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5月18日(夜)

カレーを炊いてお昼用に持って行くと、母のお気に入りのこくまろですが
大喜びして食べていました。
昨日のチキンライスといい、お子様が好む味付けが食べやすいようで
それならレストランでお子様ランチを注文したら、喜んで食べるのでないかしら?
元は和風料理が好きで、今も好みますが、中華風は味覚が受け付けなくなったようで、
いつぞや柚子胡椒の塩焼きそばを一口食べて「ソースが足りない。」などと言ったのです。
母は深い眠りの後、一つずつ俗世の記憶を捨てていってるように思える。

図書室で本を借りて近隣のデパートで買い物をした後、
鰻巻き寿司(小)を買って夕食用に持って行ったら、
母は午睡の最中で、しばらくして目を覚まし
「(私)子ちゃん、ちょっと顔を見せて。」と言うから行くと
両手で顔を包み「ここは何階?」と尋ねる
「。階だけど、落ちないから大丈夫、今まで七年も暮らしていて、
危ない事は一度もなかったでしょう?」
と言うと
「七年もここにいた?ここは誰のおうち?」
「お爺ちゃんと御婆ちゃんのおうちでしょう。広い家は掃除が大変、
庭の木や草刈りが大変だと言って、ここに住むようになったでしょう?」
と言って聞かせると
「七年もいた?知らなかった。階段で一々上がったり降りたり、
外に出れない・・・。」
と心配するから、頭を撫でながら
「いつもエレベーターで簡単に外に出ていたでしょう?
今は車椅子もあるし、何も心配はいらないから。」と言うと、
少し安心した様子でした。
父が繰り返し「ここは何階?」と尋ねて答えさせていたので、
母は目覚めるたびに気にするようになったようでした。
必要なのは正確な解答じゃないのにテストみたいに質疑応答責めで
母の脳はパンクしそうでした。

ただ気がかりなのは「ずっとここに来てくれるの?同じ家族で暮らしていけるの?」
何故そんなことを質問してくるのかしら?
「私は御婆ちゃんの娘だから当たり前でしょう?毎日来てるでしょう?心配しないでね。」
と繰り返し説明しました。
その日に寄って掃除のヘルパーさんだったり、訪問看護だったり
火曜日は私が運動するために早い時間に帰ってしまったりで、
母はかなり混乱してしまっていました。
「(私)ちゃんとお爺ちゃんと(私)子もいてた。」
「あっ、(私)子も私よ。」
「縁あって小さい時から知ってるんだから可愛いはずよね。よろしくね。」
と、まだ混乱中の母
「だから、御婆ちゃんは私を生んだの。」
「そうだった・・・(恥ずかしそうに)えーと、子ども?孫?どっち?」
何度でも繰り返し説明すると「だんだんわかって来たみたい。皆、良い人だから
仲良くやっていきましょう。」
と言うのでした。

ただ、今日は以前から住んでるマンションに母は住み始めたばかりの感覚で
父に「(私)子ちゃんと、お爺ちゃんと、そして御婆ちゃんも家族に加わりますので
よろしく。」と言って、それを聞いた父はショックを受けたのか瞬間泣いていました。

袋に集めた瓶、缶類のゴミを父が捨てに行こうと玄関に立ったのを見て
母は改めて父の高齢化に気づき?
「あれがお爺ちゃん?エーッ?」と驚き「全くの他人ではないのよね。」

その中で、主人の評価の高かったこと、日曜日の買い物でしか会わないのに
私のご主人は、夫婦でしょう?だったら四人同じような者
だと即家族認定していたのです。

買い物帰りに、先に家に荷物を置くためにバス利用で
一番近い公園に小父様がお孫さんを遊ばせにいらっしゃっていました。
諸々の事情で小父様も太極拳上級クラスを(結果)辞められたのです。
三月に気功の先生が裸足で土を踏むことの大切さや
ストレスになることを溜めすぎると病に繋がる話など
辞める勇気的な発想でした。フェステが終わってからだと思う。
私は必然的に親を介護しなければならない環境にありました。

小父様は未来ある子どものお世話をされているので、羨ましいと思ったの。
慢性持病を抱えていらしても、お年を召して今は年金暮らしでも
小父様は明るい光に満ち溢れているように見えたのです。

犬と別れの日にも通った公園
五月、小鳥の囀りに癒されながら最期を予感して、日々犬との時間を惜しんだ公園
犬が亡くなった後、「姿を変えてでも、霊でもいいから、私の前に表れて。」
と涙した場所でした。
けれど、犬はすでにその場所には居ないと思った。

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