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1月14日(朝)

ちょっと成人式の思い出を書いてみます。
16歳の冬に引っ越しした私はご近所に行き来する友人がいなくなって
淋しい状況に置かれていましたが、
今考えてみると決してそうでもなかったみたいで
方向音痴で引っ越した頃、家に帰る道がわからなくなってしまった事が度々ありました。
帰り道に近くを歩いている女生徒に住所(番地)など言って道を尋ねた事がありました。
その結果出会うと必ず会話する程度のお知り合いが三人できました。

一人は私立に通う同学年で家から200メートルくらいの距離の子で
顔の薄い人でした。
友人3さんに似た感じ。
後でわかったことは弟さんが妹と中学で同級でした。
そんなこともあって気安くして下さったのだと思う。
その人は高校を卒業したら進学しないでお勤めされたの。
それも近所のスーパーでしたから、ちょっとビックリしたの。
同じニュータウンに住んでしっかりした弟さんのイメージからは意外でした。
母の用事でスーパーに買い物に行くと、何故か10分くらい休憩を貰って出て来て
喜んでお喋りしに来て下さったので、今思うと親しく思って下さっていたみたいです。
どういう状況で約束したかはわからないけれど、
成人式に誘いに来てくれて晴着を着て二人で出かけたのを覚えています。
内容は忘れたけれど、一人赤ちゃん連れの大人びた人もいて
話した記憶はあります。
それしか覚えていないけれど、若かりし日の記憶・・・懐かしい。

もうお一人帰り路で知り合った方は、一二年年少でお嬢様私学に通われてる方でした。
大通りの立派なお家に住んでいらしたの。
後から母がどこかで聞いて来て、お父様がお医者さんだと言っていました。
もう一人帰り路に出会えば話す小柄で利発な女の子がいたはずですが、
何も覚えていません。

他にはある日電車駅で同じ制服を着た人に出会い
「あれっ?」と驚くと礼儀正しく会釈され、以来話すようになった方
その方は同じ高校の一年下で付属から転向されて来たの。
その方とは自転車で一緒に近隣の寺社方面にサイクリングしたこともありました。

偶然道で出会って道を尋ねた方達が皆さん育ちの良いお嬢様ばかりで
性格も良い方ばかりで恵まれていたかも・・・
とても懐かしい

他に当時近隣の人間関係は、母のお気に入りの美容師さんとか
後からアルバイト先の歯科医院ご家族や技工士さん(挨拶程度)
何故か矯正治療医師として通って来られていた先生は
かなり神経質でお宅気質だった気がしますが、不思議と会話が弾みました。
17歳くらいから同級生の男子と話すこともなくなっていたから、
思春期で口を聞いた異性はその先生くらいだったのではないかしら?
でも内容はたいしてなくて、高校が追手門で阪大でそこの研究室から
通われてるらしかったの。

もう一人思いだしたのは、学校帰りに傘を差しだして
「僕はあなたのお母さんと知り合いでした。」と話しかけて来られた男性がいました。
家から200メートルくらいの距離に住んでいらしたの。
母に聞くと、昔青年会でフォークダンスをしただけだと
そんなに素敵ではなかったし、母からみれば本当にその程度の認識だったと思います。
脱線しますが、昔母が肺に影ができて療養生活していた頃
毎日花束を届けて下さった方はどんな方だったか?
ちょっと気になります。

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