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思い返しても

昨夜また「二人のディスタンス」の録画に失敗。
寝る前に番組表に録画予約のチェックを確認したし、
今までに吉本チャンネルや東急チャンネルで
録画できていないことはありましたが、
NHKの録画予約で失敗したのは、
この番組のみで訳がわかりません。
わたしのミスではなくて、
他に原因があるとしか思えない。



昨日の続き

母が緩和病棟から退院したいと言い出した時に
訪問介護のスタッフを紹介されて、
定期的に保健師、看護師、医師などが訪問されるようになった時期、
わたしはてんてこ舞いの忙しさでした。

布団やマット干し、母のトイレ介助、
力仕事だけでエネルギーを使い果たし、
入浴サービスの時は、タオルや道具を揃えて、
掛け湯のお湯沸かし、そして両親の食事作り、
家に帰って日常の食事作り

この時もGWに連絡がつきにくかったり、
こちらも予想がつかずに一泊旅行を入れていたりでした。

そしてある日、母の血中酸素の値から?
医師に母の死が近いことを知らされた。
近いってどれくらいなのか、予想出来なかった。
次に保健師さんにも言われた。
「他の患者さんが苦しみで顔を歪めてるのに、
こんな安らかに和かにしてられて
恵まれています。」というような事を
言われた。

こんなに和かなのに、死ぬわけない…
不信感の始まりでした。
その後、母が肺炎で「苦しい」と言った時に、
訪問医師に連絡がつかず、保健師さんも
お休みの日のようで、
母の了解をとって救急車を呼びました。

運ばれたのは、K大学病院の紹介で
入院していた緩和病棟ではなく、
一般病棟で、前回入院した時とは
方針も全然違ったものでした。

この時の教訓を父の時に生かしたかったけれど、
父は緩和病棟のある病院ではなく、
父のマンション近くの病院
(その病院ができたから、引っ越しを決めた父だったから)
に通って、きちんと健康管理をしていただけていました。
それでも不本意な事が起きて、
考えもしなかった病院で最期を迎える事になるのです。

わたしは何と闘っていたのか?
主人もわたしの送迎ではずいぶん協力してくれたけれど、
親の介護に関しては、全てが肩にのしかかって、
やはり辛かったです。
これで良かったのか、色々疑問もあるけれど、
これが精一杯だったと思います。

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