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4月23日(夕)

朝食後、自治会委任状の集計を、まだ数枚回収できていない。

夕食のカレー用のお肉などを買いに行こうと思いつつ、
だるいので、ツナ缶やコーン、そしていつものお野菜で調理し、
テレビをつけて珈琲を飲んでいました。

父から電話、母が自分から老人ホームに行きたいと言った
「母は複雑だから、病気も重いから老人ホームは無理だから。」
「それが国鉄の・・駅の近くに病気でも入れてくれる所がある。」
これは裏がある、父が母に言わせるように仕向けたと思う。
なぜかというと前日父は近隣の病院に母の症状を訴えたらしい。
父の担当医は母が春に入院した緩和病棟のある病院では
「死ぬまで母の面倒を診るつもりだった」と言われたと
父が勝手に病院を追い出されたと記憶をすり替えてしまっていて
それは母が父の事も気になるし、家事できそうな(気がするから)退院したいと言ったのです。
実際は、あの入院を境に家事(能力)は失ってしまったのですが

すぐにマンションに直行、
(まず今、診て下さっている往診の先生に相談するべきと言いました。
症状から入院が必要な場合は
緩和病棟のあった病院が一番適切なはず。
けれど、せっかく痛みが治まり、食欲も少しずつ出て来てる今入院したら逆効果
病院のベッドは高さがあって簡単に上り下りできないから
殆ど一日寝たきりでテレビだけの生活になってしまう。)
かいつまんで説明しました。
母は就寝後の夜尿に神経質になっているのだと思う。
夕食後の薬が原因で、本来なら母の脳は健在だったから
高齢による痴呆とは違って我に返った時に居た堪れなくなるのだと思う。

私も時に疲労しきっているけれど、まだこれから身近な公園の四季を眺めたり、
車椅子で母の好きな買い物にも連れて行ってあげたいし
日常生活を通して母の明るい表情を見たい
薔薇園にも連れて行ってあげたいし、
先日娘が来た時は大喜びして、「このメンバーでまた会食したい。
こういうチャンスに無理して行ってよかった!」って
「どこにも行ってないわよ。おばあちゃんの家に(娘)が来たでしょ?」

箪笥の衣類を気にしていたので、昨日から何度かまとめ洗いした物を仕舞いながら
母の見てる前でわかりやすいように入れ替えました。
以前食器棚を整理してお皿や椀の大きさを揃えたら、
父から「取り出しにくい。」と顰蹙を買ったので、
物を入れ替えることは止めていましたが、
母は大喜びしてくれました。
そして箪笥のそばにビニールの袋が・・「これ何?」
汚物と汚れた衣類が、母の物に違いないんだけど
私の悲鳴を聞いて、後から母も見て同じように悲鳴を上げていました。
母の汚物、不思議なくらい臭いがわからなかったの~
ゴミ処理として始末したら、母は
「〇(私)が片づけるのを見ていたら、急に胸がスッキリしたわ。」
と悩みが一つ解決したような顔をしていました。

前回看護師さんに相談していたことですが、
夜間だけリハビリパンツを使用してみることに
母が悩んでいる様子でしたから、それとなく言ってみたの。
「高齢で外を出歩いている人でも、そういうのを利用しているらしいよ。
他に言わなくても使ってる人がいるのよ。気にしなくてもいいわよ。
明日一緒に買いに行く?」と尋ねたら、喜んで賛同してくれました。

母は、夢の中でよそ様の排泄のお世話をしていて、
その人が粗相をした・・・と思っていたら、
それは自分のことかもしれない・・・。
などと言うのです。
気になって夜ごと起きて来て箪笥の番をしていたのです。

母は腸炎の時みたいに一週間くらい入院したら回復すると軽い気持ちもあるかもしれませんが、
今度入院したら、二度と出れなくなるような気がするの。
「もう少し年がいくまで頑張ろうね!」

すぐに転倒するので、起き上がれない時のために這う練習をしました。
足の膝のサポートも必需!

明日、悩みが一つ解決すればいいのだけど

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