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まとまりないまま

木曜日に医師から「その時期は近いと思う。」といきなりの宣告を受け、
風邪気味で熱っぽかったものの、食欲も盛り返し、
夕食に一時間以上かかりながらも懸命に噛んで食べて生きようとしていた母
汁ものはダラダラ零すことが多くなったので
IMG_3320
介護用具を選んだところでした。

自然死について問われましたが

べッドが空き次第入院させていただくようにお願いしました。
応急診療に連絡しても、すぐには間に合わないでしょうし
 犬の死直前の五分間を思うと、とても一人で看取る勇気はありません。

和室に布団を移して、日中も(今までの座布団上の午睡から)
布団の上で休息できるように配置したところです。
対処しても、より悪化していく一方で、弱気になっていました。

昨日の朝、母のトイレに父と二人がかりで抱えたのが最後
その前もトイレで「ここでしてもいいの?」とか
「いつでも出ます。」と幼子のように実況を初めていた母
悟ったのか
リハビリパンツを「紙のトイレ」と呼んで以来、トイレで立つことはなくなりました。

昨日は訪問看護の方にシャワーは体力を使うので、寝たまま拭いていただき
楽だったのでしょう。
「病気になったら綺麗になる。」と指で自分を指して燥いでいました。
布団に角度をつけてもたれ座りして、蜜柑ジュースを飲んだ後に
「蜜柑食べようかな?卵をフワッと炒ってね。
葡萄酒のジュースがあったはず、飲みたいな〈昔あったもの?〉
と次々強請っては、作って運ぶと感謝して
「ずっと寝たままでも(私)子ちゃんがいてくれたら、それでいいのよ。」
と嬉しそうにしていて
こんなに元気なのに、誤診じゃないのかしら?
今入院したら理解できずにどんなに淋しがることでしょう?
けれど私は最期の苦しみから救ってあげることができないのです。

抗生物質が効いたのか今朝は数日ぶりに平熱に下がり、
ホッと一安心、けれど口数が少なくて、いつものようにお茶目に惚けないし
木曜日夜からお薬内容が変わったことがあるのかもしれませんか
そばで咳一つしても、目を大きく開けて私をじっと見ても
「苦しいのではないかしら?」と気が気でありませんでした。

林檎とカステラを食べたがる母のために買い物に出ました。
20歳代の時からずっと同じのを着ていたことに気が付いて
途中バスを降りて涙をぬぐいながら喪服を買いました。

よくうつらうつらしている母に「何の夢を見たの?」
と尋ねたら
「女の人が三人いて、皆よく働いていて、うちの娘はちゃんと働いているか
心配していたの。」
と言うから
「ここに娘はいるでしょう?」と言うと
「やっぱりそうだったのね!?」と嬉しそうに言って
「お給料貰ってる?」など聞くのです。
一銭ももらっていませんから!
それどころか、我が家から食材を寄付することもしばしば・・・
父があの性格だし  少し腹立たしいと思うこともありますが

今は母が少しでも過ごしやすいように、それしかないです。
母が夢の中で、私を心配してくれていたんだな~参観日のように気が気でなかったのでしょう。

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