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12月22日深夜に父が亡くなりました。

その日は病院からの連絡で三回駆けつけました。
朝はタクシーで、

朝、夕方は病室にひとりで入り
抗菌服や手袋を着衣して、父の手を握って
話しかけたら、途中で顔を向けようとしていて、
わたしは父に
「家族のために働いてくれてありがとう。皆感謝してるよ。
おじいちゃんがいつも真面目に生きて、
一番頭が良くて、頑張っていたの、皆わかっているからね。
(妹や孫の名前)皆心配しています。
これからもおばあちゃんとずっと一緒よ。
繰り返し伝えました。

夕方は酸素マスクフルでしたが、
かなり苦しそうで、そばにいるだけで、
わたしも身体が内出血して爛れて来そうなくらい、
辛い、この部屋で息することも拷問かと思いました。


夜、入浴後、髪を乾かしてパジャマを着た頃、
疲れ果てていたけれど、あの状態が長引くと、
かわいそう過ぎる。気苦労が絶えません。
十時過ぎに三度目の急変を知らせる電話
オカメインコの保温を確認して、
自身も保温して、主人に乗せてもらって病院へ
急ぎました。

病室の前で医師が待っていて、名前を呼ばれた。
アレッ?七時には帰ると言われていたような?

父は酸素マスクをつけたまま、
安らかな表情をしていました。
(ヘルスメーター?はZERO)
この地点で分かっていたはず…
わたしより温かい手
頭と肩と腕をかわるがわる撫でて、
眠っているようでした。
時折ピーっと鳴る装置
ナースステーション前で受付していた時は
頻繁に鳴っていたのです。

医師に一つずつ質問して確認
「今は息しておられないからです。」
………?
手が冷たい?
数十分くらい経過した気がします。
医師が「もう診断してもいいですか?」
と言われました。

絵文字先生ですか?帰られたのでは?」
「家に帰ってまた連絡を受けて出て来ました。」

浄めて下さった看護師さんやスタッフと一緒に
医師も見送って下さいました。
「居て下さって心強かったです。」

父は充分長生きしました。
大往生ではありますが、最期の日の
苦しみさえなければ

今は忙しくバタバタしています。
昨日、早く、業者の力を借りて、
施設から荷物を運び出しました。
施設の職員さん達の温かさにも
慰められました。

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