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救急車で運ばれ転院した病院で
父はすぐに処置室に入れてもらえたけれど、
後から運ばれて来る緊急患者さん達の対応で、
てんてこ舞い状態で、付き添って来た人が
激しく咳き込んでいたり、
深夜まで待たされて、
建物の古かったり、夜間の待合室の空気で、
肩が凝りわたしも息苦しさを覚えたくらいでした。

月曜日、新しい担当医師から電話で説明を受けた。
緊急時に話を聞いて納得していた通り、
父の年齢や痩せ具合を考えても、
カテーテル治療は難しい。
その時は、症状も変化なく、食欲もないと聞き、
症状をとる治癒だけなら、(家の近くの長年お世話になっていた病院)に戻ることを希望しました。

そして火曜日、スポーツジム帰りに、
また医師から連絡
父が平熱に戻り、嚥下検査結果では
ギリギリ口から食べ物を食べられる。
食事も残さずに食べられていると言われた。
医師の懸命な治療に感謝しながらも、
やはり家から近い病院に戻ることを希望。

次に医師から連絡があった時に、
20日に希望通りに、従来の病院へ
搬送にいつも通りにわたしが付き添うことに決まりました。
前日からうきうきして準備していたところ、
20日朝に、医師から、父が朝から高熱で、
検査でインフルエンザと診断、
転院が一週間延期になったと連絡がありました。

そして22日は、朝、昼過ぎ、
夜10時過ぎと3回連絡があり、
父は夜11時15分に息を引き取りました。
それまで見舞いは一週間に一度、
予約制で、他家族が予約している時は
予約できない決まりと聞いていたけれど、

22日からは連絡の度に
見舞うようにと示唆されたので、
危篤ということなのだと、分かってはいたつもりでした。

インフルエンザ感染がなくても、
遅かれ早かれ誤嚥性肺炎か、心筋梗塞が進んだり、
寿命が近づいていたことは確かでした。

長年勤務して、多くの高齢者と接していらした
ケアマネさんの言われたことが
正しい事も勘付いていました。

そういえば母親の時も

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