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六時頃、「お寿司を食べておいて」と父に言い残し
救急車同伴して、簡単な検査などで帰宅したのは十時を過ぎていました。
主人が車で迎えに来てくれたのです。

就寝した後、深夜十二時を過ぎた後、外で誰かが歌うのが聴こえた。心地よい声のようでした。
多分歩きながら口ずさんでいただけでしょう。
主人も聴いたらしいですが、クラシック調に聴こえたけれど、曲名まではわからなかったの。
そんな時間帯にわざわざ歌いに来る方はいないから
偶然耳に入って来たのだと思う。

疲労しきっていた私は、母の身を案じながら
とにかく24時間専門家がついている・・・としばらくホッとした気さえしていました。
月曜日の朝、ボーッとテレビをかけていたり、家では落ち着いていました。
見舞いに行く前にマンションに寄って、病院に持っていく母愛用のシャンプーや
予備の物を鞄に入れていたら、
母はもう二度とこの部屋でこれらを使うことはないんだと身につまされて
泣けて泣けて・・・これほど可哀想でつらい思いはないと

父はディサービスの日、パンやに寄って一人でゆっくりランチ
気持ちを切り替えて病院に書類持参、手続きしに行きました。

一般病棟入院でしたが、緩和病棟時の看護師さんが挨拶に来て下さり
「症状が安定したら緩和病棟で待っているね。」って!
前日の応急処置のべッドと違って明るいムードに少し安堵して
途中で看護師さんが複数でやって来て、エア布団と入れ替えて下さったり
人数は必要、ありがたいことだ~と感謝の気持ちで一杯でした。

帰り路、肩の荷が少し降りた気さえしました。
夕方、担当医師から電話がかかって来るまでは

今日、父を連れて宣告を受けに行きます。
私はその内容を昨日の電話でほぼ把握していると思う。
今日はもっと重圧な内容になるかもしれません。
今朝から胸が痛くて、全身倦怠感
疲労も限界に来ていると思う。
これ以上つらい事が起こったら、どうなるのかしら?
それ以上に母の身が案じられ、可哀想で可哀想で
生きてる気がしない今・・・

昨日、母はまた勘違いして
「オムレツ作ろうか?玉ねぎ刻んでね。」って
食べたいんだな・・・もう口から物を食べられない?禁止令?
複数の看護師さんが部屋を出られた後
「(私)子ちゃん、お味噌汁でも作る?
(私)子ちゃんのイメージが壊れてしまう気がして・・・」
イメージって何?この場に及んで何を心配しているの。
私は見舞い客、看護師さんではないから、比較して心配しなくてもいいのよ。

母の気苦労は絶えない。もっと楽しくフワッとしたことを考えさせてあげたい。

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