただけていました。
それでも不本意な事が起きて、
考えもしなかった病院で最期を迎える事になるのです。
わたしは何と闘っていたのか?
主人もわたしの送迎ではずいぶん協力してくれたけれど、
親の介護に関しては、全てが肩にのしかかって、
やはり辛かったです。
これで良かったのか、色々疑問もあるけれど、
これが精一杯だったと思います。
寝る前に番組表に録画予約のチェックを確認したし、
今までに吉本チャンネルや東急チャンネルで
録画できていないことはありましたが、
NHKの録画予約で失敗したのは、
この番組のみで訳がわかりません。
わたしのミスではなくて、
他に原因があるとしか思えない。
昨日の続き
母が緩和病棟から退院したいと言い出した時に
訪問介護のスタッフを紹介されて、
定期的に保健師、看護師、医師などが訪問されるようになった時期、
わたしはてんてこ舞いの忙しさでした。
布団やマット干し、母のトイレ介助、
力仕事だけでエネルギーを使い果たし、
入浴サービスの時は、タオルや道具を揃えて、
掛け湯のお湯沸かし、そして両親の食事作り、
家に帰って日常の食事作り
この時もGWに連絡がつきにくかったり、
こちらも予想がつかずに一泊旅行を入れていたりでした。
そしてある日、母の血中酸素の値から?
医師に母の死が近いことを知らされた。
近いってどれくらいなのか、予想出来なかった。
次に保健師さんにも言われた。
「他の患者さんが苦しみで顔を歪めてるのに、
こんな安らかに和かにしてられて
恵まれています。」というような事を
言われた。
こんなに和かなのに、死ぬわけない…
不信感の始まりでした。
その後、母が肺炎で「苦しい」と言った時に、
訪問医師に連絡がつかず、保健師さんも
お休みの日のようで、
母の了解をとって救急車を呼びました。
運ばれたのは、K大学病院の紹介で
入院していた緩和病棟ではなく、
一般病棟で、前回入院した時とは
方針も全然違ったものでした。
この時の教訓を父の時に生かしたかったけれど、
父は緩和病棟のある病院ではなく、
父のマンション近くの病院
(その病院ができたから、引っ越しを決めた父だったから)
に通って、きちんと健康管理をしていただけていました。
それでも不本意な事が起きて、
考えもしなかった病院で最期を迎える事になるのです。
わたしは何と闘っていたのか?
主人もわたしの送迎ではずいぶん協力してくれたけれど、
親の介護に関しては、全てが肩にのしかかって、
やはり辛かったです。
これで良かったのか、色々疑問もあるけれど、
これが精一杯だったと思います。
救急車で運ばれ転院した病院で
父はすぐに処置室に入れてもらえたけれど、
後から運ばれて来る緊急患者さん達の対応で、
てんてこ舞い状態で、付き添って来た人が
激しく咳き込んでいたり、
深夜まで待たされて、
建物の古かったり、夜間の待合室の空気で、
肩が凝りわたしも息苦しさを覚えたくらいでした。
月曜日、新しい担当医師から電話で説明を受けた。
緊急時に話を聞いて納得していた通り、
父の年齢や痩せ具合を考えても、
カテーテル治療は難しい。
その時は、症状も変化なく、食欲もないと聞き、
症状をとる治癒だけなら、(家の近くの長年お世話になっていた病院)に戻ることを希望しました。
そして火曜日、スポーツジム帰りに、
また医師から連絡
父が平熱に戻り、嚥下検査結果では
ギリギリ口から食べ物を食べられる。
食事も残さずに食べられていると言われた。
医師の懸命な治療に感謝しながらも、
やはり家から近い病院に戻ることを希望。
次に医師から連絡があった時に、
20日に希望通りに、従来の病院へ
搬送にいつも通りにわたしが付き添うことに決まりました。
前日からうきうきして準備していたところ、
20日朝に、医師から、父が朝から高熱で、
検査でインフルエンザと診断、
転院が一週間延期になったと連絡がありました。
そして22日は、朝、昼過ぎ、
夜10時過ぎと3回連絡があり、
父は夜11時15分に息を引き取りました。
それまで見舞いは一週間に一度、
予約制で、他家族が予約している時は
予約できない決まりと聞いていたけれど、
22日からは連絡の度に
見舞うようにと示唆されたので、
危篤ということなのだと、分かってはいたつもりでした。
インフルエンザ感染がなくても、
遅かれ早かれ誤嚥性肺炎か、心筋梗塞が進んだり、
寿命が近づいていたことは確かでした。
長年勤務して、多くの高齢者と接していらした
ケアマネさんの言われたことが
正しい事も勘付いていました。
そういえば母親の時も
続き
父はすぐに処置室に入れてもらえたけれど、
後から運ばれて来る緊急患者さん達の対応で、
てんてこ舞い状態で、付き添って来た人が
激しく咳き込んでいたり、
深夜まで待たされて、
建物の古かったり、夜間の待合室の空気で、
肩が凝りわたしも息苦しさを覚えたくらいでした。
月曜日、新しい担当医師から電話で説明を受けた。
緊急時に話を聞いて納得していた通り、
父の年齢や痩せ具合を考えても、
カテーテル治療は難しい。
その時は、症状も変化なく、食欲もないと聞き、
症状をとる治癒だけなら、(家の近くの長年お世話になっていた病院)に戻ることを希望しました。
そして火曜日、スポーツジム帰りに、
また医師から連絡
父が平熱に戻り、嚥下検査結果では
ギリギリ口から食べ物を食べられる。
食事も残さずに食べられていると言われた。
医師の懸命な治療に感謝しながらも、
やはり家から近い病院に戻ることを希望。
次に医師から連絡があった時に、
20日に希望通りに、従来の病院へ
搬送にいつも通りにわたしが付き添うことに決まりました。
前日からうきうきして準備していたところ、
20日朝に、医師から、父が朝から高熱で、
検査でインフルエンザと診断、
転院が一週間延期になったと連絡がありました。
そして22日は、朝、昼過ぎ、
夜10時過ぎと3回連絡があり、
父は夜11時15分に息を引き取りました。
それまで見舞いは一週間に一度、
予約制で、他家族が予約している時は
予約できない決まりと聞いていたけれど、
22日からは連絡の度に
見舞うようにと示唆されたので、
危篤ということなのだと、分かってはいたつもりでした。
インフルエンザ感染がなくても、
遅かれ早かれ誤嚥性肺炎か、心筋梗塞が進んだり、
寿命が近づいていたことは確かでした。
長年勤務して、多くの高齢者と接していらした
ケアマネさんの言われたことが
正しい事も勘付いていました。
そういえば母親の時も
続き
父がお世話になっていた施設のケアマネさんから、
緊急病院搬送が頻繁になった頃に、(去年の秋でしたか)
「病院に主治医がいると、何かあった時に、
施設専属の医師の指示を仰げないから、
主治医を変えた方がいいのでは?」
とアドバイスいただいた事がありました。
食べられなくなった時の、(最初希望していた)
施設での看取り体制、
そろそろその時期に来ているのでは?」
この時のこの一言には素直に従うことが
できなかったのです。
(施設専属は内科医師のみで、
別に泌尿器科通いは避けられなかったし、
眼科、皮膚科なども、同病院に通院していましたから)
私的には賑やかにクリスマスやお正月の行事の
行われる広間に面した施設の個室での看取りは、
通う家族にとっても酷というか、
色々気を使うなとか、
職員さんの交代で休みの時期に入るので、
迷惑では?と気を回したりもしました。
そして、元からの病院の退院指導の方と、
施設のケアマネや看護師さんとの話し合いで、
父に異変が起きた時は、すぐに救急搬送で
その病院にと言っていただいた事で、
施設のケアマネも、受け入れてもらえるなら、
それでもいいかと思うと言われ、
わたしも10分で病院に走って行ける距離で、
話し合いは一件落着していました。
そして、次に夜間の緊急搬送された時は
父は心電図で心筋梗塞を疑われ、
やや慌てた非常勤医師のニュアンスで、
万にひとつのカテーテル治療の可能性をかけて、
初めて転院しました。
この時の対応が、父の元からの主治医だったらなと思うことはあります。
緊急病院搬送が頻繁になった頃に、(去年の秋でしたか)
「病院に主治医がいると、何かあった時に、
施設専属の医師の指示を仰げないから、
主治医を変えた方がいいのでは?」
とアドバイスいただいた事がありました。
食べられなくなった時の、(最初希望していた)
施設での看取り体制、
そろそろその時期に来ているのでは?」
この時のこの一言には素直に従うことが
できなかったのです。
(施設専属は内科医師のみで、
別に泌尿器科通いは避けられなかったし、
眼科、皮膚科なども、同病院に通院していましたから)
私的には賑やかにクリスマスやお正月の行事の
行われる広間に面した施設の個室での看取りは、
通う家族にとっても酷というか、
色々気を使うなとか、
職員さんの交代で休みの時期に入るので、
迷惑では?と気を回したりもしました。
そして、元からの病院の退院指導の方と、
施設のケアマネや看護師さんとの話し合いで、
父に異変が起きた時は、すぐに救急搬送で
その病院にと言っていただいた事で、
施設のケアマネも、受け入れてもらえるなら、
それでもいいかと思うと言われ、
わたしも10分で病院に走って行ける距離で、
話し合いは一件落着していました。
そして、次に夜間の緊急搬送された時は
父は心電図で心筋梗塞を疑われ、
やや慌てた非常勤医師のニュアンスで、
万にひとつのカテーテル治療の可能性をかけて、
初めて転院しました。
この時の対応が、父の元からの主治医だったらなと思うことはあります。
今日は特に予定もないので、
のんびり過ごしたい。
早朝五時半起きが定着しています。
御トイレで起きて、そこから二度寝すると、
朝の用事に差し支えるので、そのまま起きるようになりました。
十時にラジオを聴きながらの就寝も定着して、
大晦日の紅白歌合戦も途中で居眠っていました。
一曲くらいとんだかな?と翌日録画で確認したら
五曲くらいの時間眠っていたようです。
女性司会者二人とも華があって素敵でした。
個人的には、去年も司会された橋本環奈さんの、
声のトーンがスッキリして心地よい。
大泉洋さんと息ピッタリのコンビを
もう一度見たかった気がしました。
最近見知らぬ歌い手さんが多いと思っていたら、
オトナブルーやヨアソビのアイドルは
スポーツジムのダンスで馴染みの曲でした。
インストラクターがオリジナルで振り付けされたもので、
アイドルはテンポが速くてバテバテでした。
歌詞を初めて知り、踊るのが楽しみになりました。
黒柳徹子さんの登場や、薬師丸ひろ子さんの
歌に癒されました。
星野源さん、流石の歌唱力!
NHKで又吉さんと、絵本作家のよしたけさんの
「その本は」を聴き逃しで聴いています。
あの本はまだ買っていなかったので、
絵を空想しながら聴いています。
本も購入したいです。
そして楽しみにして、友人にもあちこちお知らせしていた
「二人のディスタンス」を見逃し、ガッカリしていたのが、
また再放送されるようで、
録画設定しました。
前回も設定したはずなのに、
楽しみに確認し過ぎて、設定ミスしたようでした。
そして初放映の頃に父危篤で
病院に向かっていたのです。
のんびり過ごしたい。
早朝五時半起きが定着しています。
御トイレで起きて、そこから二度寝すると、
朝の用事に差し支えるので、そのまま起きるようになりました。
十時にラジオを聴きながらの就寝も定着して、
大晦日の紅白歌合戦も途中で居眠っていました。
一曲くらいとんだかな?と翌日録画で確認したら
五曲くらいの時間眠っていたようです。
女性司会者二人とも華があって素敵でした。
個人的には、去年も司会された橋本環奈さんの、
声のトーンがスッキリして心地よい。
大泉洋さんと息ピッタリのコンビを
もう一度見たかった気がしました。
最近見知らぬ歌い手さんが多いと思っていたら、
オトナブルーやヨアソビのアイドルは
スポーツジムのダンスで馴染みの曲でした。
インストラクターがオリジナルで振り付けされたもので、
アイドルはテンポが速くてバテバテでした。
歌詞を初めて知り、踊るのが楽しみになりました。
黒柳徹子さんの登場や、薬師丸ひろ子さんの
歌に癒されました。
星野源さん、流石の歌唱力!
NHKで又吉さんと、絵本作家のよしたけさんの
「その本は」を聴き逃しで聴いています。
あの本はまだ買っていなかったので、
絵を空想しながら聴いています。
本も購入したいです。
そして楽しみにして、友人にもあちこちお知らせしていた
「二人のディスタンス」を見逃し、ガッカリしていたのが、
また再放送されるようで、
録画設定しました。
前回も設定したはずなのに、
楽しみに確認し過ぎて、設定ミスしたようでした。
そして初放映の頃に父危篤で
病院に向かっていたのです。
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