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父の記憶は

生協やお供えしに通うのは別として、
朝起きて、緊急呼び出しされる心配がないというのは有り難いです。
父は亡くなって一目散に母のところに行ってしまったのか
夢に出てきてくれない。
母が亡くなった後は数年間、眠りの中では
当たり前のように存在していたのです。

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親戚から届いたお供物を亡き父に
供えに二往復したら、結構な距離でした。

わたしの最初の記憶は、
母の背で祖母も横にいて、医院の受付窓口で
見た水薬だったと思うのだけど、

父の記憶といえば、子ども部屋にひとりで
粘土遊びしていて、
夜だったと思う。急に心細くなって泣き声で、
父が飛んで来て、
「どうした?」と聞いた。
「粘土が汚くなった。」と言ったら、
丸めて最初包んであったセロハン紙に
仕舞って、部屋を出て行った。
その時、家に母がいなかった。
粘土遊びするくらいだから、とっくに妹は
生まれていたはず。
多分医院に連れて行ったか何か用事で
父と二人で留守番していたのだろう。
それが淋しくて何度か泣いては
父が泣き止ませるために、粘土を丸めたり、
片付けたりしていたみたいです。

その部屋は、父母が両親と同居していた時は
叔母の部屋だったらしい。
叔母がお嫁に出てから、わたしの部屋に
なったらしく、
わたしは部屋にひとりで過ごすのが
淋しくて泣いていたのだと思う。

叔母に関しては、両親と出かけた時に
おじが経営していた事務用品店で、
クレパスや画用紙など好きなものを選んで、
上機嫌だったことや、
そこに叔母がいて、思いがけない嬉しさや
安心感を持ったことは覚えています。 
あの時、子ども用滑り台もあったから、
従兄弟は生まれていたのかもしれない。

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