皇室を敬い崇拝し続けていた亡き母の影響を受けて、
私も生まれた時から皇室関係のテレビ番組などを観て育ちました。
昭和天皇、平成天皇、美智子皇太后、
幼き頃から浩宮、礼宮 様がたのニュースにも慣れ親しんでいました。
母の記憶を遡ると、祖父母も愛国心に溢れ、
産めよ増やせよの考えにならい、
母には妹一人(赤子で没)弟三人、
一番凡庸と言ってもいいくらい、ただただ家庭的だった祖母でさえ、
男の子は戦争にやるものだと覚悟していたそうです。
母の従兄弟は、昔は馬に乗って家を訪ねて来たそうですが、
その従兄弟たちはことごとく戦死
そして一番上の(母の)弟は(従兄弟達にならい)当然海兵に行くものと予定し、憧れてもいたそうです。
(年齢的に必要なくなりました)
他に母の話で記憶しているのは、部屋に飾っていた海兵さんたちの写真に向かって
母は毎日敬礼していたというのでした。
昭和天皇から平成の時代になった時は
崩御されたということで何事も自粛ムードでしたが、
令和は純粋に国民皆が祝うことができたので、
良かった気がしました。
昔の方に比べたらニュースなどで皇室を身近に感じるようになりましたが、
日本の国の象徴として、常に国民よりも一段高い位置にあるべきで、
神聖で敬う存在であって欲しいと思います。
ちょっと個人的感想を述べてみました。
私も生まれた時から皇室関係のテレビ番組などを観て育ちました。
昭和天皇、平成天皇、美智子皇太后、
幼き頃から浩宮、礼宮 様がたのニュースにも慣れ親しんでいました。
母の記憶を遡ると、祖父母も愛国心に溢れ、
産めよ増やせよの考えにならい、
母には妹一人(赤子で没)弟三人、
一番凡庸と言ってもいいくらい、ただただ家庭的だった祖母でさえ、
男の子は戦争にやるものだと覚悟していたそうです。
母の従兄弟は、昔は馬に乗って家を訪ねて来たそうですが、
その従兄弟たちはことごとく戦死
そして一番上の(母の)弟は(従兄弟達にならい)当然海兵に行くものと予定し、憧れてもいたそうです。
(年齢的に必要なくなりました)
他に母の話で記憶しているのは、部屋に飾っていた海兵さんたちの写真に向かって
母は毎日敬礼していたというのでした。
昭和天皇から平成の時代になった時は
崩御されたということで何事も自粛ムードでしたが、
令和は純粋に国民皆が祝うことができたので、
良かった気がしました。
昔の方に比べたらニュースなどで皇室を身近に感じるようになりましたが、
日本の国の象徴として、常に国民よりも一段高い位置にあるべきで、
神聖で敬う存在であって欲しいと思います。
ちょっと個人的感想を述べてみました。
| 08:33
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