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色々

こういった状況の日々こそ、克明に記録すればいいと思いつつ
その日の容態によっては落ち込み心身疲労しきって書く気になれなくて

遡って書くと
昨日3日は安定していました。
北海道の行方不明のお子が発見された朗報に、子どもこそ助かるべきだと
少し明るい気持ちで見舞った日
行くと両手で手を包み込んで頭を撫でてくれようとする。
べッドの柵に持たれて、母のゼスチャー交えてコミュ取り合っていると
センサーが働いて看護士さんが走って様子を見に来られる。。理由を昨日知りました。
「水」とグイッと飲む真似を繰り返すのだけど
「肺に入ると悪化するから。」ということで、口から物を取ることのお許しが出ない。

2日 思い立って日帰りバスで妹が見舞いに、G駅到着時刻から同じバスで病院に行く。
病室に入ると母は最初私しか見えていない様子で、手を取り
「(私)子ちゃん、胃腸薬飲ませて!」と哀願を繰り返す。
お水が飲みたいのだと思う。ずっと私が母の欲しい物を用意して
食べさせてあげていたから、私に言えば何でも解決すると信じているの(涙)
それが一番つらいと感じた。
この日、母は調子が悪くて、妹もかなり動揺していたし、
何よりも三月以来の母の衰弱ぶりを見てショックが大きかったのだと思うの。

入院時期、もう少し早い方がよかったの?と問う。
母が自力で立ち上がろうとしなくなって、べッドから転倒する恐れが無くなったから
母の意志に反して私のケアだけでは手遅れになる時期だから

1日 有休日の娘と待ち合わせて見舞う
「**よ、わかる?」と尋ねた娘に「わからいでか。」と母にしてはくだけた物言い
母は上機嫌! 母が微睡んでいる間に洗濯しに部屋を出た時、
「おばあちゃん可哀想」と娘が泣く。

「四階に行く?」(四階に何があるのかしら?休憩所、販売機?を比喩して?)
「お水ダメ?ちょっとごまかして?」・・・母曰く
スタッフさん達の目をくらまして談話室でお茶など飲みたいのでしょう。
酸素マスクと点滴で動けないけれど、何とかなる錯覚なのだと思う。

その前日
足先が冷えると血中酸素を測定できないから、看護師さんが足先をこすると
母は「くすぐったい!」と両手を挙げてブラブラ

お茶目でヤンチャぶり発揮、
無意識に酸素マスクを外したり、点滴のチューブを引っ張り
目が離せないらしい。



最終入院を決断しながらも迷いで心が暗かった日の夜
和室で寝ていた母が「おじいちゃんに会いたい。」と言って
リビングから顔を出した父に「おじいちゃん久しぶり。」と言った
「ずっとここにいたよ。」と父が言うと(毎日一緒なのに)
「本当に?知らなかった・・・明日からずっと一緒?嬉しい!?」
と叫んだの。
あんなに険悪だった両親が、この数か月で仲良しになってくれて
それは嬉しいでしたが
よりにもよって入院を申し込んだ日に、どうすればいいの?
と胸が張り裂けそうでした。

先週木曜日に口から出血して、「ヒリヒリして痛い。」ということを
訪問医師に電話して問い合わせると
「診察した時に口内が乾燥して罅割れしていたので
血が出ると思っていました。」
と言われた。何故前もって言って下さらないのだろう?
知っていれば予防できた事柄・・・

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