半分食べてしまってから思い出して写しましたが
恒例の親戚からの頂き物のイエローキングメロン
この季節毎日食べたくなるくらい好きな果物で
大好物な母にも毎年おすそ分けしていましたが、
今年は全部家族で(父も夕食を食べに来る時は一緒に)いただきます。
記憶では二十年以上昔、母が仙骨癌の大手術をした時から
母に対する予知夢は繰り返し見て、ドンピシャだったこと
最初は黒の衣服を身に着けながら、半分は真っ赤なコートを着ていたり
数年前は背を向けてさっさと道路を渡ろうとしているのを
急いで行かなくてもいいと言ったり
今年の初夢については書きましたが
25日の明け方見たのは(もう書いたかしら?)
するするとそばに寄って来て「〇子ちゃん、それ何?おばあちゃんも食べていい?」
と母は言い、
「一緒に食べよう。」と私は答えた。
明るい母を久しぶりに見た、もう苦しんでいない・・・
目覚めた時咄嗟に母は亡くなったと思った・・・直後病院から電話がかかったの。
集中治療室から個室に変わる様に指示された時に、内心気づいてはいたのだけど
珍しく付き添うと言った父に、
夫婦だから優先するべきだと直感したことと、
その日に限って睡魔に襲われ生あくびばかり出て、目を空けて居られないほど・・
モルフィネで意識がないままの母に半分夢の中の出来事のように別れを告げて
駅まで歩き電車で帰った・・・
先週、忌引き?で休み中だった息子の厄払い(厄年関連)に行った時の写真です
昔、子ども連れで友人に連れていただいた時は薔薇が満開で
期待して行ったら、薔薇の季節は過ぎていました。
車椅子を押して母と近隣の桜を観た時に、必ず薔薇園にも行こうねと
約束していたのに、最後にその約束を果たせないままに~
薔薇の季節、衰弱していた母を紫外線の強い場所に連れて行くのは
無謀な感じで、迷ううちに時期を逃してしまったからです。
帰りに寄ったお蕎麦屋さん、
最後に入院した直後、母はしきりに(山葵)と言いながら食べる真似をして
看護婦さんにも強請っていて
とうとうひと月近く、食べ物どころか美味しいお茶も許可が出ないまま
何度も医師に頼みましたが、
「それこそそのまま亡くなってしまう危険がありますよ。」
と言われ、
根負けした医師がベテランの看護師に言伝えて下さっても
「止めておいた方がいいですよ。」の一言で阻止され
今までから、こういう状況で命を縮めた患者さんが大勢いるから仕方がないのでしょうが
私が行くたびに手にすがって「お茶!」
「おばあちゃんのご飯はある?」という母の儚い願い事を
聞いてあげられなかったことが何よりも一番悲しかった。
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