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4月1日(夜)

このところ母の食欲も増し、安心したのもつかの間
時々薬がバラで落ちていて、処方箋を見るとそれが痛み止めだったり、
それでも痛まないなら、奇跡的に骨折部位が回復したのかしら?
くらいに思っていたのですが、昨日は朝から母の体調や精神状態が最悪で
聞くと前日夜の薬を数錠入ったものを袋ごと飲まなかった。
それは十日くらい便秘で看護師さんからも指導を受けて、
飲み水に下剤を用意して促したことから
他の薬は頑固拒否したらしいのですが、
夜間は安眠作用や痛み止めの成分の薬だったことから、
昨日一日大変だったの。
機嫌の良い時と、落ち込んでいる時では、天と地ほどの差があって、
私も凹みました。
母も「つらいから近所の病院へ一週間ほど入院しようかな?」など言うし

二月の入院へ行きつくまでや介護を受けるようになるまでの
手間や手続き・・・全て一からでどれほど大変だったか?

極めつけは父のこと、記憶力に関してはあきらめというか、
誰でもそういう道を辿っていくのだから
年老いて行くことへの悟り・・・それだけなら仕方がないのでしょうが
昨日は、私の結婚式の時に主賓で来られた父の(亡き)親友について
社会的にも有能で熱心なクリスチャンでもいらしたその方のことを
妹の式に来ていて妹の恩師と大変親しいなどと言い出して
それはそのまま私の式での話で、幼いころの私をよくご存じのその方と
牧師だった聖歌隊指揮者(教授)とのエピソードで、
二人ともスピーチして下さったのです。
父の恍惚ですり替わったというのかしら?
今の居住地にいるのは紛れもない私だけど、十代~二十歳の嫁入り前の私は
妹のことだと錯覚しているみたいでした。
ただでさえ疲労しているところに、ショックが大きくて
どこかに逃げ出しくなったくらい。

私がお見合いした頃、妹はすでに職場に彼氏が(伴侶)いて
殆ど家にいない状態でしたから。
近所の幼稚園に勤めながら、家の手伝いをしていたのは全て私・・・
いくら言っても耳を傾けてくれなくて

こんな無礼なことってあるかしら?と自分のこの世の存在さえ否定された気さえしたのです。


そして朝、ゴミ捨てに出たら、向かって歩いて来る♂、
ゴミ捨て場に向かう私は落ち着いて手前で曲がったら、
こともあろうに後ろから付いて来て、捨て場所の向かえ前に位置する家の表札をじっと見ているふう
この一年班長当番が一緒らしいけれど、役員さんに尋ねて奥さんがすると聞いていたし、
いつもと同じく視界にも入らないそぶりで帰りました。
あの♂を目にしただけで運が悪い気分

私は眼科検診日で、病院にいる間中昨日のメランコリーを引きずり
全てが不快に感じられた瞬間、アイフォンから地震警報が、
周りの方のも鳴っていました。
仕方がないから気を取り直してマンションに寄ったら、
母は昨夜のお薬が効いて眠っていたらしい。
そして生まれ変わったように機嫌よく目覚めて、
何かにつけて感謝の言葉を口にしていました。

昨日の父の記憶違いについてもう一度説明したら、
今日は比較的素直に耳を傾けていたので、
少し気が晴れました。

IMG_2902
家に帰ってから、昨日からの反動でチョコを食べ過ぎたかも?
美味しいでした。

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