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1月26日(夜)

午後からの買い物、母はまた痛むらしく代わりに父が来ました。
父は運動と気晴らしができて、いつもよりも元気に見えました。
スーパーで母に似た面影の人を追ってしまいます。
元気で機嫌のよい時の、一番状態の良い時の母を
良い思い出以外は忘れて行くのかしら?
・・・癌が進んで痛むわけではないとセカンドでも診断されて
その治療は昔手術した大病院でするのがベストだと言われているのに、
父は母に言われてインターネットで筋肉の痛みなどに詳しい医院を捜していたらしい。
母はどう診断されれば納得するのかしら?
心配だけしていればいいわけではなくて、つらさを訴えてあちこち病院に行くけれど、
診断されても治療を受けないで、また次の病院・・・
元からの病巣があることは確かなのですが、
神経も病んでいる・・・長年の病気への恐怖が原因なのかしら?
けれど私が小学校の低学年時代、ツベルクリンが陽転した時も、
肺に影は見当たらなかったにも関わらず
あちこち病院に連れまわされて、検査して診断、ヒドラの投薬
しばらくして母が私に別の病名をつけたがり、また病院を変わるそこまでは記憶しています。
同じ人には変わりないですが、私の中で愛する母と憎んだ母がいる。

P1040684.JPG
JAFの関係で主人は毎月ドリンク券を貰うらしい。
買い物の後、珈琲二つを持ち帰って、家でお茶しました。
スーパー●●クワの専門店で買ったパンも美味しいでした。

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夕食は、鰻(少し)定食をいただきました。ちょうど良い量でした。
お店の女の子が姪に(妹宅の)似ていて可愛かったのです。
主人もそう思うと言い、支払の時に女の子に姪のデジカメ画像を見せたら、
とても喜ばれました。
20歳くらいかしら?私もあんな頃があったのですね。
二~三年前まではあの頃と何ら変わりないと感じていたのですが
厚かましい考えだったのかしら?

コメント
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